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「X世代」から始まり「Z世代」で終わりではないことを、(恥ずかしながら)初めて知った。

 Z世代、という言葉を聞くようになったのは、それほど昔ではないのだろうけど、定着するまでは比較的早く、いつの間にか、「今の若い人」と同じようなニュアンスで使う人が増えて来たと思う。


Z世代

 Z世代とは主に欧米での呼び方で、Y世代・ミレニアル世代の次に当たる1990年代半ばから2010年序盤生まれの年齢層の若者を指します。日本ではゆとり世代の次の世代として、デジタルネイティブ世代とも呼ばれたりします。スマートフォンやSNSの普及期に生まれ育ったZ世代は、物心がつくころにはモバイル端末に触れ、SNSを通じて交流することが当たり前でした。

 また、脱ゆとり世代とも呼ばれますが、実際にはゆとり教育時に重視された社会貢献や環境、多様性といった教育もしっかり受けています。他者は他者、自分は自分として、「自分らしさ」を考え続ける世代でもあります。

(『野村総合研究所』より)

 ただ、こうした冷静な分析よりは、「ゆとり世代」を「ゆとり」などと呼び、「今の若者の悪口」になったように、「Z世代」「若い世代の悪口」として使われるようになってしまうのだろうか、というような嫌な予感もする。

世代論

 まだコロナ禍が今よりももっと危機感がある時期に「Z世代」に関して当時のTwitterで話題になったことを、それが書籍化されて、初めて知った。

 2022年4月、Twitter(ツイッター)上にある投稿がされるや否や広く拡散され、若者を中心に深い共感を得た。今からここにその内容を記すので、読者の皆さんには直観でそのツイートに対する感想を思い浮かべてもらいたい。

 新入社員の歓迎会
 新入社員全員欠席希望で課長が激怒している
 新卒よくやった🙂

(『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか: Z世代を読み解く』より)

 読者としての自分の直感は、私自身も新入社員の頃、歓迎会のあるような会社ではなかったが、やっと、こうして自分の意志を行動に移せるようになって、これは、自分たちができなかったことをしてくれる人たちがあらわれた、という気持ちだった。

 そして、この書籍では、「Z世代」について、比較的、冷静に書かれているようだった。

 Z世代とは、主に欧米で議論されてきた世代論のことであり、1996年から2012年頃の間に生まれた若者のことを指す。 

 ジェネレーションX(X世代)= 1965〜1980年頃の生まれ
 ジェネレーションY(Y世代)= 1981〜1995年頃の生まれ
 ジェネレーションZ(Z世代)= 1996〜2012年頃の生まれ

(『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか: Z世代を読み解く』より)

 どうしてZなのか、と思っていたが、それはXから始まったから、あっという前にZにまでなったようだ。

 次の点を大まかに把握するうえでは、世代論は有効であると筆者は考える。

 その世代は、どのような時代を歩いてきたのか。
 環境・市場変化によって、どのような生活習慣を身につけているのか。

① Z世代の特徴的な行動といっても、全員がやっているわけではないことの方が多
 い。
② 何をいつ頃消費していたかを比較して生まれる差が、その世代の普遍的な特徴
 である。
③ Z世代は17年にもわたる世代である。

 日本経済の停滞期しか知らない世代   

 Z世代は、日本の社会に対する「長期的な不安」と「短期的な不安」を抱えているのである。                         

 Z世代は、教育制度や社会変動により、社会において競争することよりも、共闘や協力することの重要性をそれ以前の世代よりも認識している。その要因を、筆者は「教育制度の変化」「東日本大震災の発生と新型コロナウイルス感染症の流行」が関係していると考える。                 

(『あの新入社員はなぜ歓迎会に参加しないのか: Z世代を読み解く』より)

 同じ世代ということで、全てを説明するのは、自分がされることを考えたら、とても愚かで嫌なことだとは思う。

 だけど、時代によって環境が違っていて、その違いによる影響を考慮に入れた方が、もしかしたら理解に届きやすくなるとは思う。

X世代

「Z世代」は、「X世代」があってこそ存在しているはずだ。

 最初に「X世代」と、ある世代に対して貼られたラベリングが、かなり印象も強く、おそらくは、その上の世代にとっても、そのある世代が「X世代」と呼ばれる納得感があったからこそ広まって、そこから続いてきたのだと思う。

