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読書メモ『会社を辞めて生き方を変えることにした: 惰性で生きてた僕が、一度きりの人生の生き方を変えるまでの話』

こんにちは!オンラインで日本語を教えているErikoです。

今日は新しい読書メモです。
私はこちらの記事でも書いたように、普通に会社員として就職してから、いまいち環境に適合できず悩みの多い日々を送ってきました。
(休職中の過ごし方などはこちらの記事にも書いています)

その中で
「そもそも何のために働いているんだっけ」
「何のためにお金稼いでるんだっけ」
「一生懸命働いても、お金が増えても、
幸せに近づくどころか遠のいている気がする」
「何か、資本主義に踊らされているんじゃないか」

と、立ち止まって考えることが増え、資本主義や脱成長などのテーマについての本をたくさん読んだりもしていました。
「休職中の過ごし方」では、その時期に読んでとても役に立った本も紹介しました。

その中で今日は、Xで知った「すずひら」さんという方の本を紹介したいと思います。著者はこんな方です(Xのプロフィールのリンクです)https://x.com/suzuhira_1
プロフィール文を引用させていただきます。

「惰性で会社員を続けていたものの、一度きりの人生なので好きに生きようと決めて、会社を辞めて文章を書いたり読書したり散歩したりしています。自分の経験や考えを発信しています。」

著者のすずひらさんが、タイトルの通り、会社員をやめて今の生活に至るまでの経緯をとても明晰な分析と言語化で語ってくれています。
自分にはあまりにも共感するところが多く、首が取れそうなくらい頷きながら読みました。


そもそもこんなにサービスや商品、必要ですか?

私はもともとIT畑にいた人間なのですが、webのサービスやアプリにしても、それ以外(例えばお菓子とか)にしても、

こんなに色々必要????

と思うことがよくあります。
例えばSaaS(Software as a serviceの略。インターネットを介して利用できるサービスのこと。Gmailなども含まれます)業界、近年それなりに盛り上がっており、日々たくさんのサービスやプロダクトが生まれています。

ですが、、正直、多すぎない?と思うことが多いです。

そして、選択肢が多すぎると選べない、というのは人の性です。
なので、「どのSaaSを選べば良いか選ぶためのSaaS」なんてのも登場しています。なんだか、どことなく漂うマッチポンプ感…。
これも社会が進んでいく上で避けて通れない流れなのかもしれないですが、課題が減ったのか増えたのか、正直わからないな、、なんて思うこともしばしば、です。

日常の消費財にしても、こんなにたくさん、期間限定商品、新発売の味、などなど…確かに楽しいかもしれないけど、でも、別になくても良いよね…と正直思うことのほうが最近は多いです。
どちらかというと生活の中でノイズになっているという気持ちです。
そしてすずひらさんも、似たようなことをおっしゃっています。

そもそも、なぜ働かなければならないのだろう。もう世の中には物やサービスが溢れているというのに。溢れすぎててうるさいぐらいだ。さらに物やサービスを増やすよりも、むしろ減らしたほうがいいぐらいに僕には思える。 個人的には、図書館で本を借りて読んだり、のんびりと散歩したり、景色を眺めたり、大切な人と一緒に楽しい時間を過ごすだけで満足だ。なのになぜ、あくせく働いて物やサービスをもっとたくさん作って、ますます世の中をうるさくしていかないといけないのか。

会社を辞めて生き方を変えることにした: 惰性で生きてた僕が、一度きりの人生の生き方を変えるまでの話 (p.111). すずひら出版. Kindle 版.

たくさん働いて金を稼ぎ、稼いだ金を使ってたくさん消費する。もはや「稼ぐこと」と「消費すること」それ自体が目的であり、その循環をすることが現代人の正しい生活様式みたいな風潮もある。でも、人間の幸福ってそういうことではないのではと思える。のんびりと自然を感じたり、物を考えたり、大切な人と過ごしたり。そういうところにこそ幸福はあるように思える。金なんかではなく。なのに今の社会を見渡すと、金を稼ぐための仕事に人生の大半を捧げて疲弊してる人ばかりじゃないか。もちろん自分もその1人だ。 こうやって改めて「働く意味」みたいなことを1から考えていくと、すごく疑問だ。なぜ人生の大半を捧げて疲弊して、適応障害なる診断を受けるに至るまで僕は働いてきたのだろうか、と。

会社を辞めて生き方を変えることにした: 惰性で生きてた僕が、一度きりの人生の生き方を変えるまでの話 (p.112). すずひら出版. Kindle 版.

