久保龍雲
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【浄土真宗の言葉】#100 他力の信心は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も、さらにかはるべからず、ただひとつなり
他力の信心は、善悪の凡夫ともに仏のかたよりたまはる信心なれば、源空が信心も善信房の信心も、さらにかはるべからず、ただひとつなり 【解説】 今回は「他力信心は阿弥陀仏から頂くのだから、法然の信心も親鸞の信心も、全く同じものである」という内容です。 これは「信心諍論」「信心一異の諍論」「信心同異の諍論」などと呼ばれるもので、本願寺3代・覚如上人の『御伝鈔』に書かれてあります。 あるとき法然聖人のおられる場所で、親鸞聖人が「法然聖人と私の信心はまったく同
【浄土真宗の言葉】#99 もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ
もろもろの雑行雑修自力のこころをふりすてて、一心に阿弥陀如来、われらが今度の一大事の後生、御たすけ候へとたのみまうして候ふ 【解説】 今回は「念仏以外の行(雑行・雑修)や自力の心を捨て、疑い無く阿弥陀仏の本願に後生をおまかせしました」という内容です。 この文章はなにかというと、念仏者の信心に誤りが無いか確認するためのもので、領解文(りょうげもん)とか改悔文(がいけもん)と呼ばれます。 ウィキペディアには「門徒が各自で読み上げ、自身の信心に誤りが無い
【浄土真宗の言葉】#98 阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり」
阿難、また問ひたてまつる、「その仏、成道したまひしよりこのかた、いくばくの時を経たまへりとやせん」と。仏のたまはく、「成仏よりこのかた、おほよそ十劫を歴たまへり」 【解説】 今回は「阿難尊者がお釈迦様に『その仏さまが悟りを開かれて、どれだけの時が経ったのですか』と質問をもうあげた。お釈迦様は『すでにおよそ十劫が経過している』お答えになった」という内容です。 これは『大無量寿経』というお経の中で、阿弥陀仏について阿難尊者がお釈迦様にいくつか質問しておられる部
【浄土真宗の言葉】#94 それ、弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」とばかりこころえて、弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず
それ、弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」とばかりこころえて、弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくは、報土往生すべからず 【解説】 今回は「十劫安心を信じていても、信心決定せねば極楽往生は不可能だ」という内容です。 この文の中の 「弥陀如来はすでに十劫正覚のはじめよりわれらが往生を定めたまへることを、いまにわすれず疑はざるがすなはち信心なり」 の部分が、いわゆる十劫安心です
【浄土真宗の言葉】#92 みな人ごとにわれはよく心得たりと思ひて、さらに法義にそむくとほりをもあながちに人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし
みな人ごとにわれはよく心得たりと思ひて、さらに法義にそむくとほりをもあながちに人にあひたづねて、真実の信心をとらんとおもふ人すくなし 【解説】 今回は「みんな『自分は信心について分かっている』と思っている。真宗の義に背く理解をしいて人に尋ね『真実信心を頂こう』という人は少ない」という内容です。 この前は 「そもそも、このごろ当国他国のあひだにおいて、当流安心のおもむき、ことのほか相違して」 (最近はどこにおいても、浄土真宗の他力信心が誤解されていて)