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エッセイ

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#リカバリー

今年の振り返り 2023年

今年の振り返り 2023年

毎年、大みそかのこの時間夕方6時頃に、ひとりで一年を振り返っている。noteだと公開が前提になってしまうので、書けることと書けないことがある。だから、以前は他の非公開のブログに書いてみたりもしてきた。
でも、今年はここにずっと書き続けてきたので、noteに書こう。

満足だったかと問われれば、今年はとても満足だった。気持ちの満たされ方は、これまでの人生で一番かもしれない。
その理由の一つは、自分で

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私の日記をリカバリーの物語として読む① リカバリーとは?(差替掲載)

私の日記をリカバリーの物語として読む① リカバリーとは?(差替掲載)

私が、退院後の日記を整理して、noteに掲載しようと思ったはじめの理由は、「同じような経過をたどる誰かの力になればいいな」でした。
私が発病した時には、インターネットやSNSは今のようには普及しておらず、情報は本から得るしかありませんでした。私の文章が、かつての私が欲しかった「見通し」や、「他の人はどうしているのだろう?」に少しでも答えられれば、そんな気持ちで日記を公開してきました。
でも、やって

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膠原病 気持ちのリハビリ記録 | 退院して二カ月までの生活【その16】『どこにでも自由に行きたいなあ…』

膠原病 気持ちのリハビリ記録 | 退院して二カ月までの生活【その16】『どこにでも自由に行きたいなあ…』

🔹乗ってみたい車のイメージを描いてみた日◎ランクル70

私の中にある車の原型はランクル(トヨタ ランドクルーザー)70。免許を取る少し前、初めてかっこいい…と憧れた車がこれだった。将来これに乗りたいなあとイメージしていた。
釣り道具とテントと鍋釜を積んで、砂浜を海際まで入って行きたかった。

頑丈で壊れない。不得手な地形がなくて、どこまでも走れる。飾り気のない機能美。広い窓。四角い車内空間。

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その15】 復職後一カ月『求める自由 どこにでも行ける道具がほしい』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その15】 復職後一カ月『求める自由 どこにでも行ける道具がほしい』

思うように歩けなくなった。電車に乗るにも、バリアがたくさんある。バイクにも自転車にも乗れなくなった。今、辛うじてできるのは、近距離の車の運転練習くらいだ。
手段がないだけではなく、出かける体力もない。これから先は、いつ悪化するかわからないから、遠出は難しいのかもしれない。

そんな、外出や移動の自由を失ったことが、鬱々とした気持ちの原因のひとつなのだろう。
何だか監禁されているような気分。閉じ込め

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その14】 復職後一カ月『うつの日内変動を何とかしたくて、プールに行ってみた』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その14】 復職後一カ月『うつの日内変動を何とかしたくて、プールに行ってみた』

🔹「本物の自転車」に乗ってみた休日入院中から「気分をアップするのに効果的かも。有酸素運動のせいかな?」と思っていた自転車。いよいよ、本物の自転車に乗ってみた。
私は自転車を持っていないので、知人の自転車を借りて、車が来ない道で跨った。サドルに座るのは、久しぶりの感覚。何だか初めて自転車に乗るような気分で新鮮だった。

恐る恐るこぎ出してみる。

足が何度もペダルを踏み外した。
足の位置感覚がマヒ

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その13】復職後一カ月『うつの日内変動の原因と対策を考えてみた』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その13】復職後一カ月『うつの日内変動の原因と対策を考えてみた』

前回は、うつの気持ちのアップダウンの様子を書いた。今回はこれまでの様子を振り返り、日内変動の原因と対応策のヒントを探ってみたい。

🔹気持ちが下がる要因は何か?(1)入院前~入院中のこと

①ステロイドの影響
全身が重くなったり、気持ちのアップダウンは、入院中にもあった。
退院後の生活は条件が複雑なので、何が原因なのかを推察しにくい。一方、条件が安定がしている病院でも、同じようなことが起きていた

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その12】 復職後一カ月『うつの日内変動を何とかしたい』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その12】 復職後一カ月『うつの日内変動を何とかしたい』

🔹全身の倦怠感

全身の倦怠感。これを何とかしたい。体だけではなくて、気持ちがザックリと削がれる。こいつに支配されたら、自ら命を絶ってしまうかもしれない。今はあり得ないと思えるけれど、本当に堕ちた時には、周囲が見えなくなるのだろうから。
そして、気持と体どちらが先かは分からないが、「気力が起きない」と「動くことができない」が連動している。
入院中の他の患者の話や、前の職場のスタッフの経験談から、

