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【ダイエットインストラクター奮闘記】ただの障害者だった頃の僕は人生に迷子だった

こんにちは、あまたつです!

今日からただの障害者だった僕がダイエットインストラクターとして活躍するまでの過程を書いていきます。どんなことに悩み、どう行動すれば人生を豊かに出来るかをまとめていき、成長する姿を届けていきます。

まずは今回はダイエットインストラクターになる前の人生の迷子状態だった時の話をしていきます。

僕はアスペルガー症候群、躁鬱病(双極性障害)、統合失調症を診断されています。軽度のADHDもありますが診断はされていません。

障害者雇用として企業で事務職に就きましたがADHDで長時間デスクワークができませんでした。会社も配慮してくださり会社の工場の外を歩かせてくれましたが、祖父の死や度重なる台風で躁鬱病が悪化し働けなくなり、退職することになりました。

軽いうつ状態が続きアルバイトも出来ない。お金に困り自殺衝動が起きたため隔離病棟に入院することになります。

隔離病棟は精神的にきつかったなというのが感想です。

退院してから病状も落ち着き、障害を抱える人が働くB型作業所で軽作業など働くことになります。しかし工賃は安く時給200円がベースだったり稼げてもお小遣い程度です。

障害だらけでまともに働けないことが人生のコンプレックスでした。「親が亡くなったらどう生きていけばいいんだ。まだ家のローンもあるし、奨学金も借りてるし。」など。僕の人生の命題はどう働き生きていくかに変わりました。多くの人も同じだとは思いますが、発達障害や躁鬱病、統合失調症を抱え仕事をしていくハードルの高さを感じていました。

人生に悩んでいた頃、友人からブログを紹介されnoteで自分を表現できることに楽しみが徐々に湧いてきました。自分が抱える苦しみが共感されてたくさんのスキをもらえることで自分の精神を保っていました。

悩みや葛藤を昇華して前向きな文章を書いていたところ、入院仲間の作家の知人が「充分出版できるレベルだからやりたかったら声かけて。」と言ってもらえました。

作家で頑張ろうと思いましたが長文書けないことがネックでした。また全体の構想力を考える力がアスペルガー症候群のせいかなく、まとまったものに出来なかったたり、お金を貰う恐怖心があり断ることにしました。

その時はお金に対する心のメンタルブロックが強かったです。やっていたら今の人生を歩んでなかったと思います。

また病院のリハビリプログラムで知り合ったHさんと音楽活動で意気投合し、コロナ化の中もセッションしたりしていましたが、Hさんが腰の病気でギターを持って移動できなくなり、それから疎遠になったことから音楽活動でお金を稼ぐことはできなくなりました。

大きなトラブルはなかったですが、ずっと心に溜まっている『自分らしく生き生きと働きたい』という願望は日に日に大きくなりました。

しかし人生の中でいい面もありました。それは20キロのダイエット成功したことでした。しかもストレスなく成功してしまい「こんなに簡単に痩せられるならダイエットを指導する側になればいいんじゃないか」と思い始めました。そしてダイエットインストラクターの資格を取ろうと思いました。

一年半ダイエットインストラクターの資格の勉強をしていました。統合失調症には記憶力が低下する記憶障害というものがあります。人の名前が覚えづらいなどありました。

資格の勉強していて「この前覚えたのにすぐ忘れてしまう!」って具合に何周しても覚えられないのがとても辛かったです。他の人よりも繰り返し勉強しないと知識を得られませんでした。結局一年半勉強して無事合格しました!

2021年秋から僕のダイエットインストラクター人生が始まりました。

ただの障害者だった僕はダイエットと関わることで人生の方向性が少しずつ見えていきました。また次はこれをしたい!という明確なビジョンが見えていきました。

ブログでは成長していく過程を見てもらうたらなと思います。

人生を変えた本との出会いやコーチングの思いなど感じるもの、ダイエットセミナーやダイエット講師の活動なども発信していきます

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