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映画「ロストケア」の感想と感情のケアについて

こんにちは!
のぞみ@心と身体の漢方おねえさんです。
ここのnoteはどちらかというと読者のみなさんに
有益な情報や心や感情のケアの方法、
ケアした結果どんな事が起こったか?をUPする場にしてますが、
今日は、エッセイ寄りのお話を書いてみたくなりました。


勿論、途中で「感情のケアの重要性・有益性」について触れる部分もありますが、どちらかというと、私の思考を自由に書いていきたいなと思って、
筆ならぬパソコンに向かっています。

あと、今、この瞬間に、私が一番やりたいことって、
Amulet.を創る事でもなく、
自分の世界観を交えた心理学やダイエットの投稿を製作することでもなく、
とにかく、自分の気持ちを吐き出したい、そして、気持ちを表現したいが強いので、それを自分で自分に叶えてあげようと思い、いつもとは違ったnoteをUPしようと至りました。

この「自分で自分に叶えてあげること」の重要性は、noteのこの記事を見てね☆彡(結局、有料記事の宣伝は入れる(笑))

1.「認知症の発症の仮説」(映画のネタバレあり)

映画では「ロストケア」(喪失の介護)がテーマだったけど、
認知症を扱っていたので私の頭に真っ先に浮かんだのが、かねてから自分の中にあった「認知症の発症の仮説」と「感情の発散・表現の重要性」でした。

認知症の発症原因の医学的な見解としては

認知症の原因はさまざまですが、主に以下のようなものがあります
①アルツハイマー型認知症: 脳内にアミロイドβタンパクやタウタンパクが蓄積し、神経細胞が破壊されることで発症します。
②血管性認知症: 脳梗塞や脳出血など、脳の血管の障害によって引き起こされます。
③レビー小体型認知症: レビー小体という異常タンパクが脳の神経細胞に蓄積することで発症します。
④前頭側頭型認知症: 前頭葉や側頭葉の神経細胞が死滅することで発症します。これらの原因によって、記憶障害や判断力の低下、行動の変化などの症状が現れます。認知症の予防には、健康的な生活習慣や早期の医療相談が重要です。

どの原因も、脳細胞の機能がおかしくなること原因で、
健康的な生活習慣で発症が抑えられるとされています。
ただ、一度発症すると進行を遅らせることや症状の改善はできても、完治に至ることはありません。薬もありません。

私は、認知症は「幼児返り、赤ちゃん返り」という仮説を立てています。
「感情の抑圧」をしながら生きてきた人の、最後の死ぬ前の感情開放の場=「幼児返り、赤ちゃん帰り」=認知症の発症なのでは?と思っています。

この「感情の抑圧」とは、要は、様々な場面で我慢を強いられ、我慢しなければ生きていけなかった状態を指します。

映画に描かれていた認知症の人達の生い立ちに関しての共通点が「シングルマザー」や「シングルファーザー」本人や、それらを子供に持つ親だったりしている。

映画では「貧困層」に注目してほしくて、おそらくこの共通点を描いているのだと思う。斯波の家庭環境と弁護士の大友の家庭環境は「離婚した親を持つ」「親が認知症」という共通点はあるが、「貧困層の介護」と「富裕層の介護」の対比も描かれている。

私は、このような人達は貧困層だからというだけでなく、(人によっては幼少期から)青少年期~成人期における「感情の抑圧」が著しいと思っている。
「片親だから」と我慢する場面が多かっただろうし、
「子供がシングルマザーになったから、助けてあげなければ」と無理をした親も多かっただろうと予想がつく。
日々、ちょっとした、でもどこにも吐き出せない「感情」を抱えて、我慢して生きてきたのではないだろうか?

映画では、子供夫婦と孫と暮らしているような老人も認知症として描かれている。このような世間一般的には幸せな老後を迎えているはずの人が、我慢して生きた結果の認知症発症?と疑問に思うかもしれないが、
昔の日本は「我慢が美徳」とされてきた文化であり、耐え忍ぶことが当たり前だった時代。
昔の苦労話を、子供や孫に語り聞かせるおじいちゃん、おばあちゃん世代。
丁度、認知症とされている世代に合致するのではないだろうか?

