母子手帳の残酷さ。
母子手帳を見た時に全てを悟った。
日本は全てにおいて平均的な人間を作るんだと。
個性が大切、みんな違って良い、これはあくまでも平均的なカテゴリーにふるいわけされた上での話なんだと。
確かに、小学校からの教育を振り返れば自分自身もそうだった。
平均的な人間を目指し、普通を目指し、できるだけ多く納税する人間を増やす。
だけど、これは当たり前だ。日本を維持する上で、年金制度が破綻しない為には納税者が沢山必要なのだから。
少子化、少子化というけど、それは結局将来的に納税できるであろう、社会で役に立つであろう子供の事で。
じゃぁ、はみ出し者は?最初から必要なかった?
はみ出し者でも社会に必要な子供としてカウントしてくれる?
成長曲線から大きく外れた場合。
全てが当たり前に出来る前提での○ヵ月検診のチェックに、いいえが沢山入った場合。
もちろん分かってる、医学的根拠などがしっかりある手帳だって。
例え子供が少数派だったとしても、子が生きやすいように福祉の世界や、支援、助成があることも知ってる。
だけど、一般的な子を象徴する母子手帳。
「あなたの子どもはこんなに発達が遅れています」
遠回しにはこう伝えているようだ。
少数派な我が子を抱える母にとって、母子手帳の内容は見るのは辛くて、苦しめられるものだ。
そして、もう自分の子供には必要ないと、当てはまらないと、見ることすら諦める。
検診の内容だって、出来ることを前提にではなくて、カテゴリ別にできる事を自由に書けるようにしたらいいのにね。
もちろん、分かってる。
あらゆる事を早期発見に繋げる為の手帳だって事を。
もちろん、知っている。
母子手帳は決して母を苦しめるものではない
母と子の〈優しい〉手帳だって事を。