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【人生ノートMagazine】念うところ世界なり

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人生ノートの中から人生の生き方や日々の生活に沿ったことについてに書いてあることに焦点を当ててまとめてみました。
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2021年9月の記事一覧

利己なければ畏れなし

ものの成るかならぬかは、その人の一心に成るか成らぬかによってきまるものである。 人はだれでも死ぬ。まちがいなく死ぬ。死ぬまでになにかしておきたい。 とにかく、自分というものが、この世に生まれてきたしるしだけのことはそうとうにしておきたい。 ――――とだれでもが考える。 結構なことだ。 この世の中はチッとも思うようにならない。 つまらない、あほらしい、しゃくにさわる―――とだれでもが思う。 まったくそうだ。 阿呆にならないと真の仕事はできない。人間というものは案

本当の幸福を求める心

人生はお互いに思い思われて、なつかしく、ありがたく感じ合うところに本当の幸福がある。 とにかく、人間は真にあいゆるした一人を欲しているものだ。 その一人がないということは寂しいに違いない。 ある人はいう。 「自己が愛している者のため、あるいは、愛されていと思う者のために働くことほど満足はない」と。 そうであろう。またいう、 「心から、自己の成功をよろこんでくれる者を持たず、また、喜ばしたいと思う者を持たぬことほど、淋しく、たよりないことはない。 こうした張り合いの

ホンのちょっとの注意から

開祖というものは、みな真理を説いている。祖述者が中途で滅茶苦茶にしてしもうているのだ。何事によらず、その道の開祖の真の気持ちが、年を経るとともに次第に失われてきて、枝葉に迷い込んでいるのが百中九十九だ。 ○ この世の一切は、環境によって作られているのだ。 人為で左右し得る環境も多い。この範囲においては、人は充分の注意をもって、つねに、よりよき環境をつくるべく、また、よりよき環境へはいるべく努力せねばならぬ。 ○ 時々刻々、自己を浄化することを念がけねばならぬ。 何

沈黙は金、雄弁は銀

雄弁は銀なり、沈黙は金なり、というが、いかなる場合でも、黙りづめの人間がえらいのではない。言うべき時に言い、黙すべき時に黙すのがよいのだ。 しかし、食べずに病気になるものより、食べすぎて病気になる者の方が多いように、どうしても、しゃべり過ぎてアラを出す場合の方が多いから、それを戒めているのだろう。 ○ 自分は、他人とは同じようには造られていないのだから、どうしても、自分は自分に従わねば、何事も、神さまから与えられたる真の仕事をすることはできぬ。他人の真似をせずに、単に参

生まれたての赤児の気持ちで

先入主が万事に非常に影響するものである。一切の人に対して、最初に好感をいだかせねば、この地上の人々はよりつくものではない。最初に、おそろしい、いやな人だと思わすと、もう二度目にいかに親切にしてやっても、先入主が邪魔して、チットもそうは感ぜず、かえって逆に逆にととるものである。 ○ この信仰にはいる人は、まず第一に、今までの自分を忘れて、いま生まれてきたばかりの赤児の心持にならねばならぬ。いままでの外的学問や地位や身分や年齢などをすっかり忘れてしまって、「いろは」の「い」か

地獄のこころは利己中心

吾等は天地の創り主を信じ、これに絶えざる感謝と祈願とをささぐることによりて、まことの幸福へみちびかるることを知る。 吾らは八百万の神々を信じ、これに敬礼す。 ○ 死後、越しの存続の有無による現世生活上信念の相違について一言すれば、これを無しとする人は、 一、物質的となり、他に知られざる範囲で自利を行ない、成功をいそぎ、安心なし。 一、一切は死によりて帳消しとなる結果、最後のドタン場となればみな自殺す。 一、神社、仏閣、墓地などは、要するに飾り物にすぎぬこととなる。

苦しみぬいて悟る

自分の目から、あんなことをさしておいては悪いと思う時でも、先方がひたすらその方に心が向いていて、少々意見したくらいのことでは、馬の耳に風ほどにも思っていないというような時には、しばらく黙ってその人の思う通りにさしておくより仕方がない。やがて二進も三進もゆかなくなると、 はじめて目がさめてなるほどと悟ってくるものである。 誰もしたいしたいと思っていることを、せずに止めるということは、なんとなしに残念に思うものであるから、思う通りに一応やらしてみて、心から悟る時を待つより仕方