 だから、やはり「X世代」のことを、少しでも知った方がいいのだろう。

 X世代は1950年代にハンガリー生まれの写真家・ロバート・キャパが出した『Generation X』というフォトエッセイが語源とされています。

 第二次世界大戦後の混乱を生きる若者たちをテーマにしたフォトエッセイにつけられた、このタイトルには「未知の世代」という意味が込められていました。

 そして、その後の1991年頃、カナダの作家・ダグラス・クープランドが小説『ジェネレーションX-加速された文化のための物語たち』を出版。この小説がベストセラーになったことをきっかけとして、X世代という言葉が世界的に知られるようになったのです。

(『ビズクロ』より)

 ロバート・キャパは、X世代も含めて、こうした言い方をするのは安直かもしれないが、あこがれの対象となるような写真家だった。

 1913年にハンガリーのブダペストに生まれたロバート・キャパ(本名アンドレ・フリードマン)は、1930年代から54年の死去に至るまで、報道写真家として世界中を駆け巡り、各地の戦争や人々の暮らしの様子をカメラに収め続けました。 20年あまりの間に取材した5つの戦場で、命がけで撮影した幾多の衝撃的な写真。同時にそのような激動の世界に生きる一般市民の姿を深い共感をもって捉えた、ウィットと情感に富む写真群。その二面性によって形作られているキャパの報道写真は、時代を超えて今日もなお私たちの心をとらえつづけます。

(『横浜美術館』より)

 そのロバート・キャパから見て、X世代は50年ほど下になるから、子どもどころか孫世代になる。

 そして、「X世代」と名づけて、しかも「未知の世代」という意味が込められていた、ということは、憶測になってしまうが、「もう自分たちとは違う」という意味合いもあるのだろうし、同時に希望も込められていたのかもしれないけれど、それよりも大きいのが、さらに年月がたち、1991年の「カナダの作家・ダグラス・クープランドが小説『ジェネレーションX-加速された文化のための物語たち』を出版。この小説がベストセラーになったことをきっかけとして、X世代という言葉が世界的に知られるようになったのです」ということだと思う。

 その世代論は、ロバート・キャパが名づけてから、かなりの時間が経ち、X世代が20代になり、社会で働き始めた頃に定着した呼び名のようなので、やはり、今の若いやつはわからない、というニュアンスが込められていたのかもしれない。

 X世代が生まれた時代は、学生運動や高度経済成長期が終わった頃でもありました。
 政治や経済が沈静化した時代のため、X世代は政治的な関心が低い傾向にあるとされており、何事にも無気力・無関心であったX世代の様子が比喩され、「しらけ世代」と呼ばれることもあります。
 ただ、X世代が過ごした時代には、アニメやゲームが普及し始めました。このアニメ・ゲームが今では日本の代表的な文化となっていることから、日本発の大きな産業が生み出された時代ともいえるでしょう。

次に、X世代の主な特徴を見ていきましょう。

⚫︎デジタルイミグラントである
⚫︎自立心が強い
⚫︎コスパや効率性を重視
⚫︎人との時間が大切
⚫︎新しい物事にも否定的にならない

(『ビズクロ』より)

 この中で、デジタルイミグランドが、ややわからないので、この記事の中でも丁寧に説明がされている。

 イミグラントは「移民」という意味を持ちます。
 X世代は、購買力がともなってきた時期にインターネットやスマホなどの通信環境が整い始め、アナログからデジタルへの変化を経験した世代でもあります。
 そのため、「デジタルイミグラント」はアナログ環境からデジタル社会へと移ってきたというイメージを表現しています。
 このように、デジタル化の真っただ中にいたX世代は、デジタル化への学習意欲や適応能力が比較的高く、IT環境への抵抗感も少ないという特徴があります。その結果、積極的にITを利用する傾向があるようです。

(『ビズクロ』より)

 このX世代の特徴や、見られかたのニュアンスを考えると、日本の場合で最も当てはまるのは「新人類」だと思う。

新人類

 1980年代、今から振り返ればバブル前夜の時代に、気がついたら、自分たちの世代が「新人類」などと呼ばれるようになっていた。

 ここでは、新人類の意味について解説します。

 1955年〜1965年ごろに生まれた世代

 新人類は、主に1955年〜1965年ごろに生まれた世代を指す傾向にあります。子ども時代は高度経済成長期で、これまでとは異なる考え方や価値観を持っていることから新人類と名付けられたようです。
 社会人になった80年代はバブルのピークで、収入にも恵まれながら豊かな日本を満喫していた世代です。

