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「書くことが、仕事になるために」③「より多くの人に読んでもらうために、(ささやかだけど)やってみたこと」。

 知っている人や、友人に、こうしてnoteで記事を書き続けていることを、あまり伝えることをしていない。というよりも、そういうことを知ったら、なんとなく義務感で読んでもらうのも申し訳ないし、誰でも時間は大事だから、それを奪ってもダメなのではないか、といったことを考えてしまう。

 知人や友人と他の話をしていて、SNSの話題になりにくいのは、わたしが携帯やスマホを持ったことがないのを、知り合いは分かっているからだと思う。


noteを始めた理由

 それでも時々、何かの拍子にそんな話題になって、個人的な印象だと、今の時代のSNSはX(旧ツイッター)か、もしくはインスタグラム。さらにはYouTubeなどが主流なので、noteだけを書いているのは、なんとなく言いづらい上に、「ノート?」というような反応もあるせいだ。

 自分にとっては、他のSNSに比べると「平和」だという評判を知って、それでも、なんのSNSをしていなかった人間には怖くて、ちょっとおそるおそる始めたのが2020年で、それまで、毎日文章を書くことはすでに10年以上続けていたけれど、こうして人の目に触れる場所で書くこととはかなり違っていた。

 そして、やっぱり「スキ」をつけてもらうのは、思ったよりもうれしかったのは、それまでの10年以上は、ただ、自分のためだけに書いているのとは違った。人が読んでくれている気持ちになれたからだ。

  noteを始めたのは、やはり自分で書くだけではなく、人の目に触れるように、できたら知らない誰かに読んでもらいたい気持ちがあったせいだ。

 その反応がわかるようなシステムはありがたかったし、だから、より書き続けることができたのだと思う。

書くことが、仕事になるために 

 途中でコンピュータの故障があって中断があったものの、2020年の年末からは書き続けていて、丸3年になろうとする頃は、ただ書くだけではなく、書くことが仕事になれば、という気持ちになっていた。

 そのために、でも具体的には、どうしたらいいのか分からなくて、自分の気持ちを整理するためにも、この「書くことを仕事にするために」(シリーズ)を始めた。

 ただ、この記事↑を書いたとき、フォロワーの方から、とてもまっすぐで正しいコメントをもらったことで、「書くことを仕事にするために」などと考えているようなことは、なんだか違うのではないか、と思ってしまったこともあり、この「書くことが、仕事になるために」の続きを書くのを、ためらってしまったこともあった。

(そのため「書くことが、仕事になるために」②↓は、①を書いてから、1年以上経った頃でした)。

「SEO対策」を教えてもらったけれど、その中で試みようとした一つのこと

 そんなふうに、どこかで自分が主張することに対して、自信を持てないのは、ずっと続いている癖でもあり、性格でもあるのだけど、それでも、時々、noteに書いている、という話題になったとき、それに対して、まっすぐに興味を向けてくれる人もいる。

 その中には、記事を読んでくれた上で、もう少し背中を押してくれるようなことを教えてくれる若い友人もいた。

 どうやら、こうした記事↑も含めて、なんだか心配もさせてしまったみたいで、申し訳ない気持ちもあったのだけど、もしも、書くことを仕事にするような気持ちがあるのならば、ただたくさん書いているだけでは足りないのでは、というようなことを伝えてくれて、その上で、SEO対策を教えてくれた。

(SEO対策:「Google」や「Yahoo!」といった検索エンジンの検索結果で、サイトが上位に表示されるように、検索エンジンのアルゴリズムに向けて行う対策のこと。)

 それは、とてもありがたいことだったのだけど、同時に恥ずかしながら、自分にはコードのようなものはよく分からなかった。それで、noteのいろいろなページを見たら、記事をnoteに書くだけで(もちろん質の高いことを目指して)、ある程度のSEO対策につながるらしいことも知った。

https://www.help-note.com/hc/ja/articles/900006881223-SEOに関するよくあるご質問

 だけど、さらに、何よりも、見出しなどに対して、もっと分かりやすく、それを読んだだけで内容がある程度伝わるようにしたほうがいいのでは、といったことも教えてくれて、それは、かなり納得がいく指摘だった。

 同時に、これまで、それが出来なかったことについては、自分がこだわっている点があるのに、改めて気がついた。

「分かりやすい見出し」についての、自分のこだわりを振り返る

 専門的な本などで、大学の先生などが書いているものの多くは、冒頭の部分で、章ごとに何が書かれているかについて、説明がある。

 それは、学術論文のかたちが習慣化されているのかもしれないとも思うのだけど、読者としての自分は、先のことをバラさないでほしい、という気持ちになることもある。

 だから、書くときも、あんまり先がわかるように書くよりは、読んでいって、いろいろと見えてくる方が、楽しいのではないか、という思いもあるが、同時に、それでずっと読んでもらうことは、先がわかっている時よりも難しいことなのもわかる。

 それでも、最初に就職したのがスポーツ新聞社で、昔は駅の販売所で大量に売られていて、その頃は、新聞紙が半分丸められるようにさされていて、一面の大きな見出しが半分くらいしか見えないから、その見えている部分で、勝負するところ(誇張表現など)があるのを知っていた。

 だから、今のインターネット上では常識のようになっている「釣り」のようなこともされていて、スポーツ新聞の読者は、その「うそとは言えないような大げさな表現」も含めて楽しんでくれているのもなんとなくわかっていたものの、そうした派手さに対して抵抗感もあり、それもそのスポーツ新聞社を2年足らずで辞めた理由につながっていると思う。

 そうしたあれこれがあって、見出しで内容がわかってしまうことや、目を引くようなことに対して抵抗があったことに改めて気がついた。

 だけど、それで読んでもらえなくなったら、やっぱり本末転倒かもしれない、と思った。

見出しを考え直してみて、かわったこと

 それで、少し見出しを考え直した。

 見出しを読んで、ある程度、記事の内容がわかるものを心がけるようにした。だから、今までよりも比較的、長めになったと思う。

 文中の小見出しも、そこで書かれていることが何か?できたら、そこの部分だけでも、興味がある人には読んでもらえるように、と前よりも考えるようにした。

 もちろん、できたら、より多くの人に読んでもらいたいとは思っていても、記事に書かれていないような大げさな表現はできないし、SEO対策について教えてくれた友人も、そういうことを言っているのではなかったのも分かっている。

 ただ、せっかくいろいろと教えてくれたのに、自分ができたことは、そのぐらいのことで申し訳なかったのだけど、それ以来、全体ビューの数は確実に増えた。元々が、それほど多くないといっても、おそらくは倍くらいになった。

 機械(検索エンジン)に向けた対策は行わなくても、人間に向けて見出しを見直すだけでも、伝わり方が違ったようだった。

 やっぱり効果はある。

 まずは、より多くの人に読んでもらい、そのことで、仕事につながるような(かなり運任せの部分も大きいのだけど)、そうした流れの方が、その後に起こるかもしれないことも、納得できるような気がしている。

 SEO対策、という言葉は知っていたけれど、友人に親切に教えてもらわなかったら、そのことに取り組もうともしなかったと思うので、自分の対策がとても未熟で部分的で申し訳ないのだけど、それでも、とてもありがたいと思っている。


 これからも、がんばります。という平凡な結論ですが、がんばりかたは、大事だと改めてわかりました。





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おちまこと
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