施しの気持ち『菜根譚』
こんばんは、あらたんごです。
皆さんは『菜根譚』という中国の古典をご存じですか?『論語』が道徳の名言集、『孫子』が謀略の知恵袋だとすれば、『菜根譚』が処世訓(社会生活をしていく上で役に立つおしえ)の最高傑作と言われています。
この文献の中で昨日投稿した記事に関係する条を取り上げ、解説していきます。
前集五十二
〖書き下し文〗
恩を施す者は、うちに己を見ず、外に人を見ざれば、即ち斗粟も万鐘の恵みに当たるべし。物を利するものは、己の施しを測り、人の報いを責むれば、百鎰と雖も一文の功を成し難し。
〖訳〗
恩を施す者が、心の内にその自分を意識せず、施す相手の感謝などを意識しなければ、たとえ斗粟(わずかな施し)であっても、それは万鐘(莫大な恩恵)に値する。利益を与えようとする者が、自分の施しの額を計算し、施した相手からの報酬を求めるようであれば、たとえ百鎰(巨額のお金)を与えたとしても、それは一文の値打ちにもならない。
※斗粟…十升ほどのわずかな穀物 。ここでは、少ない施しのこと
万鐘…数えきれないほどの多くの穀物。ここでは莫大な恩恵
百鎰…巨額のお金。一鎰=二十三両
私は、他人に対して「あれをやってあげてんねんからなんかないんか?」というような見返りを求める経験があります。
皆さんはどうでしょうか。
この条を読んでわかるように、そんなことを考えるんだったらやらない方がましだということがわかります。
また、見返りを求めず自分のために何かを施してくれている人の存在に気づくきっかけを与えてくれます。
人は、相手にしてもらったことは忘れがちで、してあげたことは覚えている方が多いと思います。
穏やかな心をもって生活していれば、いつか価値のあるものが手に入るのかもしれませんね。