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救急搬送されたあの日、息子にさようならと同時にほっとした。


ドクン!おかしい、今日はいつも以上に心臓がどくどくする。

元々不整脈は持っていたが、なんせ今日は回数が多い。昨夜、息子が1歳の誕生日だったから、ホールケーキを欲張って半分食べてしまった。当の息子には一口も食べていないのに、母ちゃん欲張ってしまった。バチが当たったのか?


この日はタイミング悪く、普段テレワークの夫が出社だった。17:00、そろそろ夕食の準備をしないといけない。ドクン、ドクン!!と脈の乱れが5秒に1回、3秒に1回と確実に感覚が短くなっていくのを感じた。

1人遊びに飽きた息子が騒ぎ出した。ごめん、今は相手するのは無理だ。フラフラになりながら血圧を測ると200/110だった。脈の乱れが2秒間隔になってきた。おもちゃでぐちゃぐちゃなリビングに私はでうずくまる。

息子は抱っこしてほしいのか泣きわめいた。怒りの矛先は離乳食の器に向かい、お皿がひっくり返った。私の髪の毛に食べ残しがつく。夫にラインを入れるが頭がフラフラし手が震えてうまく打てない。

はやく、か…で送信するので精一杯だった。

「あーーーー!」

リビングは息子の泣き声でいっぱいになっていた。床に横たわりながらラインを見るが一向に既読にならない。次第に手がガタガタガタと震えだした。声を出すとうまく呂律が回らない。熱中症みたいに頭に血が上り起き上がれない。 これはさすがにヤバイと思い119に電話する。

「救急要請ですか?住所と症状を教えてください」

説明したいけど、話すのが難しい。辛うじて住所だけ伝えた。私は這いつくばりながら、救急隊の人が入れるように玄関の鍵を開けた。誰にも発見されず、死ぬのは…ごめんだ。

カバンに貴重品と息子が食べる食パン『超熟』とほほえみの缶ミルクを入れた。5分ほどで救急隊の人がやってきて、玄関先の床で、横になる私をストレッチャーに乗せた。

人見知りの激しい息子は救急隊の人に抱っこされるが『うわぁぁぁぁん』と泣いている。私は意識はあるが、短い単語を話すのがやっと。救急隊の人が私を車内へ運ぶ途中、隣のご近所さんが駆け寄ってきたが何も反応できなかった。 


ピーポーピーポー。夜の20時、住宅街でサイレンが響き渡る。

『まさか自分が救急車に乗るなんて』と俯瞰するのが大好きな私だけど、さすがにそんな余裕がなかった。近くの病院が受け入れてくれたようで、勢いよく救急車は山手通りを走り抜けた。

車内は相変わらず息子の泣き声でいっぱいだ。救急隊の人は手慣れた手つきで、息子をよしよしと抱っこしてくれていた。だんだん動悸がお腹の方までドクン!!と大きく響く。体内の血の流れが明らかにおかしい。血圧が200もあるのだから、そりゃそうだ。私は意識が朦朧としてきて、さらに手足が痙攣していた。

母ちゃんここで限界か?最後に後悔がないように、力を振り絞った。うっすらと目を開けて、泣いてる息子を目に焼き付ける。

『ごめんね、ありがとう。さようなら』


そんな事を思うのと同時に、来年の姿が見れないのかという悔しさと、ほんの少しほっとした。


親のエゴで産み落としておいて勝手だけど、未来が怖かった。


3年後、10年後、20年後どうなっているんだろう?私は常に将来を悲観していた。彼の将来は希望でいっぱいだと信じたい一方で、未来が怖くて立ちすくんでいた。  

育児をしながら、心の中の私はしゃがみこんでいつも頭を抱えていた。

「助けて!誰か助けて!!」


この苦しみから解放されて、もう子供の将来に向き合わずに、責任を取らなくて済むんだと、ほっとした。


そんな薄情な母ちゃん。

だけど、例えここで命が燃え尽きたとしても、後悔がない人生を送れたのも事実で、

「君に会えてよかった。」


本心でそう思った。


受け入れの病院先でも痙攣していた為、看護師達がせーのっと私をベッドに移した。細い管で尿もとられた。脳出血が怖いからCTを撮りますね〜と説明を受ける。このタイミングで夫もタクシーでやってきた。 

CT、その他の検査は異常なし。

そして1時間後。動機も5秒間隔に落ち着いてきて、痙攣も落ち着いてきた。 


「あぁ〜、特に問題なさそうですね。不整脈もありますが、緊急性のものではありません。すぐに帰れますよ」

少し口角を引きつりながら医師がにっこり話す。 


「にゅ、入院しなくていいんですね…」


ほっとするのと同時に、医療従事者の方に申し訳なさと、すぐに受け入れてくれた感謝の気持ち、様々な感情が渦巻いた。

「ただ産後のメンタルが関係して、不整脈の頻度が多いのかもしれません。心療内科の受診もオススメします」


そう、私は半年前にメンタルクリニックで産後うつの薬を処方されていたけど飲んでいなかった。 

こんなお騒がせ騒動だった救急搬送。  
 その後、もう一度メンタルクリニックを受診し真面目に薬を飲むようにした。 


それから1年経過した。

現在は不整脈の症状も落ち着いて、将来を悲観することもなくなったし、息子と笑顔で遊べるようになった。
 

もちろん、たまには不確定な未来を悲観することもあるが、その時々折り合いをつけながら、今この日常を大切にしようと思った。 


おもちゃで散らかった、いくら掃除機をかけても、息子の食べ物の残骸がどこかに残っている狭いリビングで私と頭が薄い小さな息子が確かに存在した日常。


笑いながら、抱きしめながら、魂をぶつけ合いながら、時には怒鳴って、後悔して、頬にキスをしながら。 


10年後、ちらかったリビングで私と息子が写っている生活感たっぷりの写真を見る嗚咽するだろう。ギリギリの精神状態で頑張ったんだと。

そんな日常を大切にしよう。

あの時、息子に

なんちゃってさようならをしたけど、当たり前に生きててよかったと思えるように。

 世の全てのお母さんが穏やかな気持ちで子供と過ごせますように。


そして、今年の誕生日のケーキは欲張らず1カットにしておこうか。

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