人よりも「自分の感情を我慢をすること」が多い家庭環境や世代環境の年代に認知症が多いと仮説を立てている。

勿論、普通に老化で緩やかに穏やかにボケていく人もいる。
もっと昔は、それこそ、「認知症」という病名になる前の「おじいちゃん、ボケてきたね」と表現されていきた時代ってそういう穏やかにボケていく人が多かったと思う。
それに、どちらかというと「昔はあんなに怒りっぽくて、怒鳴り散らしていたおじいちゃんが、こんなにも(穏やかな)ボケ老人になっちゃって」というように、若い頃は気性が荒かった人が人が変わったかのように穏やかになってそしてやがてボケていくっていうのが多かったと思うのです。

今の認知症って、昔と逆で「今まで穏やかでおとなしい人」が
「暴れまわる」「抑えが効かない」「困らせるほどのわがままをいう」
このパターンが多いような気がする。
そして、どんどん症状が過激になっていて、昔とは様相を呈している。

どこかの医療系新聞か雑誌で
「認知症の人は、体が大人のまま、子供のように振る舞うので、介護士はケガをしやすい」とあった。
確かに老人とはいえ、60㎏~70㎏もある男性が子供のように全力で腕を振り回したら、女性だったら抑えこめないし、男性でもケガをする恐れがある。
でも、幼い子供や赤ちゃんって、相手がケガしちゃうかどうかも考えないよな・・・まるで赤ちゃんみたいだなと。

この記事を読んで「認知症って子供返り、赤ちゃん返りなんじゃないかな?」と思い始めた。

「認知症」になることで、今まで生きてきた中で我慢して、我慢して、耐えて、自分の中に閉じ込めてきた感情を赤ちゃんや子供のように気兼ねなく発散したい「願望」を叶えているのではないか?

冒頭に書いた

「感情の抑圧」をしながら生きてきた人の死ぬ前の感情開放の場=「幼児返り、赤ちゃん帰り」=認知症の発症

ここに繋がるのです。

少し哲学的?な話?になるのですが
「人は、自分が経験したいことを決めて産まれてくる」って話を
どこかで耳にしたことがあるけど。
もしそれが、本当なのであれば
「感情を思う存分感じる」
「感情を表現する」という経験もしたいと決めたのに
その経験をせずに我慢して生きてきたことに他ならない。

だから、生きている間に
「感情を思う存分感じる」
「感情を表現する」
これらをすべて経験してから死を迎えたいのでは?
死を迎えるまでの「産まれるときに決めてきた経験をすること」の
辻褄を合わせるために「認知症」になっているのでは?

ここで「認知症にならなくても感情を感じたり、表現すればいいのに」
という疑問が出てくると思う。
それは、次の項目で話していこうと思う。

2.心や感情のケア不足における「認知症の発症」の可能性


「認知症にならなくても感情を感じたり、表現すればいい」

これを特に日本人が出来ない理由をこの項目では説明していきたいと思う。

世界的に見て「日本」の認知症の発症率が高いデータがある。
この発症率が高い理由は、
「人口に対する高齢者の割合が高いので必然的に認知症の発症の割合が高くなる」という話だが、
私は日本における「心や感情のケア」いわゆる専門家による「心理カウンセリング」の浸透率の低さがあると思う。

アメリカや欧米諸国では、心理カウンセラーと関わることが多く、
個人でも主治医ならぬ、専任の心理カウンセラーを持っている人が多い。
企業も学校も「心の悩み」に関しては、先生や上司が対応するのではなく、専門の心理カウンセラーが対応している。
日本で企業内カウンセラーが導入されているのは外資がメインで、
ようやく大手企業にも企業内カウンセラーが在中するようになってきたかな?
従業員のメンタルヘルスのケアに取り組んでいる企業は約3割程度。

いまだに「心理カウンセラーに相談する」=「心の病気」「精神疾患」のレッテルをはられることに危惧して相談できないまま、
本当に病気になってしまうまで我慢している人が多いのが現実である。

日本人の多くは、感情を「自由に」「自分らしく」表現することが苦手であり、周りと同じことが良しとする風潮がある。
だから、周りと違う感情を抱いた場合「どうやったら感情を表現できるか?」よりも「どう我慢するか?」の方に思考が行きやすい。

それに加えて、昨今のSNSの普及と匿名による言葉の暴力により、
どんどん感情を言葉にしにくい世の中になってきている。

こうなってくると「感情を我慢するのが当たり前」となる人も多いだろう。

我慢に我慢を重ねて、蓋をし続けた「感情」を意識・無意識下に関わらず、
①「我慢していた感情を解放してもいいのでは?」と思う時はどんな時だろうか?
こんな風に我慢して生きてきた人は
②どうやって感情を発散するのだろうか?

