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ハードボイルド書店員日記【96】

「日本の写真集、ですか?」「そうなの」

猛著の平日。学校が休みに入ったのか若年層の来店が急増している。高齢者も多い。旅はしづらい。ずっと家にもいたくない。「ならば普段行かない近所の本屋でも」となったのだろう。

ガラパゴス化したメディアの報道に対して思うところはある。だが店が賑わうこと自体はありがたい。欠員が半年近く補充されない状況を除けば。

有人レジとお問い合わせカウンターが終日慌ただしい。対照的なのはセルフレジと検索機。ガイダンス音声からオペラが流れてきそうだ。使い慣れていない人には敷居が高いのか。店員の方が間違いないと。本当に間違いをしないのは機械の側なのだが。

昼食のためにカウンターを出る同僚が「何のディストピアですかね」とつぶやく。「令和のモダンタイムスだな」「伊坂幸太郎ですか?」「いやチャップリン」「そんなのあるんですね」隣接した事務所へ吸い込まれる背を見送った。元ネタが忘れられ、オマージュがオリジナルと見做される時代。ディストピアの可能性は当人たちが自覚しない場所にこそ潜んでいる。

あと3分で休憩。お問い合わせを受けた。腰の曲がった、少し耳が遠い小柄な女性。タイトルはわからないが「日本の写真集」だという。何年か前に友人の家で見たのを思い出し、読みたくなったそうだ。

「お客様、申し訳ございません」1.3倍目安で声を張り上げる。「日本の写真集というだけで調べるのは難しいです。著者のお名前とか出版社とか」「全然わからないの」「タイトルに『日本』が入っていたんですね?」「たぶん」「表紙はどういう感じでしたか?」「表紙?」延々考え込んでいる。刻限はとうに過ぎた。だがここで誰かに委ねるわけにはいかない。

「……何かね、小さいドクロみたいなものがたくさん並んでいたような」「ドクロ?」「ほら、人間の頭の骨の」

閃いた。

青山ブックセンターのオンラインストアへアクセスし、小倉ヒラク「発酵する日本」のページを出した。「もしかしたらこちらの商品では?」老眼鏡を外し、目を細めて画面に見入る。浴槽へお湯が溜まるように、感情の水位がじわじわと口元や頬を埋めていく。「これよこれ! 間違いないわ」「申し訳ございません。こちらは青山ブックセンターさんが2年前に作られた本で、他の書店では買えないのです」「え、そうなの?」栓が抜かれた。時間が逆戻りする錯覚に一瞬陥る。

「じゃあどうしたら」「店舗に直接行かれるか、もしくはこのオンラインストアから注文を」「どこにあるの?」「表参道です」「遠すぎるわ。パソコンで買うのもやり方がわからない」代わって注文するわけにもいかない。

またアイデアが浮かんだ。「お客様、こちらの本はどうでしょうか?」検索端末を叩き、同じ著者の「日本発酵紀行」を見せる。「写真集?」「全国の発酵食品を訪ねた旅のガイドです。でも著者とテーマ、取材先は同じと思われますし、写真もけっこう入っています」「ここにあるの?」棚から持ってきた。パラパラ捲って眺めている。「あのドクロみたいなお団子も発酵食品?」「あれは『せん』という対馬の伝統的な保存食です」本を受け取り、カラー写真のページを開いた。

「ああこれね」「たしかサツマイモのデンプンを発酵で取り出したものかと」「くずもちが小麦粉からできるみたいに?」「おそらく」該当しそうな章を探す。192ページ。「まさにそのことが書いてありました」「昔は時々作ってたの」笑顔が戻る。「完成に4か月以上かかるそうです。つまり千の手間がかかるから」「そんな名前に? 何だか面白そうね」

現金による会計が終わる。「悪いわね、ずいぶんお時間を取らせてしまって。お昼まだでしょ?」「大丈夫です」丹田に力を込めて顔の筋肉を緩ませた。「こちらこそお買い上げありがとうございました。私が担当者に話して入れてもらった本なので」「売れてる?」「いま売れました。今後も置き続けます」カバーを掛けて渡す前に記憶を辿り、201ページを開く。「自分なりにこの精神を訴えていきたいのです」

そこにはこう書かれている。「制限があるなかでいかに生き延びていくか。その切実さが個人の発想の飛躍を起こし、飛躍がコミュニティに受け継がれていくと文化になる」

人は新たな自分に出会うことを「旅」と呼ぶ。ならば近所の本屋でも「旅」はできる。できる店を、棚を切実に作っていく。いつか当たり前の「文化」にするために。

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