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その11】 復職後一カ月『孤独感と救い』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その11】 復職後一カ月『孤独感と救い』

隣りの部屋から、スタッフの楽しそうな笑い声が聞こえる。

週に1回、残務の片づけに、前の職場に行っている。今日は、スタッフルームの隣りの会議室で、一人で大量の本を積み上げて、リスト化する作業をしていた。
週末で疲れがたまっている。睡眠不足で、風邪が抜けていない。
最近、仕事中の短時間の間に、感情の波が上下する。今日は全身が重くて、気持ちが沈んでいた。

スタッフは誰ひとりとして、私に話しかけはしな

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その10】 復職後一カ月『予後の中で夢を描けるか』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その10】 復職後一カ月『予後の中で夢を描けるか』

🔹自分の病気の本を読む
今日も電車の中で、そっとその大判の本を開いた。毎日、仕事帰りの電車の中で、自分の病気についての本を、少しずつ読んでいる。私が電車に乗るのは,まだ明るい光がある夕方の時間だ。上りの電車は、高校生や子ども連れのママが乗っているくらいで、空いている。私の乗車時間は約20分。だから数ページずつ読んでいる感じだ。
いつも電車の中で読んでいるのは、一人で読むのが怖いから。その本には、

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その9】 復職後一カ月『聴けない歌』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その9】 復職後一カ月『聴けない歌』

その歌を、退院した後も今日まで、怖くて聴けずにいる。

 あの感覚を思い出すのが嫌だった。時間や体が半年前に戻ってしまうかもしれないという、漠然とした不安がある。聴いてみれば、何ということはないのかもしれない。でも、やはり怖かった。

それは、たまたまついていたテレビから流れた、青山テルマの「そばにいるね」だった。体が無意識に反応して、動悸がした。視野が急速に後ろに遠ざかっていくような感じがした。

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その8】 復職後一カ月『歩けていないのに走る練習を始めた』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その8】 復職後一カ月『歩けていないのに走る練習を始めた』

まだ安定して歩けていないけれど、走る練習を始めた。
医学的な裏付けは、ない。
三十代半ばの主治医に聞いたら、たぶん困った顔で「望ましいことではありませんね」と言うに違いない。
退院からちょうど一カ月、復職から二週間たった頃だった。

私の中にあった走る練習を始める根拠は、「骨振動等の代替の感覚で足の位置を脳が再学習するのであれば、骨や関節に伝わる振動は強い方がいいだろう」。それと、「足にどのくらい

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その7】 復職後一週間『不安の中で確かめる自分の足あと』

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その7】 復職後一週間『不安の中で確かめる自分の足あと』

復職して最初の一週間、確かなものはまだ何もなかった。

🔹  🔹  🔹

毎朝、5時半頃に自然に目が覚めた。病院での生活リズムのせいもあるけれど、久しぶりの社会生活で、気持ちが昂っていた。
 
リハビリのペースは崩したくなかった。リハビリだけが自分の拠り所のような気がしていたから。だから、起きてすぐに冷たい水で顔を洗って、硬い木の柄がついた、黒い金属の杖をつかんで、外に出た。
 
この杖は、

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気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その6】 復職後、はじめての仕事 私のトリセツ作成

気持ちのリハビリの記録|膠原病退院後の生活【その6】 復職後、はじめての仕事 私のトリセツ作成

自宅から一番近い事業所にデスクを置いてもらい、当面の居場所ができた。所属があるのは、社会の中に居場所を見失っていた私にとっては、嬉しいことだった。

ただ、本当にやるべき業務はなかった。

新たな職場の机の前に座り、自宅から持ち込んだIBMのノートパソコンを開いて、何をしようか?と考えることになった。そんな風にして、私の復職生活は始まった。

🔹  🔹  🔹

本社からは、「何時に出勤して、

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気持ちのリハビリの記録|膠原病 退院後の生活 <まえがき>

気持ちのリハビリの記録|膠原病 退院後の生活 <まえがき>

🔹封印して見ないようにしてきた時期
私のnoteに退院後の日記がこれまでなかったのは、その時期を振り返るのを、気持ちが避けてきたから。たぶん、言葉では表せないほど辛かったのだ、と思う。

入院で病名は明らかになって、ステロイド・パルス療法で病気の進行を食い止めた。そんな状態で病院を出て、一般社会の中に戻って来た。治ったわけではない。
体はまだ自由に動かないし、症状悪化のリスクと、免疫抑制で感染症

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