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短編文学的エッセイ 【時代とお金さん】

僕はいつも現金を手に取る。
財布から出した紙幣や硬貨には、わずかな温かみがあり、それを手に感じる瞬間が僕にとっての「現実」だ。支払いを終えると、心の中で「お金さん、ありがとう。今日もあなたのおかげで良い時間を過ごせた」と呟く。
これは、僕のささやかな儀式だ。紙幣のしわや硬貨の重さには、僕が働いて得た時間が詰まっている。

ある日、仕事の昼休憩に職場近くのレストランに立ち寄った。そこはキャッシュレス専門のお店だった。キャッシュレス決済ができないと、注文すらできないと知り、僕はそっと店を後にした。なんだか、自分が時代に置いていかれたような感覚がした。頭ではキャッシュレスが便利だと理解している。しかし、体がそれに追いつかないのだ。財布から現金を取り出す動作が、いつの間にか僕の中で安心感の一部になっていることに気づかされた。

最近では、飲み物などの少額の買い物で楽天ポイントやLINEペイを使うこともある。
スマホ一つで決済が完結し、財布を出す手間も省けて驚くほど便利だ。現金を使わなくても不安にはならないが、物理的な感覚が薄れていくのは確かだ。手元からお金が減る感覚がなくなると、対価の重みが軽くなってしまうように思える。

僕にはもう一つ、お金に対する自分なりの基準がある。何かを買うとき、常に時給換算をするのだ。仮に時給が1,200円なら、この商品を手に入れるために何時間働く必要があるのか。それを基に、自分にとって本当に価値があるかを判断する。
もちろん、欲しいものはたくさんある。
しかし、その欲望を満たすためには、僕は自分の時間を使わなくてはならない。そして、その時間がその商品に見合うのかを感じ取るのである。

1,200円という数字は、僕が切り売りした時間そのものだ。だからこそ、慎重に考える。
しかし、時には時給換算だけでは割り切れない瞬間もある。例えば、友人との時間や彼女との食事には、お金では測れないかけがえのない価値がある。だから僕は時には、財布のひもを緩め、そうしたかけがえのない時間のためにお金を使う。

お金と時間、二つを天秤にかける毎日。
どちらも有限だからこそ、そのバランスを保ちながら、今日もまた財布を開き、「お金さん」に感謝しつつ、今を生きている。
お金さんありがとう。


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