(『Oggi.jp』より)

 その上には、団塊の世代がいた。

 その存在感は良くも悪くも重くて、だけど、「新人類」は、すでに「世代」でもなく「類」であって、まるで、「これまでとは違う得体の知れない違う人類」という扱いのようだった。

 そして、「朝日ジャーナル」という今ではなくなってしまったけれど、文化的には「偉い」とされていた雑誌に「新人類の旗手たち」という連載が始まり、そこに登場した人たちは、「新人類の文化人」のように扱われるようになった。(その中に秋元康もいた)。

 自分も、その「新人類」と呼ばれてもおかしくないような年齢だったけれど、個人的には「新人類」という人たちの中で覚えていたのは、泉麻人、中森明夫、野々村文宏で、上の年代の世代から見て、「理解しがたいけれど、新しいことをしているように見える若い人」のことを指すようだ、と思うようになった。

 ただ、恥ずかしい呼称だと感じていた。

 そのうちに、「新人類」は、「今の若い奴への悪口」のようになってきて、自分たちが名乗ったわけでもないのに「新しい」とされていて、その「新しさ」は、「新人類の旗手たち」のような位置にいる人にとっては武器であり、売りかもしれないけれど、そうでない同世代にとっては、邪魔な見られ方でもあった。

 ただ、実際に「新人類〜」などと言われた記憶もなく、街中の居酒屋で悪口として聞こえてきた記憶もないから、それほど口に出されたわけではなかったのかもしれない。それは、やはり発音するのも、ちょっと恥ずかしく感じるせいかもしれなかった。

「新人類」という世代が、もし、それ以前の世代と違っていたとしたら、物心ついてから、もしくは生まれたときから家にテレビがあり、そのメディアで育ってきた、ということではないだろうか。

 だから、本を読まない、とすでに言われていたし、ぼんやりと覚えているのは、テレビで育った世代は集中力が15分しか持たない。それは、そこでコマーシャルが入るからだ、といったことを、結構まじめな顔で、確か評論家と言われる人が、テレビで話していたような気がする。

 スマホというコンピュータを自然に使い、SNS、という誰もが発信できるマスメディア、の中で育ってきたZ世代に対して、その上の年代の人間が抱く警戒心や恐れと、「新人類」に対して向けられた感情は、少し似ているかもしれないが、そういった関係性は、いつの時代でも共通することなのだろう。

新入社員のタイプ

 毎年4月に会社に入社する新入社員に対して、その年の「新入社員のタイプ」として、キャッチフレーズのようなものがつけられていた。

 それが、毎年、小さいニュースのようになっていた時代が、思ったよりも長かった。

 例えば、平成18年の新入社員は、「ブログ型」と命名されている。

 新入社員タイプの命名は、昭和48年度以来、平成14 年度まで30 年間にわたり、坂川山輝夫氏(現代コミュニケーション・センター所長)が命名されてこられたが、平成15年度から財団法人 社会経済生産性本部の「職業のあり方研究会」(座長:森 清 山野美容芸術短期大学 名誉教授)が引き継ぎ、命名及び発表を行っている。学識経験者などで構成される当研究会では、多くの企業・学校等の就職・採用関係者の協力を得て、本年4月の新卒入社者の特徴を検討し、タイプの命名を行ったので、ここに発表する。

(『日本生産性本部』より)

 この命名を、30年にわたり、1人の人物が行なっていたことを初めて知った。

平成18年度 新入社員のタイプについて

「ブログ型」
表面は従順だが、様々な思いを内に秘め、時にインターネット上の日記を通じ大胆に自己主張する。繊細な感受性とブログ的なネットワーク力に優れるが、パソコンに語るだけに止まる傾向もある。

(解説)
厳しい就職戦線に勝ち抜いてきただけに、会社の上司や先輩のあしらいかたには長けている。そのためあまり目立たず、無関心に見えることもある。そこにつけこんで頭ごなしに叱ったりすると、会社の枠組みを超えた同世代の横の繋がりの中で心情を吐露したりする。また、さびしがりやで繋がりたがったり、自分を認めてもらいたい強い欲求を持つ。認められると思いがけない力を発揮することもある一方で、本人の気分や他人の評価ひとつで、すぐに萎えてしまう傾向もある。温かい眼差しと共感が、育成の鍵である。