私は①「我慢していた感情を解放してもいいのでは?」と思う時って
多くの人は「定年退職後」もしくは「育児を終えた後」ではないだろうか?
いわゆる「老後」の時期が該当する。

勿論、65歳未満が発症する「若年性認知症」もあるが、この「若年性認知症」の発症原因は、主にアルツハイマー型認知症か脳血管性認知症の2つが圧倒的に多く、どちらの原因も「ストレス」による特殊なたんぱく質による神経細胞の破壊や脳血管破裂である。この「ストレス」は「感情の我慢」であり、「感情の我慢」が限界に達してしまったが故に、細胞破壊や脳血管破裂に至ると推測している。

話を戻すが、「定年退職後」もしくは「育児を終えた後」の人は
②どうやって感情を発散するのだろうか?

今まで我慢しながらも、世間から見て真っ当に生きてきた人間が
「はい、今から、我慢してきた感情を出しましょうね!
溜めていた感情をスッキリさせていきましょう!」といわれても

「人に迷惑をかけてしまうのではないか?」
「今更、こんな風に感情を言っても意味が無い」と考えたり

「感情を表現することが恥ずかしい」と感じたり

感情を出す・感じる・吐き出すといった手段や方法を
分からない人の方が多いのではないでしょうか?

ただ、項目1で述べたように

生きている間に
「感情を思う存分感じる」
「感情を表現する」
これらをすべて経験してから死を迎えたいという無意識下の欲求、願望が

「認知症という病気だったら、自分のこの溜まりに溜まった感情を出してもいいのではないだろうか?」
「認知症で訳が分からなくなれば、恥ずかしさも感じないのでは?」
「認知症なら多少わがまま言っても仕方ないよね?と許されるのでは?」

自分が感情を表現することを赦す、周りからの赦しが欲しくて
無意識に「認知症になることを選んでいる」のでは?

勿論、誰しも「認知症になりたくてなっているわけではない」
重々承知です。

ただ「認知症」以外で
「感情を思う存分感じる」「感情を表現する」方法が分からないのだと思います。

今まで真面目に生きてきた人だからこそ
「病気(認知症)」という免罪符でもって自分を守りたいし、
その上で感情を発散したい!という無意識の欲求は、
あって当たり前だと思います。

だけど、本当なら「認知症」にならずとも
「感情を思う存分感じる」「感情を表現する」
これができたらいいですよね?

生きていく上で、多少の我慢は必要だとしても、
自分を「認知症」にしてしまうぐらいの我慢を強いることを
やめたいですよね。

だからこそ、私は「心や感情のケア」の重要性を説きたいし、
伝えたいし、方法を提案していきたくて、

心理の資格を取ったり、Amulet.を作ったり、SNSに投稿したりしているんだなと改めて思いました。

もちろん、あくまでも「認知症の発症に感情の抑圧が関連していること」は仮説です。
だけど「認知症」に限らず、今、「ストレス社会」といわれているし、表現の自由も広がったようで狭まってきていて、上手に生きることができず、心を病む人はとても多く、その結果、体の健康を損なう、失う人も多い。

私の座右の銘の1つに「心身一如」という言葉がある。

【心身一如(しんじん-いちにょ)】学研四時熟語辞典
①心身ともに充実していること
②物事に一心に集中している様
③身体と精神は一体であって分けることはできず一つものの両面に過ぎないという仏教の教え
→ここから私の体現したい「心身一如」に置き換えていくと
①心も身体も健康であると言い換えることができる
②物事=自分の人生に真剣に集中していること
③心と身体の両方のケアが必要で、片方のケアだと不十分であるといえる

