どうやっても無駄だと知り、止めたことのひとつ
私は、弟子を入れるようになって20年ぐらい経つのですが(2019年時)そのなかで学んだことがあります。
【創作に関してどんなに資質があっても、当人の才能がその資質を活かそうとしない人は、創作をしない。創作を好きにもなれないから、どんなに人々に支援されても応援されても結局はやらない】
ということです。
私の所に来る人たちは、一応は何かしらの創作をして生きて行きたいとは思って来るわけですが、なんとなくそう思っている人と(殆どがそれ)、ガチ本気の人が(殆どいない)います。
そのどちらであっても私から観ると、資質のある人にはちゃんと資質があるので「やってみれば?出来るようになるよ」と思うわけでして、本当にマメにあれこれ指導し、投入していたのです。
そう言われた本人も、そうかなーと、途中まではやるのですが、結局、自分自身の土地である資質を、その人は掘るのが面倒に思ってやらなくなるのです。
どんなに「ホラ、こうやれば、こんなに出来るようになるし、社会の人々もキミのことをこんなに評価してくれるようになったじゃないか!」というところまで進行させてもダメ。途中で投げ出してしまう。
やっぱり「最後のツメ」までは行かず、殆どがその人の本来的な実力の開花の手前で終わってしまう。
最後のツメ、の手前の部分に至ると、その人は自分の過去を否定しなければならなかったり、物凄く面倒くさいことを続ける必要があったり、とにかく、楽しいだけでは終わらないんですね。
「その人自身の強烈な衝動や必然」が無いと、自分の資質という土地に埋まっている宝石を掘り起こせないんですね。
そこを突き破れないと「創作の専業プロ」にはなれない。
それと、意外に良くあるのが、その人の宝石が割とゴロゴロ出て来て、社会もそれを評価しているのに、本人が自分自身の宝石が嫌い、興味がない、なんて場合があります。
例えば、その人の資質という土地には、素晴らしいルビーがザクザク埋まっているのに「いえ、私はサファイアが欲しいのです。ルビーに興味はありません」なんて言って、その人の資質という土地には全く埋まっていないサファイアを掘り当てるための自分探しなんかして、変なオカルト的な師匠に引っかかって(笑)人生を棒に振るというパターンも良くあります。
私自身、弟子を育てるにあたって、そんなあれこれを身にしみて感じるまでに、何度もヒドイ目に合いましたが(笑)結局「本当の本気で創作が好きでやりたいと思ってない人は、資質があったとしても指導するだけ無駄」なのであると気付き、こちらからは、資質がある人であっても関わるのは止めました。
自分からどうしてもやりたい、という人だけを、こちらでしっかり見極めてから育てることにしました。
それに、大人の世界は、少年マンガの世界のように、全然やる気は無いけども、天才で、誰よりも強い、なんてことは無いのです。一時的にはそういうことは起こっても、大人の世界では資質や才能だけでは長年通用するものではありませんからね。資質と才能と適切な努力の積み重ねと、その一連の結果を検証する人が生き残れるわけです。
【どんなに素晴らしい資質という土地があっても、それを掘り起こし、運用する才能が怠惰なタイプの人は、自らの資質を無駄にする】
のです。
資質に素晴らしいものがあっても、才能が今ひとつだと機能しません。
しかし、資質がそこそこでも、才能が優れていれば、小さい資質を最高度に運用出来ます。
そう考えると「才能」というのは大事なものですね。
そんな失敗ばかりをして来たわたくしですが、どの業界でもそういうものらしく、こんなまとめを見つけて「全く同意であります!」と思いました(笑)
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「才能あるけどやらないクリエイターたちを励ます仕事」を10年やってわかったこと
と、そのまとめにありますが、それは全くその通りで、私もそれを悟り、そういう無駄をやめました。
(資質や才能の言葉の使い方は違いますが、だいたい同じことをおっしゃっているように思います)
義務教育ではありませんから、熱烈にやりたいヤツがやれば良い。
そういう人の、さらに一部しか生き残れない世界ですから。
結局、ミモフタモナイお話なのでした。笑
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