他人を愛せるわたしのことだけは、好きでいられたのです。
とてつもなく胸が痛い。眠る時間が遅くなればなるほど、体に毒が回る。分かってはいるけれど、日が変わる前の時間は、動けない。
自分との交換日記を始めようかな、と言ってから二日が経とうとしている。過去を救ってくれた彼はそのまま過去へ行ってしまったし、大切にできなかったわたしはいまだにその傷を治せずにいる。痛みを感じなくなった、と思っていたけれど、本当に思っていただけ、ただ、気づけなかっただけで、痛みはわたしの中にずっとあった。わたしのことを大切にできないわたしが、元気よく生きていたおかげで、わたしの痛みが手遅れになった時、ようやくわたしはわたしが歩けなくなっていることを知った。なんとか手に入れたはずの大きな自己肯定感は、一瞬で消えて、わたしはまた、わたしに戻ってしまった気がした。
自己肯定感が低い人は「自分を大切にできない」「自分を好きになれない」らしく、「自分を愛しなさい」「自分のために生きなさい」と、よく言われてきた。でも、自分よりも他人が優先されるわたしにとって、「誰かのために行動するわたしを愛すること」が「わたしを好きになること」だったし、「わたしのための時間」は「誰かのために動くわたしの時間」だった。結果的に、わたしのためは誰かのためで、誰かがいないとわたしはわたしを大切にできなかった。今も、だけど。でも、結果的に、わたしの他者貢献は「自己犠牲」を生んだ。わたしの時間を人に捧げる行為を繰り返す。睡眠も、食事も、趣味も、全てを他人のために捨てた。捨てている、なんて感覚があればよかった。わたしの自己犠牲は、わたしが生きていることの証明のようなものだった。自己犠牲のないわたしの生活は、わたしを殺してしまうと思っていた。
でも、自己犠牲は自傷行為。わたしの体はボロボロになった。食べた物はすぐ体内から出ていってしまうし、昨日のことを思い出せない、立ち上がると立ち眩みがするし、みんなの生活が始まる時間になってようやく眠りにつける。わたしの体に起こっている異変、わたしはなにも気づくことができなかった。大好きだったSNSは一切見れなくなってしまったし、毎日のおはようとおやすみのLINEすら出来ないほど追い込まれていた。そしていつからか、わたしは恋人に会うたび泣いていた。「しんどいなら辞めればいい」「どうしてそんなに人に時間を割くの」と恋人に言われるたび、「わたしが頑張っていること、喜びを感じていることをどうして否定するの」という反発心でいっぱいになった。週に一回しか会えない恋人、「彼が運転する車の助手席では眠らない」、三年間守り続けた約束を、ついに破ってしまった。なにかが壊れていく、その感覚はあったはずなのに、わたしは忙しい毎日に充実感を覚えていた。しんどい、それは嘘じゃなかった、けど、楽しかった。誰かに必要とされるわたし、それに応えるわたし、わたしを消すわたし。だんだん、わたしの中の大切が分からなくなった。優しい恋人の連絡が面倒くさくなった。ようやく、わたしはわたしのなにかが間違っているような気がした。でも、そのなにかを正す方法も、今のわたしの異変も、元のわたしも、生き方も、わたしはなにもかも分からなくなって、とうとう、歩けなくなってしまった。
「休みます。」いつものような絵文字はつけない。返事も返さない。なにも見ない。とりあえず、全部忘れてみよう、と言ってくれたから、その言葉通り、なにもしない日々を過ごしている。今日は、五日目。
三日目までのわたしは、なにもしないわたしのことを否定し続けていた。お風呂に入った瞬間、突然涙が止まらなくなった。泣いているのに、子どもの時のように声をあげることはできなくて、呼吸が上手くできなくなった。思えば、わたしは6月の記憶がほとんどない。スケジュール帳には予定がびっしりと書き込まれているのに、わたしは何をしていたんだろう。息抜き、と言って恋人が連れていってくれたお花畑。写真を見ても、会話やその花の鮮やかさをあまり思い出せなかった。心が、死んでいた。
「わたしを好きになる」が、分からない。好きだったわたしは、わたしを殺すためのわたしだった。わたしはわたしを制御できない。頑張ろうと思えばいくらでも頑張れる。無理をしようと思わなくても無理ができる。自分を捨ててでも、誰かのために生活を続けられる。朝も、昼も、夜も、名前のない時間も、あなたに必要とされるなら、わたしはどこへだって行ける。歌詞になりそうな言葉通り、わたしは生きている。わたしを大切にする生き方が、わたしには分からない。
わたしを大切にする方法、分からない、と嘆いているままだと、わたしはますますわたしを嫌いになってしまう気がした。色んな本を読んで、色んな話を聞いた。部屋を綺麗にする、好きな香りのディフューザーを置く、パジャマや下着を自分しか見ないからと言って妥協しない、好きな物だけ身に付ける、とか。元気な時に、やっていたはずなのにな。今のわたしにとって、ファッションも、ネイルも、髪色も、誰かに見せるためのものになって、見えない部分は「生活を続けるためのもの」になっていた。わたしのためのもの、時間、最後に触れたのはいつだっけ、と考えると、五月に行ったフェスのことしか頭に浮かばなかった。あとは、なにさんの「バツのつけかた」ぐらい。また胸が苦しい。こんなこと、書くつもりじゃなかったのに。また、弱くてごめんね。
なんとなく一緒にいるあの人のこと、半年前、わたしは言葉にして残していました。そんなにも前から、彼はわたしの中で大きな存在だったのね、残していたから知れた、わたしのこと。煙草をやめてしまったと言っていた。煙草の煙で息をするあなたが好きだったのに。吐いた息に殺される、わたしが好きだったのに。
誕生日プレゼントをもらった。一か月前、わたしがあげたプレゼントと同じラッピング。同じ店で、違うものを買ってくれていた。誰かの心に一瞬でもいられたわたしのこと、ちょっとだけ好きになれた。
旅行の計画を立ててくれた。不器用にまとめられたWordが愛おしかった。わたしのために時間を割いてくれた君のこと、一生大切にできたらいいのに。大切にされたわたしのこと、抱きしめてあげた。
わたしの大切な記憶の中には、常にだれかがいる。わたし一人では成り立たない幸せ。それは、確かに幸せで、わたしからは一生切り離せない。もう、どんなにわたしを誤魔化したって、わたしが人から離れられることはない。依存から生まれる安心感。これがないと、わたしは生きていけない。だからこそ、誰かに依存していてもいいから、わたしはわたしのための「幸せ」を、見つけないといけない。
一年以上伸ばした髪を切る。一昨年は五月、去年は六月、今年は七月。たぶん、毎年のわたし、こうしてわたしを生きることを決意する。
推しにも会いに行く。一人で。物も捨てる。必要なものだけに、触れていられるように。好きなものを我慢しない。だれかのために、自分の大切なものを犠牲にするのは本末転倒。わたしは、わたしに素直でいたい。
他人を愛せるわたしのことだけは、好きでいられたのです。他人を愛し、愛されるわたしのことだけは、肯定できたのです。でもそれは、わたしに価値を与えてほしいからだった。いつも読んでくれてありがとう。わたしを、生かしてくれてありがとう。
いつか青い鳥になって、あなたの下へ幸せを届けます。