マガジンのカバー画像

「心」

13
到達点への旅路の記録。 世界のstray sheepに捧ぐ。
運営しているクリエイター

#人生観

「凄い」の閾値が下がると自惚れる

「凄い」の閾値が下がると自惚れる

 「頭でっかちになってるように思うの。あなたみたような人、何人も見てきたから。もっと自分を開いて出していかないと」と、入社して半年後に行われた人事部での新人面接で言われた。確かにそうだ、と感じつつも、希望を持って入社し臨床で結果を少しでも出そうと懸命に努力したつもりであったので、酷く心が打ちのめされた自分は押し黙っていた。
 「頭でっかち」「自分を出して」というフレーズで否定されると、それを払拭で

もっとみる

浮遊した自己

学問すれば着地できるのか… 「私は生きていて、思考し、目の前の事象に何か思いや感情を感じている」という実感が湧かないときがある。これを「浮遊した自己」と呼ぶことにする。放心状態に近い。他人をレッテルで括って見下すことで自分が優等な気がしたり、普遍性や抽象度の高い学問的知識で「人間」や「社会」、「世界」を分かった気になって生きた心地を得たりしてみても、精神の口渇は満たされない。

 著者は医療従事者

もっとみる
私は、人のために怒れる人間だったんだ

私は、人のために怒れる人間だったんだ

私は、人のために怒れる人間だったんだ トラウマではない、昔のことを思い出した。

 私が、中学生で野球部に所属していたときの話だ。チーム戦のような練習をしていたときだったと思う。幼馴染がピッチャーをして、私はその守備をしていた。確かファーストだ。当時の監督が腕を組んでベンチの前に立ち、大声でピッチャーに野次を飛ばしていた。

 なぜ同じチームの監督が、同じチームのピッチャーを貶しているのか全く理解

もっとみる
私は厨二病

私は厨二病

厨二病を定義する 私なりの「厨二病の定義」を考えてみる。

厨二病;自意識の外に出れず、他者の視座を得られない者

 現時点では、これには2種類あると思われる。

1.(恐らく親から)ある種の抑圧を受け、無意識に抑圧された否定項をいく層にも持つ厨二病

2.(恐らく親がある種放任的で)抑圧を受けず(または受けても徹底的に抵抗し)、自分の欲望に忠実過ぎるほどに忠実で、それが故に他者の視座を得られない

もっとみる
「トラウマ」という世界最大級の言い訳

「トラウマ」という世界最大級の言い訳

人は、認知的整合化によって「トラウマ」を言い訳にし、変化しないことを選ぶ これは、私の過去の「トラウマ」の一部だ。私は、今の自分を正当化し、変化しないことへの言い訳としてこの「トラウマ」を使っている。
 そうして、現実と自分の世界観を認知的に整合化し、今の「ダメな(と認識している)自分」は仕方のないもので、「オカシイのは外の世界の方だ」と自分に言い聞かせているのである。

 しかし、これは間違いで

もっとみる

もっと不真面目でいい

「自分が不安」という理由だけで守る規律に、何の意味がある 言いつけを破ったっていい。それは時に、自分の中のポリシーであってもそうだ。律儀に規律を守らなくてもいい。その場の最適解なら。

 実を言うと、私の彼女もこのツイートの「妻」と似ていて、感情の起伏が激しい。同情するほどに。彼女はよく、私をみて「いつも一定でいいよね」というが、それは違う。私は彼女が羨ましい。
 私も、彼女のように僅かな感情の揺

もっとみる
「共同体」を求めて

「共同体」を求めて

私もいつか、誰かと共同体に… 「共同体感覚」のモデルケースを探していた。親や友達、周囲の人がそのモデルケースとならなかった私は、今更この広い世界にそれを探していた。そうして、気に入るものをやっと見つけた。もはや知らない人はいないであろう、「BTS」だ。細かい御託は必要ないと思うので、私がそう感じるに至ったYouTubeの動画をいくつか載せさせて頂く。

勇気は無いが、信じたい、信じたい、信じたい、信じる

勇気は無いが、信じたい、信じたい、信じたい、信じる

諦めて生きていけ 「諦める」という言葉は「明らめる」という言葉からの派生だと誰かが言っていた。根拠の無い終末論は嫌いだが、過度な希望論も嫌いだ。保育園に通っていた頃、将来の夢を言わされることにどんな意味があるだろう。

夢など無くとも、人はならざるを得ないものになる。
そして、ならざるを得ないものを受け入れるしかない。

  微かな希望は重要だ。まだ、救われるかもしれないという望み、自己を突破でき

もっとみる
自分の事しか考えられないさ、ただの人間なんだから

自分の事しか考えられないさ、ただの人間なんだから

 「お前は自分のことしか考えてない」 確か高校生の頃、祖父に言われたこの言葉は忘れもしない。

 おじいちゃん子だった私は、実家と、そこから通路で通じた祖父の家を行き来して、ほとんど祖父の家で暮らし、祖父に育てられたようなものだった。祖父は「お前はもっと人と話さないといかん」としょっちゅう口にしていた。私はよくそれに無言で応えていた。

 祖父は、恐らく処世術として覚えたものだと思うが、人と会話す

もっとみる