2024年9月の記事一覧
シン・現代詩レッスン60
富岡多恵子『返禮』
『現代詩手帳 2023年9月号』が富岡多恵子特集だった。アンソロジーを編集したのは伊藤比呂美でこの詩はいいと思った。富岡多恵子が観念語を使う詩人ではなく日常語で比喩も少ないという。詩そのものが比喩というのか問いなのである。
タイトルの漢字意外に難しい言葉はない。タイトルも旧字で書かれているから難しく感じるのであり、新字体では「返礼」だ。ざっと読んで「あい」のことを言っている
シン・現代詩レッスン59
吉野弘『I was born』
現代詩のアンソロジーを探して、中西進『詩をよむ歓び』を図書館から借りてきた。詩と共に中西進の解説。この詩では、母性の尊さを問うが、それは『万葉集』の研究者らしい詩の読み方なのかもしれない。母性について、考えてみたいのは、今の時代子供を産むことが合理的なことなんだろうか?と思うからだ。非合理なことでも本能として備わっているのかもしれない。その不合理なことを詩は讃歌と
シン・現代詩レッスン57
スチユアル・メリル『沈みし鐘』永井荷風訳
沈鐘伝承は、泉鏡花にもあるが鏡花は姫だったのにこの詩は王だった。鐘が権力の象徴となるのは、時間の支配する者だからか?
海の底というのがポンペイとかのイメージなのか。あれは火山に覆われて後に海に沈んだのか?しかし、イメージとしてはポンペイだと思ってしまうのはそれしか知らないからだろう。鐘が日々の生活を伝えていたのに突然途絶える。原爆の時計とか、東日本大震
シン・現代詩レッスン56
エミル・ヴオオケエル『音楽と色彩の匂いの記憶』永井荷風訳
「音楽と色彩の匂いの記憶」とか書くと村上春樹の作品にありそう、と思ったのは最近『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだからだろうか?春樹の小説は無臭性かもしれないが。
いつも聞いている「ジャズ・トゥナイト」「特集・バド・パウエルとビバッパーたち」でパウエルのブルーノート第一集の「ウン・ポコ・ローコ」がかかった。パウエルのピア
シン・現代詩レッスン55
ポオル・ヴェルレエン『ましろの月』永井荷風訳
月の色。ポオル・ヴェルレエン『ましろの月』、永井荷風訳『珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選』から。ボードレールにも『月の悲しみ』よいう詩が入っていてフランス人も月が好きなのか?と思ったが荷風が月が好きなんだろう。
それほど複雑でもないが、単純さの中に趣があるとすれば「ましろ」という文語か。「枝々のさゝやく声」も妖精っぽい。「あゝ愛するものよといふ。」のも、
シン・現代詩レッスン55
ボードレール『秋の歌』永井荷風訳
永井荷風訳『珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選』から、ボードレール『秋の歌』。初心に還ってボードレール。やはりこのへんの近代詩が好きなんだよな。
永井荷風の文語詩は近代を感じさせる。ちなみにルビは本に則って付けたもので永井荷風が付けたのではなく、岩波書店の編集者が付けたと思われる。永井荷風は文語だけどわかりにくということはない(詩的言語的わかりにくさはあると思うが)。
シン・現代詩レッスン53
吉野弘「生命は」
前半は乙女チックすぎたけど後半の「好餌」が良かった。「夕焼け」の娘よりもしたたかな婆さんの方が好みだった。詩は後世の娘たちの贈り物というような詩集だから理想的な綺麗な世界で描かれているが老いた身には辛い詩が多いような。
何気ない情景から、このあとに二人目のとしよりが現れ三人目のとしよりが娘の席の前に立つのだ。
娘は本当に可哀想なんだろうか?立っていればいいだけの話じゃないか
シン・現代詩レッスン53(八月の詩)
百人一詩
百人一詩(40まで)
白衣の異人
白衣の異人(シン・現代詩レッスン44)
今日も金を恵んでもらいたいと座っている。
汚れたTシャツの絵はロックスター
しけた顔の目が突き刺す
駅への乗降客は蔑んで一瞥もしない
子供たちが物珍しそうに彼らについて質問する。
ママ、あの人どうしちゃったの?
迷路を嘲笑う腹いっぱいの男はお前だ。
べとついた汗で隣の女を抱きかかえるゴースト
二人の道化
シン・現代詩レッスン51
ボードレール「踊る蛇」
昨日(8/30)もボードレールを使いながら修羅雪姫をやったのだが、ボードレールにはさらに修羅雪姫にピッタリな「踊る蛇」という詩があることを知った。これはボードレールがジャンヌ・デュヴァルと性行為するのに、ジャンヌにいかがわしい踊りをさせるのだった。蛇のように腰をくねらせて男を誘うポーズというような。通常の彼女が好きな民謡調の踊りではない。
「踊る蛇」はゲンズブールやレオ