きっとこれからのお守りに
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9月は介護で忙しく記憶がないが、10月は悲しくて空元気で何もできなくて記憶がない。毎日思い出しては泣いて、申し訳ない気持ちになったり、心細くなったりする。
本当に毎日泣いていた、特に職場から自転車で帰るときとお風呂に入ってるときに。帰り道は、最近急いでいたのにその必要がなくなったからだと思う。外なのに、泣いていても他者に気付かれにくいのも一因かもしれない。これは入浴中もそうだ、気付かれにくい。あとは身体があったまると涙腺が緩む。
『泣いてばかりじゃ成仏できない』はよく聞くし、私も以前はそういうもんだと思っていた気がする。でもこの言葉、よくわからない。そもそも全てのひとが仏教徒でないし、成仏てなんやねんという感もあるし。元気出して!とか心配だよの意なのはわかる、でもずっとわんわん泣いてるより、感情を押しつぶして歪むほうが心配でしょう、泣いてるほうが健やかだ。
この手の定型文は音だけ独り歩きして、意味合いを掴めてないまま使われている気がする。注意したいなとハッとした。
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撮りためていた大豆田とわ子と三人の元夫をイッキ見した。カルテットを見てから脚本の坂元裕二さんのファンで、なんなら4人のうちの2人が出るということで楽しみにしていたが、なんだかんだで見れていなかった。
一話目から死に触れていて、でも悲観的でなくドライで軽やかなのがありがたかった。きっと今見たほうがいいということなんだろう。そんなことを思いつつ、2日間で全話見た。最高だった。
タイムリーなこともあり、小鳥遊さんの時間論に私の気持ちもふわふわにしてもらった。『小学生のあなたと彼女が手を繋いでいたなら、今も繋いでいる』『過去や未来、現在は誰かが勝手に決めたことで、時間は過ぎ去るものでなくどこか別の場所にあるもの』『現在を生きているだけじゃない、今からだって、いつだって気持ちを伝えることができる』そういうことを言っていた。私が撫でたなら、私とひなたぼっこしたなら、もりもり走っていたなら、カリカリごはんを食べていたなら、私の足の上でぬくまっていたなら、今もぬくぬくふくらんでいるんだろう。
数学のこと、よくわからないからこそ、スッと言葉が入ってきて嬉しかった。きっとこれからのお守りになるだろう。カルテットのすずめちゃんとまきさんのカツ丼も、時折り私を助けてくれる。
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私は変化に対して苦手意識が強く、いざ変えるときには派手に大きく変化させがちな気がする。徐々に変化させればいいのに直前まで避けるから、急転換になるというか。
ひとりで煮詰まるくらい悩むからそうなるのかなと思って、最近はひとに相談することを心がけている。まとまっていない考えも口に出したり、感情も言語化してみたり。以前、ひとにそういうことを心がけていると言ったら学習中のロボットかなんかなの?と言われたけど、そうなのかな。
生きている限り変化は伴うし、近々変化をしたいと思ってる。また爆発的で危険な変化にはしたくないから、徐々にゆっくり、ひとを頼りつつ、変化と仲良くなりたい。