* 自己紹介 *
適応障害で休職中な私、自己紹介します
noteをはじめて4か月
「あれ?そーいえば自己紹介してないぞ」と気づいた次第です
一方で
「いやぁ、誰も私のこと興味ないのでは」とも思ったり…
さんざん悩んだあげく
「ちょっと待て。
休職日記を書くようになってから
同じようにしんどい思いをされてる方が
読みにきてくださってるぞ」と思い
もっとパーソナルな部分、
生い立ちなどをオープンにした方が
適応障害になった背景や生きづらさを
理解しやすくなるかもなぁ、と思い
書いてみることにしました
いつも読んでくださっている方も
はじめましての方も
よかったら
読んでくださるとうれしいです!
私のパーソナルな情報
41歳、夫と息子(小5)・娘(小2)の4人家族。夫はクローン病という身体障害をもってます
石川県金沢市出身、25歳まで住んでました。今は関西在住です
幼少期~10代
物心ついてから「父が母へ暴力をふるい、母は泣く」という光景を見てきました
姉弟は、私・弟・弟です
小4の時に両親が離婚
小6の時に母がうつ病 → 中1の時に統合失調症になります。母はそのまま精神科へ入院
私+弟は、児童福祉施設へ入所
入所した施設は、お遊戯室・学習室も整備され、プチ学校?みたいな雰囲気
忘れられない思い出:中学生の頃、母が入院している精神病棟へお見舞いへ行ったとき。母は、私を娘だとも認識できない状態になっており、必死に「私はお母さんのこどもだよ」「はやく前のお母さんに戻って」とほほ笑みながら涙を殺したのを覚えています。
大学は理学部数学科。こんだけ感情人間なのに、なぜ数学科へ行ったのでしょう笑
20代~
23歳、母と暮らし始めますが、その母が亡くなります(享年47歳)。しかも弟の面前で、突然死にました
葬式の喪主は私。弟が葬式の場で「俺らの人生、まじでありえねー」と泣きながら笑ったのが印象的です
20代半ば、母と死別した悲嘆反応というやつでしょうか。うつ病になり心療内科へ2年間通院
この頃、クリスチャン作家の三浦綾子さんの作品と出会い、教会へ行くようになります
三浦綾子読書会で知り合った夫と結婚(なれそめはこちらの記事に)
30歳、臨床心理士養成大学院へ進学。修了後、臨床心理士・公認心理師の資格をとり、以降、心理士として働くようになります(現在は休職中)
noteで書いていきたいこと
病気、こころ
家族
聖書、三浦綾子さん
書くこと
私のnoteのスタンス
地の自分でいたいと思ってます
母として育児日記を書くでもなく
心理士として心理学の知識をレクチャーするでもなく
すべての役割を取っ払った、
私のこころの流れそのまんまを書いていきたいと思ってます
(……というか、育児も心理も、お役にたてる文章は書けるきがしません…😅)
亡き母と神への思い
母は亡くなる前日
私に2つの言葉をかけてくれました
「あやは、お母さんが拙い食事を作っても
いつも美味しいといってくれる。ありがとう」
そして、
「あやの車、エンジンが壊れたん?
修理代あるんか?
おかあさんの貯金、ちょっとあげようか」と…
なんや、書いてたら涙が出てきました…
******
母は、死ぬ直前まで
感謝と思いやりのある人でした
統合失調症であろうが、無収入であろうが
私はあの母を、亡くなった今でも尊敬しています
そして、この母の元に
子どもとして私を置いてくださった神に
心から感謝しています
おわりに
ざぁーっと書いてみましたが
最後は、
母と神への思いを書いて泣く、という
相変わらずの情緒不安定っぷりです…
自己紹介文
自分の精神状態が落ち着いたときに書こうかと思ったのですが
あえて一番こころがずたぼろな時に書いた方が、
自分の泥臭さが露呈されていいかなぁーと思い
このタイミングで書いてみました
こんな私ですが
ご興味のある方がいらしたら、
また読みにきてくださるとうれしいです (^^)
自己紹介文はやずたか様の記事を参考にさせていただきました◎
お人柄が見える文章で、しんどい状態にありながらも、微細な心の動きをなんともユーモアに書いておられ、いつも慰められてます。