「失われた時を求めて」を巡る冒険⑩
↓を読了しました。
巻末の訳者あとがきに「全巻読破をめざす読者の多くが挫折する難所」と記されています。確かに。
一方で、同性愛者のシャルリュスが美貌のヴァイオリン奏者・モレルに振り回される姿が生々しく、気づいたら没頭していたのも事実です。一緒に過ごせると楽しみにしていたのをすっぽかされて涙目になり、怒りに震えながら手紙を書くくだりとか。
いまならLINEだろうし、私の学生時代はメールでした。一時の感情に任せて送り、翌朝に読み返して頭を抱える。「言わなきゃよかった」と傷つけたであろうことを悔やみつつ、赤裸々な内面を曝け出してしまったことで「こんなことさせやがって」と悪感情も募らせる。
人の心は平気で矛盾します。
ただシャルリュスは未熟な二十代の学生ではなく、教養豊かな五十代の男爵。怒っていてもどこか冷静で、結局は意のままにモレルを動かすことに成功しています。小賢しい打算や弱点を見抜いているがゆえでしょう。
少々やり過ぎてしくじるケースもあったとはいえ、感服しました。年の功? いや現在の私でもムリです。それでいて身勝手な妄想に溺れ、モレルの感情の流れなどすべてわかっていると思い込む無知の傲慢も備えている。
こういう重層的な人間描写が「失われた~」を名作たらしめている要因のひとつであることは間違いありません。
あと印象に残ったのは、周囲の彼に対する視線です。
シャルリュスの認識だと、自分が同性愛者であることは気づかれていない。でも実際はバレバレで、彼のいないところで話のネタにされている。
こういう「陰口」を好む人間性に、貴族もブルジョワも労働者も関係ない。そんな著者の諦観を感じました。
しかし一般論で終わらないのもまたプルーストです。
「陰口」のおかげで実体を知る。世間の、同僚の、友人の、家族の、そして自分自身の。
思い当たる節があります。
仲間意識を持って仕事に励んできたのに、ちょっとしたきっかけで「あ、コイツら俺のことをそんな風に思ってたんだ」と悟ってしまう。連中の本音を知ることで、己のうちに潜んでいた彼ら彼女らの働き方に対する苛立ちにも気づいてしまう。「すべての人に半信半疑」が私のモットーですが、確かに「陰口」がその処世術を採用するきっかけだったかもしれない。
苦々しくもどこかスッキリする読後感を味わいました。
なお、全14巻を読むに当たり、ふたつのルールを設けています。
1、1冊読み終えてから次の巻を買う。
2、すべて異なる書店で購入し、各々のブックカバーをかけてもらう。
1巻はリブロ、2巻は神保町ブックセンター、3巻はタロー書房、4巻は大地屋書店、5巻は教文館、6巻は書泉ブックタワー、7巻は丸善、8巻は三省堂書店、9巻はブックファースト、そして10巻は↓で購入しました。
「くまざわ書店・錦糸町店」です。
駅前にある商業施設の9F。足を運んで驚きました。ワンフロア店としては都内屈指の品揃えでしょう。
ドラマ「HERO」に、どんな無茶ぶりにも「あるよ」と返すバーテンダーが出てきます。ここもそんな感じでした。しかもコミックとそれ以外で分かれているとはいえ、ひとつの階に集約されている。定期的に通い、じっくり見て回りたいと思った次第です。
「失われた時を求めて」皆さまもぜひ。