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念入りにガジガジ

雪が降った。
天気予報で降るかもと言われても大抵はみぞれか、粉雪がちらつくぐらいの地域なのに、今回はしっかり降り積もり、なんなら暴風雪だった。
どうせ脅しみたいなもんやろ〜と思って自転車で出勤し、午前中に雪が降り始め、昼には積もり始め、外を見る度に呻きつつ、帰る頃には風も強まりえらいことに。財布は持ってなかったが幸い現金は持っていたのでバスやら電車やらで帰る。どちらもダイヤが乱れ遅れに遅れ、20分の通勤時間が2時間半になった。つらかった。靴はぐしょぐしょで足の感覚が鈍く、風でもみくちゃにされ、悪態をつきながらもなんとか転ばずに帰った。
完全に油断してたとはいえ、こんなにコテンパンにしなくても良くないか?

翌日も仕事。玄関を抜けると雪かきされた道のそばにドドンと立派な雪だるまが作られていた。これは雪かきしてくれた親切で愉快な大人が作ったのか、早起きした子どもが作ったのか。
私が小学生のころもこうだった。雪の日は、親以外の大人の保護というか見守りを感じる不思議な日で、見慣れない風景とともに、なにかムズムズした感じを覚えている。

だいふくの動かない身体を土に埋める夢を見た。寝る前に連続殺人の推理小説をイッキ読みしたせいなのか、最近少しずつ見れるようになった亡くなる少し前の動画を見たからなのか、やっと死を受け入れたからなのか、わからない。泣きながら起きた。

海外の大学で勉強を頑張っている友人が帰国中なので、会ってはファミレスでだべっている。高校生みたいだ。でも我々の高校時代は配膳ロボットはいなかったし、ドリンクバーはこんなに充実していなかったし、ドリンクバーで温かいものは飲まなかったし、もっと肉と量を求めていた。あと健康の話なんてしなかった。内容がなんであれ、変わらずだべだべできる友人は貴重だ。出会って15年になる友人をこれからもしっかりしっかり大事にしていきたい。

だいふくの不在によるさびしさで、夜中ベッドで顔をクシャクシャにして歯を食いしばり泣いた。旅立って5ヶ月が経った。ただただ、さびしい。
今までは後悔や自責が渦巻いていたけど、そういうものがぽろぽろ剥がれ落ちて、純粋にさびしくて泣いたように思う。
カウンセリングにおいて「寂しい」と言えるのは、治療が前進して、心が前に進んでいる状態だと、今読み進めている本にちょうど書いてあり、タイムリーすぎて驚いた。

部屋着のパーカーが傷んできていて、処分しようかと思ったが、よく袖のところでくつろいでたとか肩に乗ったなとか、この刺繍ロゴを念入りにガジガジしていたなとか思い出し、捨てるのはやめた。まだまだ私にはこの記憶が必要。

「ジェーン・スーさんが『自分を不幸せなところに置いたままにしない。自分で選択したことの責任をとる。大人の責務はこの二つ。』と仰っていた」というツイート、ポストを見かけた。
良い言葉だなあ。幸せを求めよ!ではなく不幸せなところに置いたままにしないという表現が、わたしにはわかりやすく、馴染みやすかった。
選択の部分について思うのは、責任をとれるくらいの選択ができる心身を保つことが大事だということ。疲れていて追い込まれて打ち拉がれているとき、何を選べばいいか判断がつかなくなる。せめて一度選択したことでも一晩経って「いやいや、これはだめだ、やっぱりなし」と正気に戻って選択ができる、そのくらいの気持ちを整えておきたい。

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