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文庫・新書の独断的10選(2024年下半期)
便利なポシェットのおかげか、わたしは文庫本を読むことが増えた。このペースだと年末には思い出せなくなりそうな気がしたので、6月のおわりに今年上半期に読んだ10冊をピックアップした。
1年を上半期と下半期に分けて上半期になにかをしたら、下半期も同様にやるのはものの道理である。あっという間に陽が短くなり、1年の終わりに近づいてきた。上半期と同様に半年分を簡単にまとめておくことにする。
わたしが選んだ下半期の10冊は以下のとおり。リンクはいつもどおりAmazonアソシエイト。最近出版されたものがほとんどだけど、前に買っておいたものをこの7月以降に読んだというケースもある。
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まずは先月永眠された谷川俊太郎さんの詩集『ベージュ』。4年前、88歳の米寿の年にそれまでの詩作をふりかえってまとめられた詩集の文庫版。米寿だからベージュ。氏の訃報の翌週に発売されたものだから、追悼ものではなく、もともと予定されていたものだ。さまざまなスタイルの詩があるけれど、シンプルな表現からひろがる意味の深さにはいつも新鮮な気づきがある。この中に「詩人の死」という作品があって、タイミング的に谷川氏自身を思わずにはおれない。「あなたはもういない 立ち去ったのではない 連れ去られたのでもない 人間をやめただけ」——そうそう、ギリシャ映画『永遠と一日』を思い出す。詩人が亡くなり新たな詩が生み出されなくても、彼の残したものはいろんな局面でわたしたちに語りかけてくれる。
次は対談集。河合隼雄『あなたが子どもだったころ[完全版]』。精神分析医の対談術は流石だ。錚々たる(癖のある?)対談相手から子供時代のことをとてもスムーズにひきだし、それぞれについて興味深いテーマを提示しつつまとめてくれている。どの対談にも読んでいてストンと腑に落ちる感覚がある。わたしには中高生の子供たちがいるので、共感できるポイント、参考になるポイントがたくさんあった。なお、上で紹介した谷川俊太郎氏との対談もあって、それは不登校がテーマ。子育て世代はもちろん、子育てが終わった人も、子供がいない人も、かつて子供だった人全員にオススメしたい。
子供時代がキーワードになったところで、子供に対して書かれたものを。10代の若者たちを対象に行われた講演の記録『地獄の楽しみ方』。著者は京極夏彦。京極氏の書籍としては、わたしの知る限り、物理的な厚みが最も薄い。厚みとしては薄いけれども内容はけっして薄くはない。人類最大の発明である言葉をどう使うか。読書はすべて誤読である。この講演を聴けた若者たちがうらやましい。言語化の有用性が叫ばれて久しいけれど、当の作家から言葉はデジタルであって言語化で抜けてしまう情報があるとの指摘は早くから聞いておく価値のある話だと思う。
言葉についての認識をあらたにしたところで、次はその言葉を記す文字の話。書家の石川九楊氏による『ひらがなの世界』は、日本語独自の仮名文字にフォーカスした言語論だ。文字は言語を書き表すだけがその役目ではなく、言語をつくる重要な要素。それが具体例とともに示されている。仮名の発達は字形変化にとどまらず、万葉仮名の頃から日本語とともに発達してきた。連綿は流れるような美しさをみるだけではなく、意味のつながりを裏切るように区切られたところに何かが隠されている、そんな謎解きめいた見かたも楽しい。女手(≒ひらがな)による書には伝達のためだけでなく表現のために、ときには大胆な仕掛けがされているという。ひらがなとは別系統とも言える草仮名、絵文字的な葦手なども含めて、文字から日本人の美意識にせまる論考が最高に面白い。
今度は外国語を含めた言語全体について。わたしが心待ちにしていた書籍がついに文庫本として刊行された。それは比較言語学の入門書、吉田和彦著『言葉を復元する』。この文庫本は珍しく横書きなのだけど、それは著者の研究対象が印欧語だから。わたしは高校生の頃から、似た言語の法則性から未知の言語が帰納法的にわかりそうだななんてことをぼんやり考えていた。そのぼんやりと考えていたことこそ、この比較言語学という学問だった。本書では、比較方法、内的再建法といった記録以前の言語の状態を推定する方法、そして規則的な関係を一般化する類推というアプローチについて、具体例を挙げた丁寧な説明がされていてとても解りやすい。方法論が中心になっているけれど、そこから人類の長い営みが想像できるようでロマンがある。
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言葉がらみが続いたので、あとは小説などを。澤田瞳子著『星落ちて、なお』は、画鬼と呼ばれた河鍋暁斎の娘とよの半生記。絵師の家庭に生まれて当然のように女絵師として活躍したとよの、いわゆる二世としての葛藤が丁寧に描かれている。異母兄の周三郎との確執、弟子には越えられない父で師匠の暁斎の絶大な業績と名声、当時の女性に求められる良妻賢母像……亡き父に呪縛されているかのようなその人生。じつは視聴していた大河ドラマ『光る君へ』で、段田安則さん演じる藤原兼家が亡くなる回のタイトルが「星落ちてなお」だった。それでこの小説を思い出して手に取ったのだけど、なるほどゴッドファーザーがその没後にも呪いのように後継者に影響し続ける様が共通している。脚本家によるオマージュだったのだろう。