(『日本生産性本部』より)

 申し訳ないけれど、マイルドな悪口に思える。

 そして、上の世代に対しての「説明」のようだけど、誰にでも当たるような占いのようにも感じるし、この命名をされた新入社員だった世代は、これから18年が経っているから、40代になっているはずで、こうした命名に対しては、どう思っていたのだろう。というよりも、言われた方は、あまり気にもしていないのかもしれない。

(『入社年度別新入社員タイプ一覧』)
https://www.jpc-net.jp/research/list/pdf/new_recruit_ishiki_08.pdf

 繰り返しになるけれど、この「新入社員のタイプ」の歴史は長い。

 いくつか例として挙げてみる。

昭和48年度 パンダ型 おとなしく可愛いが、人になつかず世話が大変。
   49    ムーミン型  人畜無害でおとなしいが大人か子供か得体知れず。
   50   カモメのジョナサン型  群れから外れやすく上空からしらけた眼で
                                                                見ている。一方でめざとい。
         51    たいやきクン型   頭から尾まで過保護のアンコがギッシリ。

(『入社年度別新入社員タイプ一覧』より)

 すでに、意味がわからない人も多くなったと思うが、その前年に流行ったものや出来事に例えて、今から考えると悪口としか思えない言葉が並ぶ。

 そして、この時の新入社員は、大卒だと仮定し、昭和48年で23歳とすると、2024年で74歳になるはずで、会社員ならば退職している人が多数になるはずだ。今振り返ると、この命名を、どう思うのだろう。

 そして、それから30年が経った頃は、「新入社員のタイプ」は、こんなふうだった。

平成14年 ボディピロー型 (抱き付き枕)
      クッション性あり、等身大に近いので気分はいいが、上司・先輩が気
      ままに扱 いすぎると、床に落ちたり(早期退職)、変形しやすいのでメ
      ンテナンス必要。
   15   カメラ付きケータイ型
                    瞬時の処理能力で機能豊富なれど、経験・知識が蓄積されず、中高年
                    者 使いこなせず。
        16   ネットオークション型
                     人気殺到で即日完売の一方で、売れ残り多数。高値落札で入手して
                      も、アテはずれあり。

(『入社年度別新入社員タイプ一覧』より)

  申し訳ないのだけど、ずっと同じ「芸風」に見えるし、この発表は、新入社員を迎える4月の前なのだから、働かないとわからないのにとは思うけれど、この命名が何のために行われていたのかは、よく分らない。

 新入社員という若者は、常に悪口を言われていそうだけど、最初は未熟で当たり前なのに、とも思う。そしてこの言葉を、本当に会社員の人たちは使っていたのか。もし使っていたとしたら、入社何年目くらいからなのか。本当にその会社の「会社員」として仕上がると、これから入社する新入社員は、このように「わけのわからない存在」に見えるようになってしまう、ということなのだろうか。

 この「新入社員のタイプ」がかなり流通していたとすれば、それほど意味もわからず、「今の若い人」に対して、「Z世代」という2020年代と、似ているのかもしれない。

 個人的には、会社にいた期間が3年と短いため、実感としてはわからないけれど、組織に長くいた人は、こうした「新入社員のタイプ」に対して、共感できるのだろうか。逆に全く関心がないのか。それとも、このタイプについてああだこうだ言えるようになって、初めて「我が社の社員」の証のようになっていて、そのためにこの「新入社員のタイプ」は存在したのだろうか。

 実はまだこの「新入社員のタイプ」は発表され続けている。

自分の未来は自分で築く!「セレクト上手な新NISAタイプ」

 今年の新入社員は、デジタルに慣れ親しんでいる一方で、対面コミュニケーションの経験に乏しく、「仲間」以外の世代との距離感に戸惑う面がある。また、タイパを重視し、唯一の正解を求める傾向が年々増している。しかし、これらは言い換えれば、目標をはっきりと見定め、集中して向かっていく熱意と、効率を重視し最適解を実行する振る舞いに長けているということでもある。
 目標とする未来が定まれば、彼らは自分なりに情報を集め、「セレクト」して歩き始める。今までにない可能性を内包したその歩みは、2024年の制度変更で選択の幅が広がった新NISAと重なる。コツコツ積み立てて業務を学んでいくのか(つみたて投資枠)、あるいはアグレッシブにチャレンジするのか(成長投資枠)。彼らの選択を尊重しつつ、いかにサポートし、導いていくかが問われていく。

