面倒だな、まあいっか、後でにしよう。 そういう判断をしたことで自分の首を絞める羽目になり、更には周りに影響を与えてしまった。久々にしっかり自己嫌悪し、落ち込み、反省する。 細かいことにもよく気付くという自負があるが、それに対して行動力が乏しいのが、数年来の悩みだ。今回の件で、私はボールの持ち過ぎかもしれないと思い至った。 飛んできたボールをキャッチしたらすぐ投げればいいのに、どこに投げれば理想的か?遠くまで届くかな、まず声を出そうか、これ必要なボール?片付けたほうがいい?転
修道士カドフェルの小説を図書館で借りて読んでいる。全21巻。月に4冊ずつ書庫から出してもらっていた。 9月初めの日に、20、21巻を借りた。雨宿りのファミレスで我慢できずに表紙を開き、登場人物の欄を見てにっこりする。シリーズ物の醍醐味、ここに極まり!的な、あ〜読んでてよかった!という、気持ちがふわっときらめくような、体温が少し上がって自然とゆるむような、そんな感覚になる。まだ読んでいないのに幸せになるなんて、すごいな。私は物語を読むのが本当に好きなんだなと、改めて思う。 作
地元の友人たちと花火大会へ行く。恒例行事で、10年は続いているようだと今回確認し合って、時の流れに爆笑する。 最大で9人集まったが今回は3人で、おそらく歴代最少だったけど、別にみんな気にしてないし、気分次第で来て、会えばとにかく楽しいというのがすごい。 海に足を浸し、アルコールとおつまみでうだうだ喋り、広い空を見上げて、花火を囃し立てる。 ファミレスで1人合流し、写真を漁ってげらげら笑う。大人っぽくない遊びが大好きなのでずっと幸せだった。今年も楽しかった、また来年。 *
パートが正社員になるための就職活動は「就活」なのか「転職」なのか毎度ギクシャクするが、とりあえず「転職」と表記。 6月上旬から全力で転職活動から逃げ、無料漫画を読み漁る現実逃避をしていた。7月に入り「こんなことやっとる場合か」になり、漫画のアプリや、ポイントもらうための色水ゲームアプリを消し、自己啓発的な本を読んだりし始めた。 やりたいことを100個書き出してみる。いや、まだ100個に届かない。自分の輪郭を書き出すような作業に抵抗感があり、なかなか進まない。あと5個が埋まらず
今まで和室で寝ていた母が洋室に移ることになり、昔私が使っていた部屋の模様替えをした。 ベッドを動かしたら、だいふくのうんちが現れた。カピカピで、7個もある! この部屋はだいふくの部屋んぽと介護部屋として使っていたから、わずかな隙間にうまく落ちていたらしい。 丁寧に拾い集めて爆笑した後、しみじみとうんちを眺める。「大きくてしっかりしてるから元気なときのやつだね」「立派だ」「懐かしい」「確かによくここらへんでうんちしてた気がする」 火葬後の骨がかわいかったのに加え、ホコリまみれ
NHKの朝イチで親の看取りの特集がやっていて、ずるりとだいふくの23日間の看病期を思い出す。 鼻が詰まってしまい口呼吸をしていたため、酸素室の導入も考えたが、かかりつけ医さんとも相談して導入はやめた。酸素室にいれたら、基本はもう出せなくなる。狭い範囲でしか過ごせないため、運動量が減るし、一緒にくっついたりするのも難しくなる。でも呼吸は楽になるかもしれないし、苦しみが減るかもしれない。 かもしれない、かもしれない。人間とデグーとは残念ながら言葉を通じ合わせることができないので
金曜ロードショーで「すずめの戸締まり」を観た。以前から友人に「セリザワ絶対好きだから観て」「セリザワでウワーッてなるシーンが必ずある」「セリザワはいいぞ」と暗示まがいのことをされていたので、気合を入れて観た。結果、芹澤はめちゃくちゃ良質な沼だったわけだが、芹澤を抜きにしてもロードムービーとして最高に楽しめた。 「君の名は。」は映画館で観た。すさまじい音楽の力と映像の美しさで楽しめたけど、三葉の乳揺らし過ぎだなと感じてから女性の描き方がなんとなく嫌で、手放しで好きにはなれなか
ひょんな会話から母が「お腹へった」が最近わからないということを知る。娘の私は食後の3時間後におやつを食べないと空腹で不機嫌になるというのに。 昔はわかっていたそうだが、今は空腹に関わらず時間で食事をとっているのでセンサーが機能しなくなったのではと言う。加齢もあるのかもと言っていた。加齢、色んなことが鈍くなっていくんだろうか。 今は同居してる人間がいるけど、いなかったら食事も適当になって、おなかがすかないから一日一食とかにするんだろうか。そんなことを妄想して勝手に切なくなる。出
