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学校関連のコラムポスト

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自分の経験した「学校」での事をメインに
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学校と私(1)

「学校と存在感」 自分の事を少しでも知っていただけたらと思いまとめます。 言葉足らずな部分が多々あるかと思いますが… 確か、不登校生の定義は病欠を覗いた理由での 欠席が30日以上であることだったような記憶がある。 なので、きっと私は不登校生からは外れている。 私が登校拒否をしたのは、中一の頃、あれは何月だったかな… 私は、中学に上がる時、引っ越しを経験して、 環境に馴染めなかったりした結果なのか とりとめのない 嫌がらせや居心地の悪さが 耐えられなくなって学校に行

高校に行っていなかった間の話

私は一年も経たないうちに現役で進学した高校を休学してしまいました。 (理由はまた他で) 寮に入っていた私は実家に帰ってきて、何もしない時間、体を休める時間という日々が過ぎていきました。時には家の仕事を手伝ったりしましたが、やれることは限られていたし、私には体力的に合いませんでした(笑) 何もせず、ただただ昼過ぎまで寝て、テレビを見て、お昼ご飯を作って食べ好きなことをするだけの日々。 これはこれで自分の精神の休息となっていたことは確かなことだった。 何もしない

学校と私(2)

-学校での存在感-学校と私(1)の続きです。 クラスで話し合いが行われて、良くも悪くも その日から何かが変わった気がした。 単純に考えれば、いじめが収まった感じのいい学年のようなだったが 私はそう思えず、 直接的な言い方をすると 学校での存在が透明にされたと思った。 いない存在のようだった。 生きている心地がしない感じ。 友達や私の事をちゃんと見てくれる先生だけには見えているような感じで それはそれで嬉しかったし、楽しかった事は確かだ。 ただ、一人になるとど

学校と私(3)

教室空間 ”教室に入る”という行為は、 毎日のルーティーンだ。 自分の机に行って、今日の準備をして カバンをロッカーに入れ時間までに様々なことを済ませ、 自分の席につかなければならない。 別に大したことではないけれど、 学校に行きたくない子からするとその流れ一つとるにしても それなりのリスクがある。緊張がある。 学校に行くという部分をひとまず抜いたとしても 教室に入る事は、なんとなく人目を気にして、 ドキドキしながら入っていた気がする。 「自分はここに入っていいのか

学校と私(4)

-保健室- こちらの記事の続きになります 教室いう空間は 自分がいられる場所でなかったため 他の場所が自分には必要だった。 それは、まさしく、王道の保健室 体調が悪いと行くというよりも、 私には逃げ道で安心する場だった。 どれだけ教室に戻りたくなかったことか… 保健の先生は、厳しくも優しくて守ってくれる存在で けがの治療とかも嫌いじゃなかったから 保健の先生になりたいと思ったこともあったくらいだ。 消毒の匂いにツンとしながらも、 それが好きで 自由に使っていい机

学校と私(5)

-相談室- 当時、相談室があることが一般的だったか、自分にはわからないが、 ド田舎の2クラスしかない中学校に相談室があったいうのは、 いい方だったかもしれない。 1学年教室のある階の図書室の隣に小さな小さな相談室があった。 そこは手前が相談スペース、フリースペース、そして 細く長く続く奥は、使われなくなった古本の保管場所であった。 図書室では読めないような本が天井まで高く並んでいた記憶がある 相談室に行く事を、いつからどうしていくようになったのか 全く記憶にないが、

泣けてきてしまう曲

ある曲を聴いて 思い出したかのように ひたすら聴いてしまっている この坂本龍一の名曲の一つであろう 「energy flow」 私の大好きな曲だ 私が個人的な”感傷”でこの曲を語るとすると この曲は私が通っていた中学の 下校時の曲であった。 学校に通う事、いることが辛かった私にとって下校も辛かった。 下校は、逆に人が少なくなるまで学校に友達とねばったものだ。 この曲がかかると部活を終えた生徒のみんなが ぞろぞろと下校し始め、最後の方になれば人が少なくなる。

学校と私(6)

-部活動- 幼い時から絵を描くのが好きだった私は そこまで迷うことなく、中学は美術部へ入部した 体育会系は体力的に無理だったし、 他に入りたいと思えたものもなかった。 文化系の部活はもともと少なく、美術部が一番人数が少なかった。 少なかったこともあり、友達と一緒に入部した。 先輩にあたる部長も含めても4・5人くらいだったと思う。 何とも平和な部活だ。 田舎の中学で2クラスしかないのもあって、 部活となると一緒に活動する友達や先輩も限られてくる 先輩が一人しかいなく

学校と私(7)

とんでもなく久しぶりに続きを書きます。 (1)から(6)は時間のある時に 目を通していただければと思います。 前回は自身の部活動についてつづりました。 -進路へ向けて- 学校に行きたくないにも関わらず、なんとか通い続けている時期。 あまりもう覚えていないが、 中2の後半だったか、そのあたりで徐々に進路についての話が 学校では話されていた気がする。 自分は学力に自身のかけらもなかったので、 得意な事で進んで、内申点でどうにか行ってやるという、 変な根性があったと思う(