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シン・現代詩レッスン58
ライナー・マリア・リルケ『秋』富士川英郎訳
『リルケ全集』が古本屋で100円で買ったのだが積読のまま忘れていた。たまにページを捲るといい詩に出会える。
秋
木の葉が落ちる 木の葉が落ちる まるで遠くから降るかのように
大空で いくつものはるかな庭が枯れたかのように
木の葉が落ちる 否定の身ぶりでひるがえり落ちる
翻訳でも木の葉がくるくるまわっているように落ちる感じだ。次々と休みなく、そうして秋は過ぎていく。「否定の身ぶりでひるがえり落ちる」はどういうことだろう。まだ散りたくはないと思いながら落ちていく木の葉なのだろうか?
ばっさばっさ伐採だ
用済み老木の桜なんて折れやすいったらありゃしない
もう寿命なんだ、あきらめろ、切り株には太陽の光線 また苗木を植えれば十年もしないうちに育つよ。ばっさばっさと伐採だ
そして夜々には 重い地球が
ほかのすべての星から離れ 孤独のなかへと落ちる
われわれはみな落ちる 見よ この手も落ちる
ほかのものたちを見るがよい 落下はすべてのうちにある
第二連と第三連でガラッと変わる。落葉が普遍であるかのような、しかしそれは堕天使としての我の孤独なのだ。神に見放された者、その落下は砂時計のように完全なる神の世界から崩壊していく時間なのかもしれない。
そして夜々には、住処を失った鳥が
夜空を飛び続けて、孤独の中へ落ちていく
崩壊していく世界よ、崩れていく時間の渦、砂時計の残された有限性の中で
ほかのものたちを見るがよい 落下はすでに始まっているのだ
あまり変化はなかった。ほぼなぞるだけのような。
しかしひとりのひとがあって
この凋落を かぎりなくやさしく両手のなかに受け止めている
これはイエス・キリストだろう。ただ上手いよな。こうはなかなか書けないな。神を信じるものではないから。
しかし一羽の鴉がけたたましく鳴いて
音痴な歌を歌っている そこは取り残された切り株の上で