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L' Astrologie Grecque

占星術は伝統的なものほど信仰的要素が強い。

その辺、特に疑問を抱かずロジックだけ覚え、的中してる間は問題ない。
だが一旦懐疑的になり、根拠を調査し始めると 迷信以外何も見つからない。

無論、事実から連想されるものとして、許容可能で妥当なものもある。

だが、大半は、知ると驚くほど幼稚な妄想を節操なく組み合わせたものを、
自慢げに主張しているのが、占星術師という人種だという事が判ってくる。

だが 計算は緻密で、異常に細かい事に拘る。

そして何かが抜けている。

この辺の事情と歴史について、1899年に刊行され、日本語翻訳もされ
出版されている、オーギュスト・ブーシェ・ルクレールによる名著として
名高い、L' Astrologie Grecque(ギリシャ占星術)が詳細に記述している。

日本では "西洋占星術の起源" というタイトルで出版されている。

私がこの本の原書を読んだのは二十代の頃だが、
その後の占星術の捉え方に寄与したように思う。

占星術を盲信する事が不可能になった。

オクトポス(8分割ハウス)の成り立ちに言及している資料は数少ない。
また、古代人の発想を美化しないという点でも貴重な著書だと思われる。

ロジック以前の占星術の成り立ちと歴史について知る事は重要かと思われ、
何を妥当とし、何を荒唐無稽とするか、自分のスタンスを知る事ができる。

占星術に興味があるなら、こういう事は まず知っておいた方がいい。

人によっては興味が失せるだろう。

根本的な事を知らないと馬鹿馬鹿しい論争を真に受けたりするし、
そもそも、そんな問題ではないような事に、結論を求めて苦しむ。

無知と妄信は 必ず不毛と幻滅に辿り着くし、時間が無駄になる。

信じるのは構わない。

信仰は個人のものである。
だが 他人に強要したり、吹聴して迷惑や誤解を齎していいものではない。

信じていないと事実と符合しないもの。
信じなくても事実と符合するもの。

前者は無くてもいい。

私は そう思う。

西欧中東が足しに足して付け加え、何でも受け容れていった占星術の歴史。
インドの宗教的な混ぜ方も、見境無さという点で少々辟易するものがある。

中国にも引き算はない。

何故 日本で天体とアングル以外の要素を排除していったのかが理解できる。

文化が違うのである。

疑問を抱き始めれば、事実に符合しないデータは増えていく。
事実を捉えるものだけに淘汰し、注意深く削ぎ落としていく。

迷信を切り捨てる。

同じか、それ以上に的中するならば、シンプルな方がいい。

信じなくても、的確に事実を描写するものだけでいい。

私は そう思う。