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過去のパワハラ体験があるから、思うこと。

以前私が、希死念慮(自殺願望)のある方のケースワークを担当していた時、駆けずり回る私を見て、ある友人が「死にたがってるんだから別に死なせてあげたら良いやん。」と言った。私を思っての言葉なのでありがたいと思いながら、私が言ったのは「ありがとう。でも、正常に判断できる状態じゃない中での言葉を真に受けるわけにはいかないから」だった。

友達は、「お人好しやな。」と言い、私は「そういう性分やねん」と言い、2人で「あはは!」と笑った。

死にたい人の「死にたい」が、単純な「構ってちゃん」ではなく、「視野が狭くなっている状況」と「苦しさの限界」が掛け合わさって出た悲鳴に近い言葉だというこの感覚、もしかしたら分かる人にしか分からないのかもしれない。

だけどこう考えたらどうだろう?

例えばベロベロに泥酔した友達が、財布を渡してきて「これ、あげる」と言ってきても、普通の人なら、多分返すと思う。また、幼稚園の頃に幼なじみから「大きくなったらボクのお嫁さんになってね」と言われたのを真に受けて、大人になっても待っている人も多分滅多に居ないと思う。

メンタルの調子を崩している時の判断って、泥酔時の「財布をあげる」や、幼稚園児のプロポーズ並みにあてにならない物だと私は思う。

だからこそ、私は調子を崩した人の「死にたい」をしんどさの指標として、「そう思うくらい、今しんどいんですね」と、とらえる。

少し前のALSの方に医師免許を持つ人が、行ったことが殺人か安楽死か?の話もそうだけど、本当にしんどい時は視野が極端に狭くなるのだ。

実際私も酷いパワハラに遭い、13年勤めた会社を辞めたことで、心身の不調から抜け出した経験がある。まるで変な宗教に洗脳されたかのように徐々に視野が狭まる感じ。動悸、不眠、胃もたれで何も食べられない感じ、自責、死ぬ以外考えられない感覚。経験したからこそ体感的に理解できる。

だからこそ、今の私は本心から、「今はそう思わずにはいられない位、しんどいんですね」と、素直に思うことができる。だから、仕事の時間中はその気持ちを汲もうと思う。パワハラという真っ暗闇の体験も、そういう意味では私にとってあれはあれで貴重な財産だなと今では思う。

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