
シン・現代詩レッスン57
スチユアル・メリル『沈みし鐘』永井荷風訳
沈鐘伝承は、泉鏡花にもあるが鏡花は姫だったのにこの詩は王だった。鐘が権力の象徴となるのは、時間の支配する者だからか?
われは過ぎ去りし太古の世の君王にやあらむ。
其国の都は海の底に沈みて音もなし。
黒がねの声なき鐘も過ぎし世には幾たびか
響も高く幾代の春を告げわたりしに。
海の底というのがポンペイとかのイメージなのか。あれは火山に覆われて後に海に沈んだのか?しかし、イメージとしてはポンペイだと思ってしまうのはそれしか知らないからだろう。鐘が日々の生活を伝えていたのに突然途絶える。原爆の時計とか、東日本大震災での時計とかあったような気がする。鐘はそういう時を示さないがより神話的に感じるのはそれを人為的に撞いていた人がいるからなのか?
我は鬼の子童子
姫の依頼で鐘を撞く
水に沈む黒鉄の鐘
その響は神話の中で蘇る
鐘を撞くという漢字の中に童がいるのは、役目としての童子だったという。それは仏教的意味でも童子は鬼(貴賤が関係している)の子だったのかもしれない。
われは幾代のむかし消え失せし
あまたの妃の名をも知りたりけむ。
その静けさき夜半に散り失せし
萎れたる花にも似たりける。
『沈みし鐘』の姫は王の愛人の一人に過ぎず、その名も知られることなく、夜の闇に消えていく。萎れたる花という有り様なのである。彼女が輝くには王の叛徒となる「女禍」として(「女禍」の本来の意味は女神を表すのだが橋本治『双調平家物語』では、女は禍の叛徒となっていく)、王に巻かれるよりも王に巻き付く渦潮となるほかないのかもしれない。それは 運命の女として生まれなければなるまい。
湖の底で鐘を撞く。
底なし闇は渦を巻き
女禍姫は叛徒となる。
ひっくり返すは王の時間
渦潮は非可逆性の闇の世界へ。
咲くは 運命の女の水中花。
過ぎし幾代の春を告げたりし黒がねの声。
今その鐘は沈みていづこに在りや。
我こそは 実に、その国の都は海の底に沈みて声もなき
過ぎにし太古の代の君王なりけれ。
沈んだ鐘と共に一つの王国が消滅したがそれを神話として詠う鎮魂歌なのか?黄泉の王となった一つの王国が詩として歌われるのだ。
湖畔の木々の鳥たちは歌う。
黄泉に沈んだ叛徒の姫を、
我こそは 実に、その鬼の子童子。
忠実なる姫の下僕。