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瞑想や世間一般の坐禅は、

考えや思い、

煩悩や空想、妄想を

ある一定の状態に導びこうと、

多かれ少なかれ、意図して運ぼうとしたり、

創意工夫してはからったりと

作為している。

禅、悟りの認識以前の今の目の前の事実の様子から離れ、

わざわざ目を閉じるのはなぜだ!?

無為のブッダの悟り、

解脱とはそういうものではない。


何かしらの意識の状態や

思考や感覚の状態を喜んだり、

また、

煩悩や妄想を駄目、悪いと反省して取り上げている

そのような

考え上の実体のない架空の存在を殺す

消滅させるのが、

ブッダの悟り、解脱だ。


都合の良い何かの状態、

感覚を得ようとしている、

何かの意識の状態を喜んでいる

実体のない架空の考え上の者こそ、

仏道で消滅させるべき実体のない実在だ。


だから、

瞑想や内観

祈りなどと違い、

ブッダの本当の真の坐禅は

実践している事が

180度全く真逆なのです。


清にあらず

濁にもあらず

浅きにも深きにもあらず

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