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ハードボイルド書店員日記【221】
「いらっしゃいませ!! お、本屋さんあけましておめでとう!!」
だから、その呼び方は誤解を招く。あともう2月だ。たしかに訪れるのは今年初めてだけど。
職場が入っている商業施設から徒歩数分。雑居ビルの一階にあるラーメン屋へ足を運んだ。L字カウンターだけの空間である。店主とは同世代。たまに雑誌やマンガを買いに来てくれる。
「あれが売れて忙しい?」
「あれ?」
「何賞っていうんだっけ。難しい小説がもらう」
「芥川賞ですか。直木賞はエンタメなので」
「若いお客さんが読んでたよ。帯に受賞作って書かれた本を」
少し前にもこういうことがあった。読書好きの常連さんがいるらしい。
「若い人だったら、恋愛リアリティーショーを描いた安堂ホセの『DTOPIA』ですかね」
「もらえるのは一作じゃないの?」
「今回は二作でした。ゼロの時も」
「もったいない。本屋も出版社も儲けるチャンスなのに」
噴き出すのをこらえた。
「芥川賞の『受賞作なし』は2011年7月が最後です」
「よく覚えてるねえ」
「その時の直木賞が池井戸潤の『下町ロケット』でした」
「ああ倍返しの人だ」
間違ってはいない。
今日は味噌ラーメン。もやしのシャキシャキした歯応えが心地よい。いつもは細麺だが、めずらしく太麺にした。濃厚なスープと絡んで食欲をそそる。
「本屋さん、倍返しはいまも売れてる?」
「正しくは『半沢直樹』シリーズですね。売れてますよ」
「その下町何とかは倍返ししないの?」
「残念ながら。主人公は銀行員じゃなくて町工場の経営者なので」
「町工場?」
「大企業の圧力に立ち向かう中小企業で働く人たちの物語です」
「やっぱそういう感じか」
「シリーズ化していて何冊か出てます」
「長い小説は読むのが大変なんだよな。間を空けると内容忘れちゃうし」
「わかります」
「倍返しじゃなくてもいいんだけど、ああいう風にスカッとできる本、知らないかな? できたら小説じゃなくて」
レンゲでスープを掬い、考えを巡らせる。
「一冊思い当たるものが」
「ほう」
スマートフォンを操作し、某密林へ飛んだ。「ブコウスキーの酔いどれ紀行」(ちくま文庫)の表紙画像を見せる。
「94年に亡くなったアメリカの作家です。ドイツで生まれて3歳の時にアメリカへ移住しました。大学中退後に放浪生活を経験し、やがて郵便局で働きながら創作を」
「なかなかロックだな」
「1970年からは専業作家のはず。50歳になる年かな」
「じゃあ20年以上は好きなように生きたわけか。若い頃の不運を埋め合わせるように」
「ちなみにこの本が出たのは1979年。ドイツとフランスへの旅の様子を綴った紀行文です。写真もたくさん」
表情が明らかに変わっている。書店員冥利に尽きるリアクションだ。
「でも子どもの頃にちょっと住んだだけならドイツ語とか」
「無理でしょうね」
「それは大変だな。俺も外国のお客さんが来ると片言の英語でどうにかコミュニケーションを取ってるけど」
「ブコウスキー流の解決策が載ってました」
記憶の底を掘り起こす。あれは127ページ。こんな文章だ。
彼は英語が喋れず、わたしはドイツ語が喋れなかったので、わたしは自分でちょっとしたドイツ語をでっちあげたり、編み出したりして、さんざんまくしたててやった。
マイケル・モンフォート写真 ちくま文庫 127P
豪快な笑いが店中に響き渡る。
「食事中にうるさくしてゴメン。そうかあ、その手があったか」
「ちょっとしたDIYかと」
「本屋さん、やめてくれ。マジで腹が痛くなる」
「インタビューも面白いですよ」
たしか14ページ。こんな内容が記されていた。
何を大切だと考えているかだって? いいワインに、いい一物、それに朝は遅くまで眠っていられること。きみが迷惑かだって? もちろん迷惑だよ。五十八歳にもなったこのわたしに嘘をつかせようっていうのかい?
店主がうずくまる。他にお客さんがいなくてよかった。
「わかったわかった。買いに行くからもう勘弁してくれ」
「お待ちしています」
「ブコウスキーな。人の名前覚えるの苦手だけど覚えたよ。教えてくれてありがとう」
「こちらこそ。美味しいラーメンをいつもありがとうございます」
「まあお互いプロってことだな」
お互いプロ。そんな風に認めてもらえる仕事をしていこう。そうすれば私も嘘をつかずに生きられる58歳になれるかもしれない。
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