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毒親と呼ばないで

私は母親が大好きだ。
だけど、母親のことを恨んでいる。

私は物心ついた時から女の子らしい服装が好きだった。
ピンク色で、レースやフリルがついたワンピースにとても心惹かれた。
けど決して胸の内は明かしてはならない。

「なにそれ、気持ち悪い。」

母は必ず言う。
母とはとことん趣味が合わない。
好きな物も趣味も。
私がいいと思ったものは「気持ち悪い」と否定する。
いつしか好きな物も、欲しいと思ったことも、夢も口にしないようになった。
否定されるのが怖くて。
私が喋らなくなると、
「なんであんたはそんなに喋らへんの?!」
と癇癪を起こされる日もあれば、
「もっと話ししようや」
と泣かれる日もあった。

母は過干渉だった。
私の事、私に関わることはすべて知りたがった。
遊びに行く時は誰と、どこで、何をして、何時に帰ってくるというのを報告しなければならなかった。
それが大学生になっても続いた。

私が出かけている時は部屋に入り、机の中を漁った。
小遣いで買った机の中に大事にしまっておいたメイク道具。
「気持ち悪い」と言われて全部捨てられた。
友達との交換ノートも何を書いているかチェックされ、帰って来たら「これどういうこと?」と聞かれる。
高校生になったら携帯電話を持たせて貰えたが、それも当然中身をチェックされる。
机の中も、交換ノートも、携帯電話もすべて監視され、母親が気に入らなかったら責められる。
その時間がとても苦痛だった。
いつしか、
「今日はお母さん機嫌悪くありませんように。」
と祈りながら家に帰るようになった。
母親の「おかえり」の声で機嫌がいいか悪いかを瞬時に判断する。
母親のテンションが低いと

「あぁ今日は何を言われるんだろ」

と一瞬で頭の中を巡らせる。
その瞬間が一日のうちで1番緊張した。
母親に反対されないよう、機嫌が悪くならないように動く。
そうしているうちに私はどんどん嘘つきになっていった。
だんだん嘘をつくことに罪悪感はなくなっていき、それに比例して自己肯定感も下がっていく。

勉強の問題集も定期的にチェックされる。
少しでも間違えていると
「なんでこんなんも分からへんの!?」
と頭ごなしに叱られる。
私は算数が大の苦手だったが、叱られれば叱られるほど頭の中はパニックになり、余計分からなくなった。
その姿を見て母親も苛立つ。
地獄のような時間だった。

ピアノの発表会でミスをした。
一生懸命練習してきた大好きな曲だった。
しかし本番は緊張して、いつもはしないミスをしてしまった。
発表会が終わって、駐車場を歩いている時に母親に言われた。

「あそこ間違えてたな。」

頭を殴られたような、突き刺さるような、何とも言えない鈍痛がした。
その時に悟った。

「私はミスしてはいけない。」
「完璧じゃないといけない。」

おかげで何をするにも用意周到になった。
まわりの友達からは飽きるくらい「努力家だね」と言われてきた。

あの人のような母親には絶対なるまい。
そう考えながら大人になった。

無理だった。

育児をしていたら、自分に母の影が見え隠れする場面が幾度となくあった。
悔しいことに、あの頃の母親の姿を背負って私も母親になっている。
それに気付く度に落ち込んだ。

だけど、母親のことが嫌いかと言われればそうでは無い。
大人になってからは、むしろ大好きだ。
きっと、だからこそ辛いのだ。
完全に嫌いになれたらもっと楽だったかもしれない。
母が厳しくするのも、あの行いにも、全部愛があったことを知っている。
愛されていたことが分かるから余計辛いのだ。

育児をしていると、自分も子どもに「完璧」を押し付けてしまうことがある。
自分の思い通りにならないと子どもの前で機嫌を悪くしてしまう。
そしてなかなか切り替えができない。

自分と子どもは違う人間であること。
子どもは私の所有物では無いこと。

子が生まれる前に何度も頭に叩き込んだはずだ。
しかしいざ育児をしていると、子どもと自分との境界線が分からなくなる。
「あぁこんなのあの母親と同じだ。」
そう気付いてまた落ち込む。

幼い頃のあの日、あの時、私は母にどうして欲しかったのか。
どうして欲しくなかったのか。
過去を振り返るのは辛いけど、あの時に戻って考えるようになった。

好きな物や私のことを肯定して欲しかったわけじゃない。
ただ、否定して欲しくなかっただけ。

「心配してるから。」という言葉はいらない。
ただ、信頼して欲しかっただけ。


私は母に認められたくて頑張るのを思い切ってやめてみることにした。
とはいっても
「これ私がしたらこの人はどう思うか」
という思考のクセは抜けない。

「〇〇しない」だと難しい。

だから逆に、

「これをしたらこの人は嫌な顔をするかもしれない。きっとするだろう。」

ということを敢えてしてみることにした。
大胆な発想だが、意外とこれが効く。

「母親なのに休日に子供預けて遊びに行く」
「母親なのに露出の多い服を着る」
「母親なのにご飯を作らない」
「母親なのに自由に自分の欲しいものを買う」

思い切って行動することで、
「これをしたら嫌な目で見られるかも」
と思っていることが意外と周りの人はそんなに気にしてなかった、と気付くことも多い。

そんなふうに、誰かの言葉じゃなく、自分で選んで人生を創っていく。

母とはいろんなことがあった。
今でもいろんなしがらみを抱えて生きている。

でもすごくすごく愛されて育てられたことは間違いない。
だからこそ辛いのも事実。

きっとこの先も母との関係はいい時と悪い時があるだろう。
全部許そうとするから辛い。

許せないことがあっても、
思い出して苦しくなっても、
立ち止まってしまっても、
過去に引っ張られる日があってもいい。
逆に母のありがたみを存分に受けて、感謝が止まらない日があってもいい。

あの人は「毒親」かもしれない。
だけどやっぱり私は母親のことが大好きだ。
きっとこれからも母に対する感情の波は大きいが、それでも今を生きて進んでいかなければならない。
時間はかかるが、あの頃の小さかった私の心の傷を今、癒していき、少しずつ大人になろうと思う。

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