#47 「流れ」に乗れない人ほど、自分自身に対して知ったかぶりをする
(1161字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)
「流れ」に身を任せて生きることにした。
それはつまり、自分自身に対して知ったかぶりをするのを、もうやめにするということだ。
私は、叶えたいことがあればひたむきに求める。そんな人間だった。
行動力があると褒められることもあったけど、ガツガツと生きてきた私の中には、圧倒的に「柔らかさ」が足りなかった。
時には目標の為に手段を選ばないことだってあった。言わば「独裁者」だった。
上手く周りの人を、事態を捻じ曲げてでも、自分が理想とする方向へ向かわせた。
そうやって欲しいモノを手に入れた瞬間は確かに快感に包まれた。
同時に、圧倒的孤独感もあった。
いつも一人ぼっちに終わった。
他者を無視して自分を押し通すだけの冷たい人間に、味方などいるはずなかった。
我を突き通すと、目標達成したとしても家族や友人、仲間達に心から喜んでもらえない。
特に「流れ」は、徹底的に自己中心な人を見放す、そんな性質を持つようであった。
だからいつもこう思ってきた。
「私は、運が悪い」と。
自分のことしか考えない人に、ツキが回ってくることなんてないのだ。
今思うと、私は本当に余計なことばかりしてきた。
ただ静かに見届ければよかった事態の数々に横入りしては、大切なモノを自ら壊してきた。
この世は私を中心に回ってなどいない。
少し気持ちを落ち着かせて冷静に観察すれば、「流れ」というのは常に全てをバランス良く調和させ、最適なタイミングで最良の結果に導いてくれていることが分かる。
私一人だけが良ければそれで良い、なんてことではないのだ。
ところが人間というのは欲に目がくらむと、つい自分が一番大事になってくる。
自分の思い込みこそが正しいと思い込んでしまう。
他人の気持ちなんてそっちのけになってしまう。機が熟する時まで待てなくなってしまう。
結果、わがままに暴れる。孤独になる。
「思っていたのと違う」成果を、一人寂しく眺めることになる。
欲に目がくらむ理由。
それは「思い通りにいかなかったらどうしよう」という不安だったり、「これを手に入れなければ幸せになれない」という決めつけだったりする。
どちらにせよ、「流れ」を甘く見過ぎているということだ。
第一、自分にとって何が最適かだなんて、自分が一番分かっていなかったりする。
「思い通り」になったからといって、「手に入れた」からといって、それが最善の結末かも知っちゃいない。
「流れ」に乗れない人ほど、自分自身に対して知ったかぶりをする。
ある意味、謙虚さにも欠けている。
だからもう、こんな生き方をやめようと思うのだ。
自然のなりゆきに逆らわず、執着心を手放す。
未来に対して「こうなったらいいな」と願いを持ちつつも、「こうでなきゃダメ」を捨てる。
心の力を抜いて進む。
「流れ」が予想外の方向に行ったって良い。
きっと、それこそが自分が本当にあるべき姿なのだから。
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