青山美智子著『赤と青とエスキース』も絵描きや額職人、漫画家など絵に携わる人びとが登場する小説。オムニバスに見えて、個々のエピソードが関連しあってひとつのストーリーになるこのタイプの小説や映画は結構好きだ。メルボルンの若手画家ジャック・ジャクソンが日本からの交換留学生レイをモデルに描いた《エスキース》、この水彩画が時代と場所を超えて人と記憶をつないでゆく。読み進めてわかる短編それぞれの種明かしが秀逸で深い感動を呼ぶ。読み直すと確実に違う見え方になるのも楽しい。ちょっとした心理描写が巧みで、自分もかつて覚えた心境を思い出す場面が多かった。
角田光代『タラント』もはじめ別々に思えたストーリーが関係しあって大きなストーリーになる構成。自己肯定感の低い中年の主人公多田みのりは、わたしよりも少し年下の世代なので、大学進学以降の作中に出てくる描写に共感を覚えるところが多い。わたしも色んなことをしてきたものの、常にどこかに鬱屈したものを抱えている。だから心理的にも共感できる。やけにリアルな海外ボランティアのエピソード、これもまた、共感できるところが多い。わたしはボランティア活動ではなかったけれど、アフリカ、中東、中央アジアでの仕事で様々な人びとと会った。なかには内戦の犠牲になり辛い報せを聞いた人もいる。戦争に従軍した祖父清美のこと、学校に行けない甥っ子の陸の考えていること。この長編小説には、読者ごとに違うであろう共感ポイントが散りばめられている。みのりとまわりの人びとの人生が丁寧に書かれているからこそ、自分や身近な人びとの人生に投影できるものがあった。気負わずにやれることをやろうかなと思わせてくれる、そんな感動が読後にじんわりと残った。
次は東京藝大美術館の大吉原展を観た後に寄った書店で偶然目にして買った『吉原の面影』。永井荷風は「里の今昔」で戦前昭和に遊里の名残を追い、明治期の短編小説をいくつか挙げている。それらの短編小説、樋口一葉「たけくらべ」、広津柳浪「今戸心中」、泉鏡花「註文帳」が、荷風の「里の今昔」につづいて掲載されている。つまり荷風の見た吉原の面影を過去の短編小説の描写で補強したような構成で、「増補付き里の今昔」といった趣だ。「たけくらべ」では、遊女に育つことを運命づけられたような美登利と遊里周辺の子供たち。一葉による生き生きとした描写に続いて、「今戸心中」では成長した美登利を彷彿させる娼妓吉里の生き様が描かれる。吉原の心中ものとしては一葉にも「にごりえ」があるけれど、「今戸心中」の吉里の純情を選んだところに荷風らしさがある。最後の泉鏡花「註文帳」は、剃刀の研師五助と鏡磨きの作平の話ながら、情死した遊女に取り憑かれるような怪談。その遊女お縫いはもともと旗本の娘で明治維新で没落し遊女になった。そんな設定が、時代とともに姿を消した吉原遊廓を象徴しているように見えてくる。個別の作品では味わえないオムニバスならではの良さがあった。
最後に紹介する『谷崎潤一郎を知っていますか』は、阿刀田高氏の「◯◯を知っていますか」シリーズ最新作(正直、まだ新作が出るとは思っていなかった)。ずいぶん前のことだけど、この「◯◯を知っていますかシリーズ」は、わたしはひととおり読んでいて、本選びに大いに参考にさせてもらった。9月に書いたように、わたしは谷崎の作品集を買ったこともあって、この阿刀田高本が気になった次第。読書案内としてはもちろん、阿刀田氏の視点からの分析には新たな気づきが得られる。なお、9月に買った日本文学全集にある作品としては、『蘆刈』がこの阿刀田解説に入っている。余談になるけど、谷崎の代表作『痴人の愛』は近ごろ現代版アレンジで映画化された。その映画も観に行ったので感想を書いておかないとなと考えている。
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こうして振り返ると、言語や文字に関する本と小説とが半々の割合になっている。べつに意識してそうしたつもりはないのだけれど、わたしはいつも複数の本(文庫・新書だけでなく単行本も)を同時進行で読んでいるから、結果的に関心の向くまま似た傾向の本をまとめて読むことが多いのだと思う。
ここに紹介した10冊はひとまず読了したものではある。しかしながら、速読乱読ぐせゆえに、じつはあまり丁寧に読み込めていないものもある。本noteでざっくり感想というか概要を書いていて、読み直したくなった本も多い。
冬至を迎え、今年も残り10日ほどになった。文庫・新書以外の本についても同様に書いておきたいのだけど、年末だというのに未だにやることが山積していて見通しが立たない。もしかしたら年を越してしまうかもしれない。でも、さらにあと10冊ぐらいは紹介したいので、そちらも読んでいただけると嬉しゅうございます。