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死ぬのが怖い人へ 久保龍雲

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#妙好人

死ぬのが怖い人へ (10)

死ぬのが怖い人へ (10)

前回、私が獲信をあきらめた後、本願疑惑心を取り去られた話を書きました(※第9話参照)。阿弥陀仏の本願を聞く時、どこにいても極楽浄土がすぐ隣にあることを知らされる身になったのです。

後日談さて、他力によって疑蓋(本願疑惑心)を取り去られた私は、ご縁があった人々に阿弥陀仏の本願について話をするようになりました。

そうやっていてよく言われたのが「お坊さんになった方がいい」ということ。

これには戸惑

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死ぬのが怖い人へ (9)

死ぬのが怖い人へ (9)

前回、私が「阿弥陀仏側の視点から考える」ということに挑戦した話を書きました。その結果は、獲信できそうにない自分がどんどん見えてくるという悪循環に陥り、絶望的な気分に襲われました(※第8話を参照)。もう獲信するための手段が無くなってしまった状況でした。

みるみる小さくなっていく希望せめて死ぬまでに獲信を・・・と考えながら試行錯誤をくり返してきましたが、振り返ってみれば、浄土真宗と出会ってすでに7年

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死ぬのが怖い人へ(8)

死ぬのが怖い人へ(8)

前回までに、私は「浄土真宗の教えを正確に理解する」「念仏をとなえる」の2つに挑戦しました。しかし獲信するどころか、教えを信じていない自分が見えてくるばかりでした(※第6話、第7話を参照)。このページでは、追い込まれた私が最後の望みを託したものについて書きます。

意外な発見頼りにできるものが手元に無くなった私は、獲信者と思われる人々(※第5話を参照)に質問を続けました。

私は「獲信したいのに出来

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死ぬのが怖い人へ(7)

死ぬのが怖い人へ(7)

前回、私は「浄土真宗の教えや法話を正確に理解すれば獲信できるはず」と考え、むさぼるように教えを学んだ日々について書きました。しかし結果としては何も変わりませんでした(※第六章を参照)。追い詰められた私は念仏(なむあみだぶつ)に注目することにしました。

念仏・・・古臭いが重要なもの当時の私の心境は、

「浄土真宗の教えを正確に理解しても獲信できなかった。一体何をすればいいのか?」

というものでし

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死ぬのが怖い人へ(6)

死ぬのが怖い人へ(6)

前回まで、親鸞会を退会した私は、死の問題を解決するために浄土真宗の獲信者(ぎゃくしんしゃ)を探した話を書きました。本で読んだ妙好人と同じように、浄土真宗の救いを疑いなく喜ぶその姿に驚かされたものです(※第5話を参照)。

葛藤(かっとう)の始まりあきらめずに情報収集を続けていた私は、数人の獲信者と思われる人々と知り合いました。なぜ私はその人々を獲信者だと思ったのか? それは妙好人の特徴と一致してい

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死ぬのが怖い人へ (3)

死ぬのが怖い人へ (3)

子供時代から死の問題について悩んでいた私は、確率論やニーチェの哲学を経て、浄土真宗の妙好人に希望を見出しました(※第1話・第2話を参照)。

死を迎える人々
幼少期から死におびえ、ようやく妙好人という希望にたどりついた時には、私はもう大学生になっていました。ここまで来るのに15年近くかかっています。

しかし前回書いたように、高校の恩師が末期癌で入院し、お見舞いにいったときには意識も無く・・・しば

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死ぬのが怖い人へ (2)

死ぬのが怖い人へ (2)

死の問題を解決しようと決意した私は、様々な本を読みました。小・中・高・大学と、手がかりになりそうな本を探し続けました。周りの大人が死の問題について教えられないのならば、本の世界で探せばよいと考えたわけです。

小学生の頃は図書館に入りびたって、みんなが読むズッコケ三人組や怪傑ゾロリから偉人伝、まだよく理解できない哲学の本まで、とりあえず開いては目を通すことをくり返しました。

中学生に入ると友人か

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