心にともしびを

なごやかに今朝はめざめぬ閃きのごとくに水をふと感じけり ○ 自分で自分を見つめている習慣をつけねばならぬ。人はまず第一に自分を知らねばならぬ。ほんとに自分が分かれば一切がわかる。自分が分からぬ間は何も分からぬ。自分の内界が闇である間は、見るものことごとくが黒である。自分の心に光がついたら、一切が見え出す。われらは、おうおう火をつけずに闇に物を見ようとあせっている。 自分の心そのものが神心にならなくては、決して神が見えも聞こえもするものではない。だから、いくら真理を説いて

慢心と野心はつねに省みて

真に健全なる心身でなくては、真の神人合一の境にはなり難い。 ちょっとの混りものがあっても、それが非常にこたえて心身を悩めるものである。 各人はよく常に省みて、自己がまだ不健全である時には、いよいよ万事にひかえ目に、自分はまで人間として不完全なものであるということを悟って、陰徳をつむべきである。 しかし今の世では、心身ともに真に完全無欠だという人は甚だまれである。特に善きみたまの人ほど、一時、外見が見ぐるしい場合が往々ある。 各人が副守護人の支配を脱して、本正守護神の真

自分が分かれば一人前

癖はなかなか直らぬものだ。そのくせ直すには、よほどの忍耐と努力と細微な苦心とを要する。自分で自分は分からぬがちのものであるから、よくよく公平無私 に省みて、自分の悪いくせを知って、これを少しずつ直すように心がけねばならぬ。 公平に自分自身が分かるようになったら一人まえである。 『信仰覚書』第六巻、出口日出麿著、自分が分かれば一人前 これまでのお示し

奥ゆかしさ

自分はえらいとかアカンとか、そんなことを先入主的にちょっとでも考えていたら、それこそ愚の骨頂だ。赤子の心で、したいようにし、自然になってくるのがえらいのである。 あれやこれや考えて、物事ができるものではない。 ○ みたまから発している霊光によって、大略、その人の品位は見ぬくことができる。この霊光は肉眼には見えなくても、心眼にはお互いに映じているはずである。 聖師さまや二代さまなどの御前へは、実のところ、われわれは恥ずかしくて出るのがいやだ。それでも、めぐりが除れきった

一念三省

一念三省 ○ 万人のために為すを善といい 一人のためになすを悪という ○ 人の悪しきにあらず 己悪しきなり ○ 好意は魔界を浄化す ○ この世そのまま実相真如なり ○ 小事に執着するをやめて 大局に眼をそそぐべし ○ 知らざれば暗く 知ればまどう ○ 詞(ことば)すくなく意多かれ ○ 本体を観るべし 変体に捉わるなかれ ○ 種子は一朝一夕に変ずるものにあらず ○ すべからく第一義に還れ 『信仰覚書』第八巻 片言隻辞 出口日出麿著 こ

常に好感をもって

言葉の使いよう、ちょとした態度によって、相手に非常なショックをあたえる場合が往々ある。相手を怒らすのも和めるのも嬉しがらせるのも、ホンのちょっとの呼吸である。何も別に阿諛する必要はないが、とにかく、相手につねに好感をもって接する心がけが肝心である。 人間というものは、案外気の小さいものであるから、よほど注意せねばならぬ。 ○ お互いに己惚(うぬぼれ)というものを平らげたいものだ。そして、人をそねみ、ねたむということをなくしたいものだ。 他人の欠点は直ぐに目につくが、さ

笑う人間ほど神に近い

どうも、一番最初にフト思い浮かんだことが正確らしい。後から、いろいろと迷って、いろいろと理智の力をかりて訂正してみるが、かえってそのために間違っている場合が多い。 ○ ある一つの世界から他の異なる世界へ行く時には、人間はちょっと面倒と苦痛とを感じるものである。これは、境遇の変化にともなう必然的の手段と苦痛とであって、ぜひもないことである。 人が死ぬる際、少なからぬ煩悶と苦痛とが伴うのもこれがためである。日本に住んでいたものが急に英国へ旅行した場合にもそうである。かたい文