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2023年においていかれたまま。
気が付けば、2024年になり1カ月が経つ。
昨年の年末から体調を崩していて、それでもなんとか年末のごちそう(イオンのお寿司とどん兵衛の鴨だしそば)を用意し、元旦を過ぎてから雑煮を作って形式上年末年始を終えた。
しかし、ほとんど寝て過ごしてしまった年末年始だったので、まだ年が明けたという実感がない。
正月の帰省も、わたしの咳が収まらなかったのもあり、きちんと帰っていない。父の計らいで、後日祖父母たちと共にご飯を食べただけだ。
そして、連日続く痛みによって寝込む日々。
起きている時間よりも寝ている時間の方が長く、ずっと暗闇の中にいるような感覚だ。
そうこうしているうちに、あっという間にもう2月。
気持ちはまだ、2023年においてきぼりにされたまま。
先日書いた記事にて、SLEが悪化したという話をした。
ショックが大きく、体調も優れないのもあり、どん底な気持ちでただ痛みに耐え、息をしているだけだった。
フリーランスという職業柄、給与が安定しない。それは自分で選んだ道だから仕方がないことだけど、それでも無慈悲に病気は身体の中にとどまり続けて体調は悪化するし、休めば給料はなくなる。
お金の余裕は心の余裕、とはよく言ったもので、やはり過度なストレスは身体も心もむしばんでいくようだった。
この悪循環を断ち切りたいと思っていても、うまく折り合いがつけられないまま25歳になってしまった。
SLEの再燃とみなして経過観察中だが、結果として症状は改善の兆しを見せたと思ったらぶり返す、というのを繰り返しており、一進一退といった日々を送っている。
いつになったら、わたしは解放されるのだろうか。
そんなことばかり考えてしまう。
先日、仕事用のSNS(Instagram・Threads・Lemon8)を消した。
理由は、単純に疲れてしまったから。
生きていくためにはお金が必要。お金が必要なら働かなくてはいけない。
そうなると、お金になるかどうかもわからないことに時間を割いている余裕がない、というのが答えだった。(それが初期投資になるとしても)
世のため、人のためといっても、実際は自分のエゴなのではないだろうか。
そんなことすら考えてしまう始末だった。
加えて、わたしは定期的にコンテンツを作り、発信していくということがとても苦手だ。(すでにnoteがそうである)
対して、SNSのアルゴリズム上、どうしても定期的に更新(それも質の高いコンテンツを提供)しているアカウントをおすすめにあげる仕組みとなっている。
どうあがいても、わたしの行動パターンとは相反するシステムだった。
あとは単純にデザインが苦手なこと、写真や動画を撮影し、編集する手間が億劫だと感じたこと。わたしが伝えたいことは、写真や動画で伝えることが難しいと感じたからだ。
やはり、わたしには文章が性に合っている。
わたしの病気のことを残しておくのは、noteだけでも十分だと思った。
以前は、たくさんの人にSLEという病気を知ってほしいし、当事者の人以外にもこのような病気があることを理解してもらいたいという気持ちもあった。
でも、昨今のSNSを見ていると、やはり健常者と患者の乖離はひどく、双方はなかなか簡単に歩み寄れるものではないと感じている。
世直しじゃないけれど、大それたことをわたしにはできない。
荷が重すぎる。
ストレスを感じるぐらいだったら、すべて脱ぎ捨てるだけの話だ。
そういうわけで、SNSを消した。
これからはできる限り、日常のことも病気のこともnoteに書いていこうと思っている。
感覚的には、情報があふれているSNSがショッピングモールだとするならば、わたしは片田舎の小さな商店で構わない。
必要だと思った人が訪れる場所であれたら、それでいい。
2024年、だいぶ出遅れた書き初めのつもりのnote。
抱負というか、方向変換という意味で消したSNSのことを書いた。
まだ、2024年になった感覚はないけれど、それでも無慈悲に時は過ぎていく。
だから、気持ちだけは、と。
今年の抱負は。
ステロイドの量を1桁に戻すこと
お金の管理をできるようにすること
他人や情報に振り回されないようにすること
仕事の面は正直タイミングというものもあるので、あまりここでは明確に抱負としては書かない。
抱負として書いてしまうと、達成できなかった時に強くストレスを感じてしまう、というのもあるので。
幸い、継続的にお仕事をいただける環境にあり、稼げているとはお世辞には言えないけれど、収支さえしっかり把握して管理しておけば、やりくりできるのではないかと考えている。
よく、「足りないなら稼げ」というけれど、稼ごうとして頑張った(無理をした)結果、体調を崩してしまう。
それなら、身の丈にあった暮らしをするまでだ。
精神論・根性論の時代は終わったと思っている。
こんなストレスフルな社会で、いかに余分なものを切り捨てて、殻を脱いで身軽に生きていくか。
それが、令和世代を駆け抜けるための生存戦略だとわたしは思う。
自分に優しく、他人にも優しく。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。