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当たり前を疑え(#はたらくってなんだろう・休職編)

おはようございます。といです。

タライ足湯に浸かりながら白湯を飲みつつ書いています。30分の砂時計は静かに時を刻んでいます。
祝日だからゆっくりいきましょう。
お仕事の方はお休みの日にゆっくりできますように。
さて、今日はなんの祝日でしょうか。


5月4日はみどりの日。

みどりの日とは、
「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨とする。
【Wikipediaより】

さぁ、あなたは今日何をしますか?
豊かな心をはぐくむ為に。

#はたらくってなんだろう

私はこれまでずっと、応募終了企画「#はたらくってなんだろう」について考え続けていました。第一弾、第二弾と別の角度から「はたらく」について考えてきて、ようやく辿り着いたのが今日のテーマです。

なので、少々関連記事の紹介をさせてください。

第一弾・第二弾のご紹介

働き方が問い直されている今、最小単位のコミュニティである、自分たち新米夫婦の「はたらく」を考えてみました。

「はたらく」にも様々な捉え方、種類、在り様があると再認識する今日この頃。私の職場で、健康状の理由で退職された方の言葉を噛み締めながら、自分に置き換えて「辞めるまで、どう働くか」について綴っています。



さて、「#はたらくってなんだろう」についてのぐるぐる思考も今日までにしようと思っています。
つまり、第三弾を以って終了です。

今日のテーマは、休職について、です。



「上手に休む」こと

私はnoteを続ける中で、「バリバリ働く」方法よりも「上手に息継ぎする」方法を学んだ気がします。

それは、植物を愛でたり、短歌を読んだり、コメントを交換する等、様々です。自宅や銭湯でお風呂に肩まで浸かったり、ぼんやり風景を眺めることも、私の内側を緩める方法のひとつだと皆さんに教えてもらいました。

ここで、記事を読んで頂いている皆様に
いま一度、感謝を。

縮こまっていた喜怒(哀)楽がにょきにょきと生えてきた、そんな感じです。

だから、ありがとう。皆様、ありがとう。


休職から暦で200日をむかえて

私は2020年夏頃、体調を壊しました。崩れていっているという自覚はなんとなくありました。しかし、「どこでも生きていける」、「たくましい」と言われることの多かった私は、自分に暗示をかけながら踏ん張っていたように思います。

(あれ?おかしいな)と思った時には、もう自分でなんとかできる状態ではありませんでした。
具体的には、

・相手の話していることが頭に入らない
・自分の中の思考がまとまらない
・「ごめんなさい、すみません」が口をついて出てくる
・「つらい」という単語が頭に浮かぶと動けなくなる
・涙が止まらない

そのうち、周りから「最近笑ってないんじゃない?」と指摘され、(そうだなぁ)とぼんやりと帰宅する日が続きました。

ふと冷静になった時、(情勢を鑑みて、早めに心療内科を受診しよう)と考えました。えいやっ、と飛び込んだ診察室では、話がまとまる訳もなく、一番弱い薬を処方され帰路につきました。

2度目か、3度目かの受診の際には、「うつ状態」と診断されました。その帰り道は悲惨でした。もはや朦朧としていて、涙は勝手に出てくるわ、鼻水は止まらないわ、散々な顔面だったろうことを覚えています。こんなところでマスクが役立とうとは。

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当時お付き合いしていた(現・旦那さん)から「朝ごはん食べた?とりあえず何か食べなさい」と言われ、顔中の水分を拭いて栄養価の高そうなものをコンビニで買いました。

仕事の書類が散乱した家に帰るのがとても嫌でした。だから公園の端っこのベンチで静かに噛み締めながら食べました。


曖昧な区切りは無意味

上司と相談し、ひとまずワーケーション的に実家に帰る段取りがつきました。実家の自室で懐かしい雑誌に目が止まりページを捲ると、字が読めなくなっていることに気づき愕然としました。英語論文が読めない、論文執筆が進まない、等々の前に字が読めないとは。

しかし急には休めませんでした。論文の締め切りが迫り、リバイス(書き直し)がかかり、英語での編集者とのメールのやりとりや、上司との面談等が、仕事モードの私を奮い立たせました。その度、私は抜け殻になりました。

上司判断で、新幹線に乗り込み、出社もしました。律儀も程々が肝心。母の持たせてくれたおにぎりを食べながら車窓の風景が滲むのをただ見つめました。

診断から2ヶ月後、私は正式な書類によって休職に入りました。そして、今ここに至ります。

※休職に入ったからといっても、
本質的に「休めている」という感覚になったのは
ほんとうにここ最近です。


「はたらく」と「やすむ」は表裏一体

「働かざるもの食うべからず」で育ち、「みんな頑張っているのだから」と言われ、(そうだよね)と、当時の私は納得しました。

当時、私は、会社に席を置きつつ、社会人学生として博士号の学位を取ろうとしていました。会社から離れた土地でひとり、ぽつねんと。しかし、それは当初から私が望んだ環境だった為に、簡単には抜け出せないと感じていました。

(出来ないなら、もう少し頑張らないと)
(会社からお金をもらっているのだから)
(規定に沿って卒業しないといけないのだから)
何かと理由をつけました。
回らない頭を回す為に、「はたらく」時間を増やしました。いろんな方法を取り入れました。

そんなこんなしていると、次第に休み方が分からなくなりました。

でも、今ならわかります。

・日光を浴びることの大事さ
・運動で頭の中を切り替えるイメージ
・床で仮眠してまで足掻く必要のないこと
・学生より体力が落ちていること

1日は24時間。人生は有限。時間は平等。
だからこそ、はたらいたら、その分自分を休めて労ることが大事。
学生でも会社員でもないからこそ、上手に真摯に自分から逃げずにいることが大事。出来ないことは急にできるようにはならないし、人を頼ることも必要。

上手に息継ぎして、働いて生きていこうと思います。


当たり前を疑え

自分のことは自分が一番知っている筈です。
歳の数だけ重ねてきたものがあります。
でも、ほんとうにそう言い切れるでしょうか。
俯瞰的にみれていると言えますか?

本の中に潜ったり、自然の中に身を置いたり、或いは、別の角度からの視点で新しく見えてくるものがあります。

それゆえに、
私は飲み込まれないように当たり前を疑おうと思います。だから、時々問わせてください。
凝り固まらないように、いろんな考え方がある事を知りたいのです。


さて、長くなりました。
私の頭のグルグルはここに置いておきます。

もし、「抑うつ状態」について興味がある方はマガジンにそんな時の私の記事を寄せ集めているので覗いてみてください。


トップ画像は母から贈られた羊のブローチです。
pippiさん作の手作りブローチ。
29歳未年にはピッタリの代物です。


私は今日もこれをつけて「やすむぞ!」と誓うのです。

それでは、よいGWを。

とい。