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シン・現代詩レッスン56

エミル・ヴオオケエル『音楽と色彩の匂いの記憶』永井荷風訳

「音楽と色彩の匂いの記憶」とか書くと村上春樹の作品にありそう、と思ったのは最近『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んだからだろうか?春樹の小説は無臭性かもしれないが。

いつも聞いている「ジャズ・トゥナイト」「特集・バド・パウエルとビバッパーたち」でパウエルのブルーノート第一集の「ウン・ポコ・ローコ」がかかった。パウエルのピアノからは強烈な色彩と匂いを感じる。

それは悪魔に魂を売り飛ばしたような呪術性と欲望なのかもしれない。なんの欲望だろうか?黒人としての欲望だろうか?奴隷以前のアフリカでの生活や自然の歌と踊り。

音楽と色彩と匂いの記憶

音楽と色彩と匂いの記憶われに宿る。
逝きし日を呼び返さんとせば、
花をつみとれ。わえに匂いの記憶あり。
音楽の記憶われに宿れば、
あやしき律のうごきは
ノスタルヂアのわが胸に昔を さます。
花をつみとれ。楽を かなでよ。
何人か、何事か。忘れしものを思起こすに、
われには色の記憶あり。
われ 思出 おもいい、紅の黄昏に、
わが恋人は打笑みわれは泣きけり……….
われいは色の記憶ぞ宿る。

エミル・ヴオオケエル『音楽と色彩の匂いの記憶』永井荷風訳

荷風が記憶を呼び覚ましたのは東京の下町の色街だろうか?三味線の音が聴こえるような気がする。それが荷風の翻訳詩だ。

色は女との記憶であり、それは過去には欲望だったものが母性的な包容力となっていくのは音楽の力だろうか?

ジャズと踊り子と赤い汗の記憶

多少の変人ウン・ポコ・ローコ 、ピアノ弾き
過去を呼び覚ます呪術家
花を捧げ、太鼓を叩け、散る花びら

多少の変人ウン・ポコ・ローコ 、悪魔のジャズ
生贄の血、犠牲の山羊、踊れ!踊れ!
ノスタルヂアが黒い聖者を呼び覚ます
ドラムよ続け、カンカン踊り

多少の変人ウン・ポコ・ローコ 、音の魔術師
紅のお陽さま、海に沈むときまで、踊り続けろ!

やどかりの詩


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