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20250218【本「おあとがよろしいようで」読書感想】目にした世界の数の分だけの人生を送れる

(1183字・この記事を読む所要時間:約3分 ※1分あたり400字で計算)
 
 幼少期の記憶と体験が人生にもたらす影響は大きい。
 
 人と人との出会いにおける第一印象が強い影響力を持つのと同じで、この世に生まれて間もない頃に持った「この世」への第一印象は、その人が大人になっても年を取ってもずっと残り続けることが多い。
 
 悪意に満ちた環境で育った子は、この世は敵だらけのものだと思うし、
 愛情豊かな環境で育った子は、この世を友好的に捉える。
 
 
 同じように、子供がある一定の年齢に達し自己認知力が付くと、また「自身」への第一印象が決まってくる。
 
 自分は何々が好きで、何々が苦手。
 周りの人と比べて、自分は何々が強く、何々が弱い。
 
 こういった認知も、しつこいぐらいに引きずる。
 上記「この世への第一印象」と合わさって、これらからくる影響がそのまま人生の歩み方を左右してしまう。
 
 更に成人するにつれ思いが強化され、どんどん頑固なものとして体内に染み込まれていく。
 年を取れば取る程、考えを変えるのが難しくなっていく。
 
 
 けれど冷静に考えてみたら分かる。どの段階における「この世」と「自我」の認知も、結局断片的なものに過ぎないのだ。
 
 私達の生活圏も、そこで触れ合いのある人々も、この広い世界からしてみれば実に小さな範囲にしか過ぎず、
 狭い視野で見たものが全てと思い込み「この世は~」と評価を下すのは早計に過ぎる。
 
 私達一人一人の人間もそうだ。一生の付き合いともいえる相手だとしても、その人を全部知ったとなんて言えない。これは自分自身に対しても言えることだ。
 無限の可能性を持ち、未知な一面がある限り、「私はこういう人だ」なんて断言するのは不可能だ。
 
 そんな歪んだ「第一印象」、歪んだ認知のまま人生を終えるのはなんと虚しいことか!
 
 
 幸い、大人にもなればある程度自分の足でもっと広い世界を見ることが出来る。
 
 狭い生活圏を飛び出て、バスや電車や飛行機といった便利な乗り物にひょいと飛び乗ればどこにだって行ける。
 物理的に遠くに行かなくたって、近所の習い事教室やサークルに参加して人付き合いの輪を広げれば、そこからまた新しい世界に触れることが出来る。
 
 それでさえ億劫に感じる場合は、普段口にしている食べ物、使っている日用品の中身を少し変えるだけでも、新しい体験が出来る。
 いつもの外出ルートや行動パターンに微調整を入れるだけでも、生き方そのものに変化を起こせる。
 
 
 親しみ慣れたコンフォートゾーンの外に出るのは何かと不安や怖さを感じるものだが、それらを克服した分の「人生のルート」を手に入れることが出来る。
 
 選択肢が広がる。
 環境や他人に強制的に行き先を決められずに、自ら生きたい方向に手を伸ばし、自分だけの旅路を勝ち取ることが出来る。
 
 そこでようやく気付ける、「ああ、こんな道があったんだ、こういう私でも、受け入れてくれる世界があったんだ」と。

今のお前はこれまで出会ったすべてだ。でも、未来のお前はこれから出会うすべてだ。

おあとがよろしいようで(喜多川泰 (著))


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竹子(たけねこ🐈)
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