「心や感情のケア」をすることで、今の体の健康だけでなく、今後の体の健康も手に入れることができるなら?
それって、とても大事で重要なことではないだろうか?
もちろん「心身一如」通り、
心のケアだけでは不十分だから、体のケアも大事。
だけど、先に書いたように日本における心のケアの浸透率が低い。

今、私にできることって何だろう・・・って、映画を見ながらふと思った。

3.今に集中って「現在」じゃなくてもいい(映画のネタバレあり)


ここの項目は、一番書きたかった項目だけど、読者のみなさんにとっては、
エッセイに過ぎない内容だし、映画のネタバレもあるので飛ばしてもらっても構わないです。
「心・感情のケア」についてのまとめは、4に書くので目次で飛んでくださいね。
暇だな~とか、
のぞみの心境を読んでみたいな~って方だけ読み進めてくださいませ(笑)


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私は、この映画を「今、介護に苦しんでいる人達をどう救うか?」というよりも「今後、認知症にならない人を増やす、もしくは、認知症になっても穏やかな”昔のようなボケる”ような人を増やすには」という視点で見ていることに気づいたことが一番大きい。

映画に描かれていた「今、介護に苦しんでいる人達」や「介護される側の苦しさ」に対しても、もちろん、共感したし、涙も出たし、心も動かされる瞬間がいくつもあった。

ただ、私は「現在」よりも「未来」を見て生きているタイプなんだなという気づきが大きくて、自分でもびっくりしていて、この気付きを見返せるように感想を書いているのも大きいと思う。

私にとって、「今出来ること」というのは「未来のために”今出来ること”」なんだなって。

心理学の知識を積み重ねていくと
「今を生きることが一番大事。それは、過去や未来にとっても大切なことだ」といわれている。所謂「マインドフルネス」「今、ここに集中」ってやつだ。

このことを頭では認識して、自分でも「そうか」と思い実行してみてた。
でも「今に集中」しているはずなんだけど、全体的に上手くいってないような感覚がずっとあった。歩いているはずなのに前に進んでいない感覚。
その感覚から抜け出せなくて、今、自分は苦しくなっていたんだなって思った。

話を戻すが、私の「未来のために”今出来ること”」を考えたり実行するってことは、人によっては「今、現在を切り捨てる思考」ってなるのかなと思う。
それこそ、映画のテーマである「ロストケア」に関して
私の思考は「今、この瞬間に苦しんでいる人達への救い」に矛先が向いていないのだから。

私の視点の先は「予防」であり「未来」なのだ。
「治療」じゃないし「現在」じゃない。

もちろん「現在の悩み、苦しみ」を解決できることって重要だと思うし、
それを切望している人の方が多いのも分かっている。
私自身「今の悩み、苦しみ」から解放されたいと思う。
でも私は「今の悩み、苦しみを解決する方法・手段」を持ち合わせていないのだ。
ただ私は「今後の生き方を変える方法・手段」を持っている。
なら「今、私にできること」って「今後の生き方を変える方法・手段」を自分で実践していくしかないのかなって。

過去や現在に悩み、苦しみ、藻掻きながらも、
結局は私の思考は「未来」に向いているんだなっていうのを実感した。
だから「今ここに集中」とそりが合わないはずなんだよね(笑)

知識として「今、ここに集中」は大事。
でも、その知識が自分に合うかどうかは、また別なのだ。

丁度、このnoteを書こうと思った8/16のインスタ投稿が
たまたまレビューの日だったのだが
お客様からこんな感想をいただいていた

のぞみさんの作る香りは「これからの自分」に必要な香りです。

しかもこの感想2021年7月。
丁度、私が乗りに乗っている時であり、
「ちょっと先の未来のためにできること」の視点で生きていた時だからね。
これだから脳科学や引き寄せは面白いなと思う。
過去から答えがやってくるのだから。


さて、映画の話に戻るけど。
映画のシーンとしては
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。これこそ律法と預言者である。(マタイによる福音書7章12節)」
この聖書の一説を用いた斯波の供述のセリフの中で