今、関東近郊の地元と東京を行ったり来たりする生活をしていますが、東京の街中を歩いていると本当に、情報量の多さ、広告の多さに疲れてしまいます。少し離れる時間があると余計にそう思います。
公共交通機関を利用するだけで、ここまで大量の広告に、
「もっと綺麗になってください」
「もっとお金を稼いでください」
「もっと成長してください」

と半ば脅迫されるのは異常なのでは、という気持ちすら持っています。

資本主義の回し車の中で、ただ目的もわからないまま、みんなが走っているから走っているだけだったんじゃないか。

とはいえお金と物やサービスの交換が前提で成り立っている世界では、最低限は必要なのですが、手段であって目的ではないんだよな…という当たり前のことを頭ではなく体で理解したのがここ2年くらいの変化でした。


会社員をやっていく中での違和感

もう一つ、印象に残ったのはやはり仕事に対しての考えです。
私は学校を卒業してもう6年半が経ちましたが、紆余曲折あり3社で働き、今はブレイク期間+オンラインで日本語を教えながらなんとかやりくりしています。

それぞれの会社で、合わなかった理由や合わなかった人、個別の話もありますが、そもそも会社員という働き方に共通することってありますよね。
それを本の中で言語化してくださっていてなんだかスッキリする気持ちでした。

「なんで俺、給料に見合わない責任とストレスを背負いながら、週5日間も朝から晩まで必死に他人の事業に人生の時間を捧げてたんだっけ?」
「なんで労働者の俺が、経営者である役員に対して必死にプロジェクトの概要を金のことまで含めて説明して、上から目線の了承を得るために努力しないといけないんだ? 会社のことが自分事な経営者の中で勝手に決めればいいじゃん。で、労働者へ概要を説明して労働のお願いをしにくればいいじゃん。職責と給料に見合った範囲の労働かチェックして、了承できればやってあげるから」

会社を辞めて生き方を変えることにした: 惰性で生きてた僕が、一度きりの人生の生き方を変えるまでの話 (p.98). すずひら出版. Kindle 版.

「資本家」が「労働者」を使って事業をする、という構造が明らかだった時代と違い、今はそこが結構曖昧になっているなと思います。
そして1社員にも、
「自分ごととして考えろ」
「オーナーシップを持て」(同じことか)
「経営者目線を持て」

などの言説を聞いたりします。

…いや、無理でしょ。普通に考えて。だってオーナーじゃないし。

オーナーのメリットはなく、責任やマインドだけオーナーシップをもて、と言われても、それは果てしなく「使う側にとって都合の良い人間」になるだけではないかと思うのです。

そして、今転職活動中の自分として考えると、
「いや、なぜうちの会社が良いですか?って、それはこっちが聞きたい、こっちは生活の相当な時間を費やすことになるんだから、なぜこの会社がいいのかプレゼンしてくれ」
くらいの気持ちにすらなることがあります。(とても口には出せませんが。。)

ただ、本音と建前を使い分ける必要がどうしてもあるとしても、
心のどこかで、これくらいの気持ちは持っておいたほうが気持ちが楽になるのではないかな、と思います。

最後に


ここでは書ききれないのですが、本の中では、中学時代まで遡って、その時その時でどう考えどう行動してきたのか、その結果どうなったのか…
ということをについて、本当にわかりやすく語ってくださっています。

続編も執筆中とのことですので、会社員をやめた後の生活についても、いつか詳しくお聞きできる日が来ると良いな、と思います。

読んでくださった方、ありがとうございました!
また次回の記事でお会いしましょう!




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