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かもしれない、かもしれない

NHKの朝イチで親の看取りの特集がやっていて、ずるりとだいふくの23日間の看病期を思い出す。

鼻が詰まってしまい口呼吸をしていたため、酸素室の導入も考えたが、かかりつけ医さんとも相談して導入はやめた。酸素室にいれたら、基本はもう出せなくなる。狭い範囲でしか過ごせないため、運動量が減るし、一緒にくっついたりするのも難しくなる。でも呼吸は楽になるかもしれないし、苦しみが減るかもしれない。
かもしれない、かもしれない。人間とデグーとは残念ながら言葉を通じ合わせることができないので、彼の希望を聴けない。人間がぐるぐる悩んで、結局人間がやりたいようにするしかない。

だいふくは、部屋んぽが好きで、ピルピル歌いながらかけまわり、過ごしやすい気候のときは日光浴しながら眠り、人間にくっついてぽやぽやしていた。
そういう思い出を信じて、酸素室にはいれず、代わりに部屋んぽで使っていた一室を開放して最後二週間を過ごした。朝日で日光浴をして、とことこ歩いて、ぴったりくっついて、夜は一緒に眠った。

番組内で「できるか」じゃなく「やりたいか」で考えるということを言っていたが、少なくとも私がやりたいことはできた。今まで夜はケージに入っていたので、夜もくっついて眠ることはなかったから、あの状況でなければあの経験もなかった。
本来デグーは仲間と一緒に生活し、だんごになって眠っている。だいふくは私とくっついて眠るとき安心できただろうか、苦しみは少しは紛れただろうか。だいふくもあのとき幸せを感じてくれていたのなら、うれしい。

職業相談で環境に興味があるのでは?となったとき、頭に浮かんだ「もののけ姫」の話を触りながら話をした。
利益のために森を壊しても、人間は森を元には戻せない。シシ神様は生と死を司る力があったけど、私達にはない。
手に負えないものに対して、これ以上手を付ける必要はないんじゃないか。木を切ったから植樹をする、でもその木が育つのに何十年もかかる。岩を砕いたら接着剤でくっつけるのか。穴を掘ってそれを完全に、土の成分を違わず、層の順番を整えて戻せるのか。山を削って水脈が変わったら。森を焼いたらその生態系は。

私が思う自然は両親の実家近辺の山や川が主で、その「自然」も人の手入れが入っているものだ。いわゆる手付かずの自然は、テレビでしか知らない。
そういう私が自然自然というのもアホらしいかもしれないが、話をしていて、確かに私は環境保全を気にかけない社会に対して怒っているんだなと気付かされた。
だからと言って、それを仕事と繋げるのはあまりピンとこない…流れでeco検定が話題に上がり、せっかくだから調べて参考書も買ってみた。なにかしら、実を結べばいいな、繫がれば嬉しいな、とぼんやりと思いつつ。

虎に翼で朝ドラ視聴デビューをした。毎日15分ずつ、というのは性に合わず、5日分をまとめて観ている。
第1話から戦争に触れるとわかっていたが、学生時代が華やかな世界だったので油断していた。作品のテンポが速く、笑ったり泣いたり呻いたりしていたら、戦後になっていた。

寅ちゃんは、というか人間は、やはり怒りで再生するなと思った。怒りで感情にエンジンがかかるというか、怒りも感情のひとつだから共振するというか、感情のうち一番敏捷な「怒」によって他の感情、やる気や使命感、憧れ、探究心、生命力とか言われるものが動き始めるというか。
戦時下でずっと色々なものを押し殺していた寅ちゃんたちは、上手に感情を出すことも出来なくなっていた。直言パパの酷い隠し事から、花江ちゃんのキッパリとした怒りに始まり、情けないような気が抜けるような懺悔により、みんな塗装が剥がれて気持ちが緩まっていったシーンは印象的だった。

カチコチの心が緩まって再生しても、立ち上がる力はまた別で。寅ちゃんが覚悟を決めて立ち上がれたのは、優三さんの日本国憲法に重なる言葉だった。
それと出会えたのは、はるさんが与えた時間と、直明のひたむきな誠実さも優未ちゃんを安心して預けられる花江ちゃんと兄弟の存在ももちろんで、中でも闇市の女性の掬い上げるような強かな優しさのおかげだ。
SNSを見ると彼女はどうやら朝鮮から渡ってきたひとらしく、日本国憲法の国民の定義から外れてしまうらしい。そんな彼女のあたたかい行動で寅ちゃんは立ち上がれた。偶然関わりを持った遠い他者の親切で救われることがある。

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