「かつての自分とかつての父親がしてほしかったことを、人にも(殺すことで)してあげた、救ってあげた」

このシーンと最後のシングルマザーと彼女の伴侶になる予定の男性の会話が心に残っている。

斯波の父親殺しは、自分のためであり、私はこの「救い」に関しては、本当に「斯波にとっての救い」だったと思う。
結果的に「父親」も救われたのかもしれないけど、結局は「自分の為の救い(殺し)」なんだよね。

聖書の「あなたがたも人にしなさい」っていう「人」は「自分自身」だと思っていて、「他人」に対してではないと私は思っている。
自分を救えるのは自分だけなんだって思っている。
(まあ、それでも他人に救ってほしいと思う時もある。どっちの気持ちも自分の想いだから、否定しないでどっちも受け止めている)

だから「今後、認知症にならない、なっても穏やかな”昔のようなボケる”ような人を増やすには」と、他人のためになることを書いたけど。
これだって突き詰めたら「自分のため」なんだよなーって。
自分が「認知症や心の病」にならないためにも、「心・感情のケア」をしていこうという自分のための動機付けなのだから。

それでもさ「自分のため」がまわりまわって「他人のため」にもなったってなったら、それってすごいことで、素晴らしいことだなっていうのが、
最後のシングルマザーと男性のシーンだと思った。

「きっと、誰にも迷惑かけずに生きていける人なんて一人もいないんです」
ってセリフ

「自分のためだけど、迷惑になるかもしれないこと」
(介護をさせてしまうかもしれない男性と一緒になること)が
「他人の生きる糧になる」(女性にとっての心の支えや生きる糧になる)
ってこともあるんじゃないかと思う。

だから今日は「自分のため」にこのnoteを書いているけど。

このnoteが誰かの何かの役に立ったり
行動を起こすきっかけになったら嬉しいと思う。

もちろん、誰かの役に立たなくても
「私が私の願いを叶えること」に役に立っているのだから十分ではある。
こうやって、気持ちを伝える、考えを伝えるために文章を書くことの楽しさを思い出せたのも大きいしね。

正直な話、少し・・・
いや、だいぶ、仕事に対する「熱量」を失っていたし、
今も完全復活って感じではない。

Amulet.を作り始めた頃のように
ダイエットを始めた頃のように
心理学の資格を取ったり、
メンタルサポートを構築した時のように

「うぉーーーーー🔥」っていう熱量がない。

どっかに行ってしまった私の熱量。
ただ、どっか行ってしまった理由が
今回の自分の視点を「未来」に向いていることを
忘れてしまっていたからだとわかったから。

もう大丈夫な気がする。
忘れたら、このnoteを読めばいいしね。

ここの項目はまた加筆するかもしれないけど、今日はこの辺で!

4.「心・感情ケア」について


「今、私にできることって何だろう・・・」

この答えをここに書いていきたいと思います。
まあ、半分は宣伝なんだけどね(笑)

今、私にできることって
「心・感情のケア」の仕方を発信することだけなんだよね。

6月末まで「メンタルサポート」もあったけど、
色んな事情で廃止したし、
今、このnoteを書いて気づいたのが
クライアントさんのニーズと私の視点のズレ。

3の項目で触れたけど
私の視点は「少し先の未来のために”今、できること”」の提案であり
クライアントさんが望む「今の悩みや苦しみからの解放」とでは
ズレが生じる。

もちろん私の提案する方法をすることで
結果として「今の悩みや苦しみから解放」されることもある。

だけど、直接、悩みや苦しみをどうこうする手段じゃないんだよね。

そうなると視ている場所が違う。
私は「未来」でクライアントさんは「現在」だから。

廃止してよかったわ(笑)

なぜこの話を入れたかというと、
今まで発信してきた内容を「過去」「現在」「未来」に分けて
整理していきたいと思うからです。

まあ、私の方法は最終的には「少し先の未来」に視点があるので
着地としては「未来」になるんだけど。

「過去の感情のケア」
「現在の心の悩みの整理」をすることで
「少し先の未来」を良くしていこうって感じだから、
今のアナタの心や感情が
「過去」「現在」「未来」どこに向いているのかで
読むnoteを決めてもらえたらいいなと思います。

「過去」

「現在」


「未来」

興味を持った記事、ピンときた内容のnoteを読んでいただけたら嬉しい。
中には無料で読めるものもあります♪

また、インスタでも
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