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「食べながら泣くこと」と「泣きながら食べること」の違い

ご飯が美味しくて、ありがたくて涙が出てきた。ふと、泣きながらご飯を食べていた子供の頃を思い出した。



🔸食べながら泣くこと

仕事帰りに、大好きな上野の「あんみつ みはし」で、お雑煮とおでんを食べた。
美味しくて涙が出て来た。ありがたいな、今生きてるなと思って。

家に作り置きがあったので外食するつもりはなかったが、別件で近くを通りかかってふらっと吸い寄せられた。
年の始めに、みはしのお雑煮やお汁粉が食べたくなる。今年はまだ食べていなかった。

仕事が一段落してほっとしたのもあったかもしれない。
また、自分一人で不安を抱える業務に対して、「助けて下さい」と会社に言えたからかもしれない。

自分一人で何とかしなければ、と自分を追い詰める生き方をしてきた人間は、助けを求めることが苦手だ。
親に「我慢して生きることが美徳」と刷り込まれたため、振り返ると無自覚に不必要に自分を痛めつけていたと感じる。身体にガタが来て、ようやく自分が無理をしていたことに気づくのだ。

でも、自分が社会的にどのような状況であれ、今この瞬間、美味しいものを味わえる瞬間は、心から幸せだと実感して感動できる自分で良かったと思う。
美味しいものを味わえることは幸せだ。


昔、仕事帰りに同僚と、駅ナカで穴子の巻き寿司を買って、駅のフリースペースで食べた。2人ともとても疲れていた。

割引セールとなっていた穴子の巻き寿司は、ふわふわでトロトロでめちゃくちゃ美味しくて、感動して食べながら思わず涙を流したら、同僚に笑われた。

あの時も仕事つらかったな。でも、美味しいものを食べてほっとする瞬間の幸せを感じることはできた。

お雑煮とおでんを味わっている私の隣の席で、女性がスマホを食い入るように見ている。
時折、思い出したように溶け切ったあんみつのソフトクリームをすくって高速で口に運ぶ。

味、わかってないだろうなぁ。
現代人はスマホとにらめっこに夢中で、「今ここ」にいない人が多い。私も身に覚えがある。

でも、今はもうご飯を食べる時はスマホを見ないと決めている。食べ物に向き合って味わうことは、私には良きマインドフルネスだ。

どろどろの液体をすくい終わった女性は、そそくさと鞄からハンドクリームを取り出して両手をこすり、香料の強い化粧品で手早く化粧直しを始めた。

飲食店できついニオイの暴力、反対。

🔸泣きながら食べること

子供の頃、夕食時に父に食卓で怒られ、無理やり「ごめんなさい」と言わされ、「もういいから食べろ」と言われ、泣きながらご飯を食べた記憶が何百回とある。

なぜ怒られたのかさっぱりわからなかった。
だから「ごめんなさい」を言うのに時間がかかる。意を決して言った。
悪くないのに謝らなければならないという屈辱と、言えば肩の荷が下りるという誘惑のせめぎ合い。

思い出せないが、ものすごく些細なことだったと思う。だって何百回と怒られたのに、思い出せない。
親が勝手に決めた家庭内ルール(家具の使い方など)に従わなかった、程度のことだろう。

子供を思い通りに操りたい、親として虚勢を張らねば、という教育と言う体の虐待。
親もまた、親からそのような扱いを受けていたから、それが正解だと信じて疑わない。疑いようがない。

涙と鼻水をたらし、嗚咽しながらもご飯は美味しかった。食いしん坊だし、食べないという選択はなかった。
何も悪いことはしていないが、許してもらえたという安堵もあったのだろう。
子供は健気だ。どんなにひどい親でも、親にすがらないと生きていけない。

昔、我が家に遊びに来た叔母(父の妹)が、「この家、食べるものだけは良いわね」と評しており、そうなんだ、と子供心に思った。
専業主婦の作るご飯は美味しかった。


🔸「泣きながらご飯を食べたことがある人は、生きていけます」


2017年にTBSで放映されたドラマ「カルテット」(脚本:坂元裕二、出演:松たか子、満島ひかり、高橋一生、松田龍平)に出てくる好きな台詞がある。(今もNetflixで見れるよ。)

子供の頃、ろくでなしの父親のせいで詐欺の手伝いをさせられ、大人になってからもデジタルタトゥーにより職場を転々とせざるを得なかった「すずめ」(満島ひかり)。

長らく会っていなかった父が危篤で、「娘に会いたがっている」と伝え聞くものの、すずめは受け入れられなかった。
父が死んだと「巻(まき)」(松たか子)が病院から連絡を受け、巻はすずめを探しに行き、2人が病院の近くの蕎麦屋でご飯を食べるシーン。

食べ終わったら病院に行こう、と巻がすずめに諭すが、すずめは明るくはぐらかす。

大切な人達(巻を含めたカルテットのメンバー)に汚れた過去がバレて嫌われるかもしれない。
やっと手に入れた居場所を失うかもしれない。
家族だから病院に行かなきゃ駄目かなぁ…と怯えるすずめに、巻はすずめの手を取り言う。

すずめちゃん、病院に行かなくていいよ。
一緒に帰ろう、と。

そして、

「泣きながらご飯を食べたことがある人は、生きていけます」

と。

泣きながらカツ丼を頬張るすずめは、力強く、たくましく、生命力に溢れている。

ああ、私も泣きながらご飯を食べていた。
だから、人生半分以上も生きてこれたのかもなぁ。

私の父は仕事が原因で鬱病になり、1年ほど入院していたが、お見舞いに行きたくなかった。

私に嫌なことをたくさんしたから。
嫌いだったし恐怖の存在だった。
1度だけ行ったけど。

父はあまり回復が見られなかったが、なぜか退院し、ほどなくして首を吊った。
別に悲しくなかった。

父が散歩から帰ってこないと母から連絡を受け、弟が実家近くの竹藪で首を吊っている父を発見した。
弟から事実を伝えられ、母は泣き崩れていた。
私は冷静にそれを眺めていた。


すずめが、死んでも父を拒否する気持ちがわかる。少しだけ、すずめが自分と重なって胸に響くシーンだ。

後に判明するが、巻も父親に虐待された過去を持っていた。だからこそ、すずめに寄り添える台詞だったのだと思う。
巻も、泣きながらご飯を食べて生きてきたのだ。




今は、泣きながらご飯を食べることはない。

代わりに、ご飯が美味しくて幸せで泣いちゃう瞬間を、今この瞬間をただ生きていて幸せだと感じる瞬間を、これからも数え切れないほど体験していくのだ。

そう決めている。

センキューみはし


白玉ぜんざいも好き

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