雪が降った。 天気予報で降るかもと言われても大抵はみぞれか、粉雪がちらつくぐらいの地域なのに、今回はしっかり降り積もり、なんなら暴風雪だった。 どうせ脅しみたいなもんやろ〜と思って自転車で出勤し、午前中に雪が降り始め、昼には積もり始め、外を見る度に呻きつつ、帰る頃には風も強まりえらいことに。財布は持ってなかったが幸い現金は持っていたのでバスやら電車やらで帰る。どちらもダイヤが乱れ遅れに遅れ、20分の通勤時間が2時間半になった。つらかった。靴はぐしょぐしょで足の感覚が鈍く、風で
* 元日、ふと目が覚めてカーテンをめくると夜明けで、太陽は顔を出していないが、金星がきらりとしていた。だいふくの介護をしていたときに、生まれて初めて明けの明星を見た、シンとした空気を思い出す。あのこのいない年が始まった。 スマホで日の出の時間を確認して、まあいいやと二度寝する。 大晦日の雨のおかげか、さっぱりと晴れ、雲ひとつなく陽射しはあたたかい。玄関を出て、風が思ったより強くて冷たく、マフラーを取ってもらった。 ちいさな骨の入った、飲みづらいカプセル錠ほどの大きさのキー
* 勤め先の忘年会に2年連続参加し、愉快に過ごしてきた。ビール2杯と日本酒すこしで、もりもり美味しいごはんを食べてとても満足した。 ただ、周りを気にしすぎる質なので、大人数で集まる場が苦手だし、普段はあまり関わらない人と話すと、居心地の悪い思いもする。今回強く感じたのは、ひとは他者に物語を求めるということだった。 30代でパートタイムだと結婚していると思われる、結婚をしていないなら旅行や推し活や趣味で忙しくしているひとだと思われる、なんかひとりで外国行ってそうとか追っかけ
* 11月に入ってぐっと冷え、体力消耗が激しく、毎日眠い。朝起きる時間は変わらず、日課だった部屋んぽがなくなって時間が余るので、母とラジオ体操をするようになった。 一緒に暮らしたデグーが旅立ってからひと月、ふた月、なんだかんだと時が経つが、寂しさや心細さの大きさはちいさくならない。あのこのいない生活に少し慣れた気がして、慣れたことに落ちこむも、その翌日には最期の日を鮮明に思い出してぼたぼた泣きながら眠ったりするから、全然慣れてないじゃんと呆れる。 こんなに苦しいなら兄か
* 9月は介護で忙しく記憶がないが、10月は悲しくて空元気で何もできなくて記憶がない。毎日思い出しては泣いて、申し訳ない気持ちになったり、心細くなったりする。 本当に毎日泣いていた、特に職場から自転車で帰るときとお風呂に入ってるときに。帰り道は、最近急いでいたのにその必要がなくなったからだと思う。外なのに、泣いていても他者に気付かれにくいのも一因かもしれない。これは入浴中もそうだ、気付かれにくい。あとは身体があったまると涙腺が緩む。 『泣いてばかりじゃ成仏できない』はよく聞
どんなにしんどいことがあっても生活は続く。しんどいことと向かい合うためにごはんを食べて英気を養わないといけないし、食器が汚れるから洗わないといけないし、服を着て生活してるので洗ったり干したり畳んだりしないといけない。悲しんで打ちひしがれ、ぐにゃぐにゃ曲がりくねる感情のラインの隣を、生活のラインが淡々とまっすぐゆっくり流れている。そのギャップに戸惑う。私がこんなにもズタボロなのに、生活さんは何故素知らぬ顔で進んでいるんですか?それと同時にその実直さに励まされる。悲劇に浸かってる
* 花火大会、海風でベタベタ。 地元の友人たちと集まるのは年に一回このときだけだが、毎年本当にたのしくてこの関係を維持させる努力はこれからも惜しまないぞ、と深く頷く。 * 甥御襲来、世の保護者に思いを馳せる。 繰り返しの遊びやひたすら着いてきて系の遊びが多く、こちらは飽きる。体力もそうだし心の余裕が必要だ。 水族館に行くことになり、8時半の開館時間に着くと既に親子連れでみちみちになっていて、子育て…と遠い目をしてしまった。みんなすごいなあ。 * セーター完成 2年近
* スキンケアの見直しが必要かもしれないと真剣に悩み始める。お肌の曲がり角とよく言うが、確かに30歳にもなると10代20代とは肌質が変化してきていると実感する。顔がヌルヌルするほど皮脂が出るのは変わらないがニキビはできなくなってきたし、乾燥とは無縁だと思っていたが場所によってはカサつきを感じるようになった。脂性肌だと思っているけどインナードライなのか?どうしたら肌の治安が落ち着くんだ!と頭を抱え、他者を頼ろうと思い立つが、皮膚科へ行くのは足踏み、ひとまず基礎化粧品でお世話に