死にたいは生きたい。
こんにちは、あまたつこと大澤です!
いつからか分かりませんが、死にたいと頭をよぎるのが日常になりました。
もちろん毎日死にたいとよぎるわけでなく自分の抱えているタスクという荷物が重くなるにつれてやってきます。
でも僕は生きたい。
そんな矛盾を抱えております。
自分では処理が不能になった時が一番よぎります。「体調良くない時に頑張ってみたけど上手く行ってるのかわからない」などモヤモヤした時に来る。
職場で仕事場のリーダーに「死にたいと思いながら作業してるんですよね」って勇気を振り絞って話しても「俺も死にたい時はあるよ」と返されるのがオチ。
死にたい。
普段は講演会を行っていますが、死にたい気持ちを抱えながら今月5件程看護学生さんに向けて話しました。
結果はどうあれ頑張りました。
自分で慰めながらやっています。
まるで海で溺れた気分になり、必死にバタバタしながら酸素を吸ってる感覚です。
でも逆に死にたい時が一番生きたいときじゃないかって。
生きたいと抗っているとき、一番死にたくなるのかなって思います。
僕は自称頑張り病です。
何か活動していないと気持ち悪い感覚になります。大きい講演会が終わり1週間過ぎて、「コミックエッセイを作ろう!」と衝動的に考えてしまいました。
X(旧Twitter)で統合失調症のイラストレーターさんを探し奇跡的に出会い意気投合して、『実は僕、統合失調症なんです!』を再び作ろうとしています。
1週間ひたすら絵や吹き出しの指示を毎日やっていたら、希死念慮(死にたいという気持ち)がやってきました。
どうデータを扱って、どういう工程で、どう出版すればいいか分からない状態で作業が進んでます。
PCで編集に詳しい方に相談しますが、基本的に分からないことだらけ。
インボイス制度が始まり不安が強くなります
はたして出来るのか
もがいています。
死にたいは生きたい。
これから僕は死にたい気持ちを抱えたまま、作業を進めることになります。
働いてない知人が心穏やかで羨ましくなりますが頑張り病の僕には遥か遠い世界です。
そんな知人に死にたいと思ったことがあったのか聞いたら「鬱が辛くてひたすら寝ていた時代もあったよ」
なんと!
死にたいと思いながら活動できる自分って恵まれてるんじゃないかないかと思えました。
そして死にたいというのは精神医療的にも悪く思われがちですが、
脳が「これ以上頑張るとダメだよ!」とサインを送ってくれていると。つまり生きるための機能なんだと。
それを意識してコミックエッセイの仕事を1週間お休みしただけでなく、作成の打ち合わせを毎日朝、昼休み、夜から週に4日だけにしようと考えるようになりました。
死にたい気持ちは少しずつ減ってきました。
死にたいと思うのはしんどいですよね。
もっとちゃんと生きなきゃと思いがちですが、死にたいくらい頑張って生きているこに向き合っているのを理解することが大切です。
あぁ自分って頑張ってるんだなと。
死にたい気持ちを消す方法は分かりません。ないに越したことはありますが、避けて通れない道かなと思う場面もあります。
辛い時は思い切って手放す勇気が必要だと思います。
僕はコミックエッセイ作りを少し手放して少し楽になりました。
活動をゼロにはしたくないですが、病まない程度にしようと思います。