(『産労総合研究所』より)

 ただ、この「新入社員のタイプ」が成り立つための条件があるとすれば、それは、新卒一括採用という日本独自のシスステムがあって、同じ世代の人間が、4月に一斉に入社してくることだ

 新卒一括採用が社会に浸透したのは第2次世界大戦後のことで、大学の数と学生数の増加とともに、高度経済成長期において大卒を安定して採用する仕組みとして、大手だけでなく中小企業も取り入れはじめたことがきっかけだ。
また、新卒一括採用は、「終身雇用」「年功序列」といった日本社会に定着した人事制度とも相性がよく、社員は一括採用で入社し、その後は日本型人事制度の仕組みに沿って、それぞれの組織に馴染んだ人材として長く活躍することで、安定したキャリアと生活を保障されていた。
 しかし、多様化やグローバル化を進める流れが強くなった現在の日本社会においては、新卒一括採用が合わなくなってきているという問題点も出てきた。

(『MarkeTRUNK』より)

 近い将来、新卒一括採用のシステムが徐々に姿を消す頃には、この「新入社員のタイプ」を命名することもなくなりそうだが、これも、日本社会の会社システムとの相性が良かったのかもしれない。

 この「新入社員のタイプ」は、会社員の一体感の形成に役立ったりもしたのだろうかとも想像するが、いまだに、この「新入社員のタイプ」の存在理由がわからない。

「Z世代」の「次の世代」が、すでにあった

 よくわからないという意味も含めて、「X世代」という呼称が生まれたのは、ただの偶然のはずだった。(「X線」の命名と近いのかもしれない)

 アルファベットのXは、たまたま並びの最後の方で、「X世代」から始まると、そのインパクトが強かったせいか、「Y世代」が続いて、さらに「Z世代」になった。

 それは、たまたまインターネット、SNSの時代が本格化して、「新しい世代」という印象も強くなったから「Z世代」という最後のアルファベットも、すごく合っているような気がしたのだろうか。

 だから、「Z世代」は、それが名づけられた国だけではなく、日本にも定着し、その最初の設定とは少し違うニュアンスも含めて広まっていったのだろう。

 同時に、とても個人的な印象だけど、スマホという携帯できるコンピュータが普及してしまったら、本質的には次の「新しい商品」はあり得ないのではないか、と思い、同時に、21世紀になっても、これまでと同様に世界は混乱し、ずっと人類は愚かなようなので、いつかはわからないが確実に人類は滅亡するという確信も強くなった。

 そして、「Z世代」というアルファベット最後の世代になった。
 ということは、もう先がないから、人類共通の認識として、もうすぐ終わるといった予感が形になっているのかも、などとも思っていた。

 ただ、それが間違いらしいことも、最近知った。もしかしたら、自分が知らないだけで、多くの人にとってはすでに当たり前のことかもしれない。

 この書籍は、伊藤忠商事の会長を務め「名経営者」と言われた著者が、85歳になって、老後の過ごし方を語る、という内容だった。こういう人が、年齢を重ねたら無理をしない方がいいと伝えてくれるのは、高齢者になった「男性」が聞いてくれそうかも、と思っていたら、読み進める中で、急に(自分にとって)意外なことを知った。

二〇一〇年代〜 Generation αとされています。 

(『老いた今だから』より)

「Z世代」で終わりではなくて、すでに、その次の世代の名称が決まっているようだ。

 それも、「α」。ギリシャ文字の最初だから、それ以降も続ける気満々ということになる。

 ただ、ギリシャ文字は、それほどなじみがないから、そのうちにうやむやになりそうな予感もするしけれど、「Z世代」のままにしておくと、やはり、人類が終わるような気がして、誰かがまた「α」にしたのかもしれない。

 そして、もし「Z世代」の次の世代は、この時代の変化の速さから言えば、新しいということで「α世代」がイメージぴったりになって、注目される可能性もある。

 そう考えると、人類は存続したい執念のようなものが、すごいのだろう。私も一員だけど、おそらく人類は滅亡すると思っている方だから、その凄さをよくわかっていないのかもしれない、と思った。





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おちまこと
記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。