あの頃僕らはアホだった〜2003年・13歳後編〜
2003年・夏。
13歳の僕は、無人島にいた。
全員参加の無人島キャンプという、何とも珍しい学校行事。
ちなみに5泊6日である。長くない?
当時13~14歳の僕らに、無人島生活が与えたインパクトは大きかった。
しかしながら、10代前半の対応力というのは恐ろしいもので。
無人島の地獄のように暑さにも1日3分のシャワーにも、徐々に臭くなっていく身体にもやがて慣れた。
キャンプ3日目には台風が島を直撃し、テントは半壊したがそれさえも乗り越えた。
特に、元々バカで団結力が強い男子たちの対応力は半端じゃなく。
初日はバッタにもビビっていた奴らが、4泊目にはクラゲの死骸で野球を始めていた。
これには女子もドン引きだったが、僕らはキャッキャ言いながら野球をしていた。ちなみに、クラゲを木の棒で打っても飛び散るだけなので一生ヒットは出ない。ただのアホである。
そして、無人島キャンプフィナーレの遠泳が訪れた。
台風の後で水かさが増していた海は、うねりにうねっていた。
大丈夫なのか、これは。
そんな疑念を抱えたまま、男子も女子もひとまとまりにされた上で浮島に乗せられた。
そして、手始めに海水をぶっかけられる。拷問?
『ルールを説明する。
台風で海が荒れてて危険だ。
なので、あそこにあるブイまで泳いで帰ってこい。
ブイまで往復で200m。
5往復したら1kmでゴールだ』
そこまでして泳がせたいか?
心の底から疑問が湧いたが、そんな深いことを考える学校ならそもそも無人島キャンプなんてやっていないだろう。
僕は全てを諦めた。
先生に促され、次々と海に飛び込んでいく僕ら。
あんまり…いや、全くもって気乗りしないけど、ちゃっちゃと終わらせよう。
僕も、流れに乗って海に飛び込んだ。
しかしながら、この時の僕らは海の恐ろしさを知らなった。
命を弄んだ贖いを受けることになるのである。
泳ぎ始めて100m程すると、身体に痛みを感じ始めた。
しかしながら、これは筋肉の疲労ではない。
肌の表面が、ところどころ痛いのだ。
僕は、海中で目を凝らした。
良く見ると、視力の悪い僕でも海中にクラゲがうようよしているのが見えた。
その光景を見た瞬間、野球のボールとして使えるぐらい大量のクラゲの死骸が浜に打ち上げられていたことの謎が解けた気がした。
場所の問題なのか気候の問題なのかは判然としないが、恐ろしい数のクラゲが浅瀬に大量発生していたのである。
そして、そのクラゲたちは僕の体を次々と刺していく。
おそらく、仲間を野球ボールにされた恨みである(推測)。
500mを過ぎるころには、身体に痛くない部分がなくなっていた。
水着で隠れている部分以外は、もれなく全部痛い。
早くゴールしないと、死ぬかもしれない。
そう思って無理にペースを上げると、ウェットスーツを身に着け監督していた教師の一人が僕にこう言った。
「いいぞ!スピード乗ってるぞ!」
そうしなきゃ痛いんだよ。
というか、そのウェットスーツをよこせ。
心の中で呪詛の声を上げながら、必死で泳いだ。
別にスピードを競っているわけではないが、僕は先頭集団にいた。
僕を含めた数人が、5往復を終えてゴールに辿り着いた。
しかし、ゴールで待ち構えていた先生がとんでもないことを言い始める。
『こんなに早く着くわけないだろ!
誤魔化そうとするな。もう一往復』
コイツ、脳味噌が頭に詰まってないのか?
僕が鬼だったら先生を血鬼術で攻撃しているところだったが、当時はまだONE PIECE全盛だったので仕方なかった(?)。
というわけで、トップ集団は呪詛の声を上げながらもう一往復。1200mを泳ぎ切った。
上がった後、全員『いてえええええ!』と叫んでいた。
ちなみに、1km遠泳を達成できなかった人はいなかった。
泳ぎが苦手な人たちはこう言っていた。
『痛過ぎて泳げないとか考えてる暇なかった』
まさしく怪我の功名である。
遠泳が終わり、僕は『こんな島二度と来るか!』と思った。
20年がたった今でさえ、一つも良い思い出が浮かばない。
しかしながら、なんの因果か僕はここから3年後にこの島を再訪することになる。