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ハードボイルド書店員日記㉕

「守破離」という考え方がある。芸事の世界の言葉だが、実は他の業界でも有効だ。セオリーや規則に従う姿勢は大事。だが、それらに囚われることが誰のためにもならない状況も起こり得る。ルールは必ず意味を持つという優等生発言の響きに陶酔して思考停止していないか? 強迫症にも似た「絶対服従主義」は自由なきファシズムへの第一歩である。

「カバーはお渡し対応とさせていただいております」「え、ダメなの?」「申し訳ございません。レジ対応の時間を短縮してコロナの感染拡大を防ぐための措置です。どうぞご了承ください」右隣で女性の正社員が白髪の老紳士と話している。

「外が雨だから、ここでかけて欲しいんだけど」「申し訳ございません」1800円近くする車の情報誌だ。雑誌にカバーをかけて欲しいという人は時々いる。ビッグサイズの紙をその場か後ろの作業台で折る。大した手間ではない。私ならいまの会話の間に一枚折れる。

「これ、台形になってますよね」
左隣のレジで男性の契約社員がカバーのサイズを全種類チェックしている。「俺は気にならないな」「いや、歪んでますよ」よく見れば確かに右側が左側に比べてやや内側に食い込んでいる。「大きくずれてはいないから使えると思うけど」「いや、ダメですよ。ルールだからちゃんとしなきゃ。誰の仕業だ。あ、これも」彼の基準を満たさないものが次々とゴミ箱へ放り込まれた。

後ろでは女性のバイトが児童向けの昆虫図鑑をラッピングしている。この店では所謂「斜め包装」がスタンダードである。器用な人じゃないと角がずれやすく、形も歪みがちだ。ゴミ箱に同じ色の包装紙が三枚捨てられていた。脇から子連れの母親が何度もレジの中を覗いている。

「キャラメルでいいよ」「え、でもさっき○○さんに怒られて」○○さんは先ほどの男性社員と並ぶお店屈指の「カバー警察」でもある。年配で正社員よりも長く勤めているから誰も逆らえない。少し前から品出しをしていて、いまはレジにいない。
「○○さんよりもお客さん優先だよ。長くお待たせしては申し訳ない」「・・・はい」この子は「キャラメル包装」だと手早く上手にできる。高級な百貨店ではNGだが、多くの書店は認めている。

「大変お待たせ致しました。こちらで宜しいでしょうか?」包装された本を見たお客さんは「ありがとう。ほら、キレイにやってくれたね」と優しく微笑み、頭を下げてくれた。

「ありがとうございます。実は○○さんがいない時はこっそりキャラメルで」「それでいい。俺はいる時でもそうしてる。お客さんは暇じゃないし包装紙もタダじゃない」「私は豆腐メンタルなんでムリです」「そもそも環境対策でレジ袋を有料化してるんだ。他でこういうことをしていたら意味がない」「ですね」悪い職場ではない。みんな優しくて真面目だ。でもその学級委員的な真面目さが時として無意味に他人の時間を奪う事態を引き起こす。

左に目を向けてから、私はこれ見よがしに四六版のカバーを折り始めた。お世辞にも丁寧とは言えない。奴は黙ってうつむいている。そういえば○○さんにキャラメル包みを注意されたこともない。その刹那、鍋に入れられた油揚げが出汁を吸うように悟った。消費税を上げて法人税を下げる政治家の正体を。「正義気取り」のマスコミやSNSの実態を。


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