夜の山手通りを出産して2年ぶりに歩く。
「あ、明日食べる食パンない!ちょっと買ってくるわー!」
21時。息子を寝かしつけをして、2人での食事が終わり、〈ごはんですよ〉を冷蔵庫に戻す最中に気づいた。
夜に想定外の買い出しをする時は、夫が子供を寝かしつけの間に近場のスーパーで済ませて急いで帰る。
だけど、この日は食事を済ませたから、急いで帰る必要はない。
山手沿いのスーパーへ向かった。 私はお酒が大好きだけど、心臓の持病によりこの数年1滴も飲んでいない。この時間に外出するのも2年ぶりだ。
お酒は飲まないし、子の寝かしつけを20時にする私にとって夜の街は縁のない場所になった。
土曜日の21時過ぎ。2年ぶりに足を踏み入れた夜の山手通りは、高架下の向こう側にタワーマンションがキラキラ輝いていて綺麗だった。
それは育児に奮闘している私が慣れ親しんだ街の顔ではなかった。一つ一つのネオンが手を取り合い、集合体になった輝きの美しさに足を止めてしばらく見惚れていた。
かつては私も蛍光灯に群がる蛾のように、キラキラしているネオンに吸い込まれては、あの扉を開けていた日々を思い出す。
それと同時に、サザエさんのような独創的な髪型をして、毛玉がついたズボンと、息子のよだれが付いたシミがあるTシャツを着てはエコバックを持っている私に、『あなたはお呼びではございません』この街に言われているような感覚に陥った。
最近できた餃子の店『円山』はテラスまでぎゅうぎゅうに若者で引き締め合い、おしゃべりに夢中になっている。
信号の向こう側には、手を大げさに叩きながら笑い合う5人グループの女の子がいた。体のラインが出るトップスに、ダボダボのワイドパンツを履いている。この瞬間を全力に楽しむ彼女達を目の当たりにした私は視線を少し逸らして、体を小さくしながら信号を渡る。
5人グループの彼女らは私を中心に2人と3人に分かれてすれ違った。信号を渡る途中に自分が透明人間になった感覚に陥る。彼女たちがあまりにも眩しくて直視できなかった。
その夜の山手通りには、この瞬間を刹那的に生きる若者達だからこそ放てる空気感があった。自分が人生の主役だからこそ醸し出せる個人の空気はやがて大きな一体感となり、群衆になる。
誰もが平等に訪れたあの無敵な時期。自分だけは老いに抗えると思っていたし、お婆ちゃんの知恵は必要ないと思っていたし、30歳なんて永遠に来ない気がした。立派な大人の武勇伝や昔話を鼻で笑っていたあの頃…
久々に夜の街に訪れてテンションが上がったのか、お目当てのスーパーで買物をすると色々買ってしまった。エコバックでは足りずに、3円の袋も追加するくらいに。
帰り道。流行りの服を着た若者の群衆に紛れて、サザエさんの髪型をして、毛玉がついた服装で、ぎゅうぎゅうに押し込んだスーパの袋を両手で持ちながら歩く姿は滑稽だった。
だけどついハイテンションになってしまい、家で食べるつもりのジャンボモナカを取り出しては歯で勢いよく封を開けた。 そして、若者とぶつからないようにと、丸めた身体を背筋を伸ばしモナカを食べながら堂々と歩いた。
『モナカうっめ!』
だけど、この街は優しいのかもしれない。そんなジャンボモナカを食べ続ける女のことを誰も気には止めないのだから。
ネオンの街よ、こんな私もこの街には必要だって言ってくれるかい?一応住んで10年の中堅にはなるのだけど、マンハッタンに必死にしがみ付くホームレスみたいにさ、こんな不格好な女もこの街の風物詩にしてくれるかい。
キラキラ輝くタワーマンション。私は決してあの光の仲間入りはできないけれど、山手通りのネオンの群衆から、明日を生きる希望を確実に貰えた。
*
それからは、たまにこの時間に買い物にいくようになった。
もし、山手通りでジャンボモナカを食べている人がいたら話しかけてほしい。