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Tips #49:大事な存在を愛する為の評価は、100%主観的でOK

「かわいい」に基準なんかない

誰か一人でも「かわいい」と思った時点で
それは既に「かわいい」モノなのだ

【生き方のコツ💬】

(690字・この記事を読む所要時間:約2分 ※1分あたり400字で計算)
 
 「可愛い!」とある物や人を評価すると、時々「どこが?」と言われることがあって、
 「あーでこーですごくときめいたから可愛いと思った」と説明しても、「ふーん、そのようには見えないけど」とあしらわれたりする。
 
 
 黙っておれ!!!
 
 
 うわべでは苦笑して「まあ感じ方は人それぞれですものねー」と平穏な回答をするものの、心の中では大声で叫びたい気分なのだ。
 
 
 黙っておれ!!!
 私が可愛いと思ったのだから、それは可愛いのだ!

 
 
 自己評価においても同じことが言える。
 
 そしてそれは「可愛い」に限ったことではなく、
 例えば自分自身で「私ってすごい!」と思えたのなら、他の人がなんと言おうと本人はもうすごいのだ。
 
 「あれもこれも出来ていないのにどこがすごいの?」と言われたとしても、本人を含め誰か一人でもその人のことをすごいと思えたのなら、既にすごいのである。
 
 
 世間に認められる為の称賛というのは、どうしてもある「基準」が存在していたり、他者と比較した結果下された評価だったりする。
 
 多数派の群衆の心を掴み取りたいのであれば、必然とそういった判定をクリアする為の条件を満たす必要があるが、
 自己愛や自己肯定、大事な存在を愛し受け入れるにあたっては100%主観的評価で十分だ。
 
 物事につけられる印象は良くも悪くも「身勝手」で、都合の良い動機からくるもの。
 所謂「世間の評価」だって、結局は母数が膨大な「身勝手」の集まりに過ぎない。
 
 だったらいっそのこと、好きなように称賛し、称賛され、そして称賛を受け入れば良い。
 
 
 可愛いなぁ。
 かっこいいなぁ。
 
 すごいなぁ。
 頑張ったなぁ。
 
 美しいなぁ。
 素晴らしいなぁ。
 
 
 何かを大切にしたい気持ちは、もっと自由で良いのだ。

📚自分だけの愛おしい気持ちを守っていこう

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