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「日本人好みの固定観念」に縛られない一冊

日本史が好きです。

いまは幕末への関心も高いけど、昔は専ら戦国期のファンでした。特に興味津々だったのが↓。

実際にどうだったのかはわかりません。NHKの大河ドラマでも作品によって描かれ方は様々でした。

印象深いのは「功名が辻」です。激しい銃撃戦。舘ひろしさんの演じる織田信長が鬼気迫る形相で鉄砲をぶっ放していました。

もし「秀吉」と同じ渡哲也さんだったら「団長!」となるところ。さすがにそれは、ということで大門軍団の重鎮である舘さんをキャスティングしたのかなとニヤニヤした記憶があります。

いまでも暇があれば、明智光秀が反乱を起こした理由に想いを馳せます。史実である以上は事実関係をある程度押さえ、最新の研究も取り入れたうえで想像の翼を羽ばたかせたい。

それをガチでやっている名著に出会いました。

著者は2022年に「塞王の楯」で直木賞を受賞した今村翔吾さん。8人の戦国武将について、独自の視点でプロファイリングをおこなった一冊です。

本書の特徴は、彼らを現代のボキャブラリーや比喩を用いて説明しているところ。たとえば桶狭間における信長の勝利を「サッカー日本代表がブラジル代表を倒した」と評し、豊臣秀吉に「コミュ力お化け」の称号を贈る。千利休は「当時における究極のインフルエンサー」です。

もちろん「本能寺」についても言及しています。

ここで疑問が残るのは、「なぜ信長は本能寺から逃げようとしなかったのか?」ということ(中略)桶狭間の戦いでは果敢に出撃していますが、それは籠城すれば100%負けるとわかっており、少しでも勝ち目があるわずかなチャンスに賭けたからです。

今村翔吾「戦国武将を推理する」NHK出版新書 46P

本能寺の信長といえば「是非に及ばず」の一言が有名です。光秀ほどの武将が攻めてきたなら、逃げ道などあるはずもない。だったらジタバタせずに腹を切り、せめて首だけは渡すまい。この潔さと合理性に信長らしさを見出す人が多い気がします(私自身、子どもの頃に父からそのような話をよく聴かされました)。

しかしよくよく考えたら、信長はいきなり自害したわけではなく、弓や槍を手にして戦っているのです。1万人を超える敵を相手に。

最近の私は「わずかな可能性に賭け、やるだけやってダメなら執着しない」姿勢こそ彼の真骨頂と考え、己の生き方に落とし込んでいます。ならばあの戦闘は死ぬ前提ではなく、本気で数パーセントの生き延びる可能性を探ったがゆえの選択だったのでは?

同時に逃げるチャンスも窺ったかもしれない。でもやはり無理そうだった。明智軍を撃退するのも難しい。ならばと限界まで戦い、気が済んだところで火を放ち、腹を切った。首を渡さぬための策を整えたうえで。

そんな風に想像しました。

真相は藪の中。いずれにしても「信長=合理的で潔い」という、多くの日本人が好むであろう固定観念に縛られず、思考を止めない今村さんに敬服しました。疑問に対する答えにも一定の説得力を感じた次第です。

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