【中学生の本棚】「子どものための哲学対話」永井均
中学生の本棚とは?
実家を掃除していたら、中学生の頃に書いた読書記録カードが出てきた。読んだ本の簡単なあらすじと感想を書いたプリントである。思春期らしい青臭い文章。けれど、なんだか惹き込まれる。今の自分にないものを持っているからかもしれない。
せっかくなので、noteの記事にしてみようと思う。中学生の読書記録をリライトしたもの、それが「中学生の本棚」だ。大人が「あぁ、こんな青臭い時代もあったなぁ」と懐かしい気持ちで読むのもよし、中高生が本を選ぶ参考にするのもよし。それぞれの楽しみ方で、この本棚を楽しんでいただけたら、と思う。
※中学生の頃の文章をもとにしているので、読みづらいところがあると思いますが、ご了承ください。
「子どものための哲学対話」 永井均
作品紹介
主人公の「ぼく」が小学校5年生のとき、家に住みつくようになったすごく変な猫ペネトレ。この本はペネトレと僕の対話の記録。
「勉強じゃない学問もあるんだね?」
「学問は、本来勉強なんかじゃないさ。この世でいちばん楽しい遊びなんだよ」
感想
「クジラは魚である」とペネトレは言う。内部の仕組みを重視している現代では、「クジラは哺乳類」に分類される。しかし、外形や生活環境を重視するなら「魚」になりうるのだそうだ。なるほど、確かにそうかもしれない。どうして内部の仕組みが大事であるかを説明するのは難しい。
結局、私たちの常識なんて、都合の良いように作られたものでしかないのだ。もしかしたら、猫はクジラを魚の仲間と思っているかもしれない。人間がスイカの分類で悩んでいるように。
常識は、人と人の間でも食い違うことがある。例えば、家に上がるとき、靴を脱ぐか脱がないか。いわゆる文化の違いである。どちらが正しいと言うことはない。常識は、自分のテリトリー内でしか通用しないからだ。
もしかしたら、私たちの持っている常識を超えた真実を知る生き物がどこかにいるのかもしれない、と思う。私たちが他の生き物を笑うように、その生き物に人間も笑われているのかもしれない。「地球は丸い」とか「クジラは哺乳類だ」とか人間が常識だと思っているものが誤解だとしたら。人間の犯している誤解に、人間自身は気づくことはできない。あれ?常識って何か分からなくなってきたぞ。
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