日曜日から扁桃腺炎で発熱してます。 まだ唾を飲むのも痛みがあるので、回復まで少しおやすみします。 早く治して戻ります😭
外泊を決めてからこの2週間でリハビリはかなり進みました。 倒れた直後には階段や帰宅には年単位の時間がかかると言われていたのですが、この約3か月で短い距離なら杖と介助で歩けるようになり、帰宅が決まってからは階段の昇降もチャレンジ。 介助は必要ですが、支えれば足を上げるくらいは出来るようになり、踊り場事に椅子に座って休憩を取りながらゆっくり登ったりおりたり… 兄も事前にリハビリの先生に介助の仕方を習ったりして、みんなが弟の外泊を手伝ってくれました。 前日に私が地元の社協で車椅子
外泊に向けて弟のリハビリは今まで以上に具体的な訓練が行われていきました。 装具をつけ杖をつき、先生に支えていただきながらではありますが、リハビリ室から出て外の通路や、人のいる病院の廊下、距離は短くてもいろいろな環境で歩いて見たり、階段を想定してまずは1段上がれるようにと体のバランスを感じてみたり… 毎日前進しているという手応えが弟からの連絡からも伝わってきました。 1日1時間のリハビリでは足りない、自分でもっと歩行の練習をしたいという気持ちもさらに強くなっていきました。 し
弟の外泊が決まり、弟は一層リハビリに力が入っていきました。 正直、今や内科的な治療も落ち着き、入院生活の中で決まった治療はこの1日2回のリハビリしかなく… リハビリの時間以外は病室で主に上半身の筋力をつけたり、足を動かしたりする自主練をしていました。 廊下を歩いたり、トイレに1人で行ったりと杖を使っての移動の練習をしたがっていましたが、なかなか杖の許可が出ません、 弟の焦る気持ち、病棟への不満が募る中、隔日でお見舞いに行っていた母が体調が悪いと言い出しました。 今年の夏は猛暑
外泊を準備するため、弟のリハビリを見学させてもらいました。 病棟では杖の許可がおりず車椅子での生活を余儀なくされていましたが、リハビリ室では先生の介助を頂きながら杖をついての歩行訓練が始まっていました。 思いのほかしっかり歩けていて驚きました。 私が介助してきた義父母よりよっぽどしっかりしています(笑) 室内は歩行が出来ても長い距離や外出時には車椅子を使用していた夫の移動などをイメージしながら、リハビリの様子を見学しました。 本人からも外泊したいことは伝えていましたが、実際に
昨日書いた電話対決① 穏やかに整然と気持ちを伝えたようになってるが、実際には泣いたり、大きな声を出したり、途中ほとんど喧嘩だった(笑) 勝手にしろ!というのは簡単でしたが、この機会を逃してはと話したくない弟と真剣に話しました。 今、リハビリを頑張ってくれて歩行したり会話もできるようになってるけど、倒れた時のように会話もままならず、食事も全てとろみでオムツ生活で自宅に帰れないなら、私が弟と暮らそうと思っていたこと、これからも母が亡くなったり、1人での生活が難しいのなら私を頼っ
妹との会話後、主治医に電話で相談すると、家族が受け入れができて、階段問題さえクリア出来るなら内科的には外泊可能です。 気分転換になって良いと思いますよ。 とのこと。 あっという間に主治医から弟に伝わったようで弟から電話が入る。 「外泊していいの?」 外泊していい、悪いでなく、あなたの家なんだからいつ帰ってきてもいいの。 階段のこととか出来るか分からないけど、リハビリの先生とも相談して出来る方法があるか考えてみよう。 気づかなくてごめんね。 最近のリハビリの様子など聞きながら、
認定調査もおわり、そろそろ帰宅かリハビリ病院への転院かを決めなくてはなりません。 この頃、弟は病棟では車椅子で過ごしていましたが、リハビリ室では足に装具をつけて4転の杖を使って歩行の練習が始まっていました。 リハビリの先生も様子を見ながらリハビリ病院の転院を勧めて下さっていましたが、なかなか弟は首を縦に降りません。 ある日、母のお見舞いに妹が付き添い、妹が弟との会話を私にしてくれました。 入院から2か月半。 病院から病院に救急車や介護タクシーで移って、病院がどこにあるかもよく
市役所の申請から約2週間、病院で介護保険の認定調査が行われることになっていたので久しぶりに病院に行きました。 家族のグループLINEで日々のやり取りや弟の入院生活の様子は見守りつつ、弟と話すのは10日ぶりでしょうか。 自宅に手すりをつけたり、ベッドや杖を借りたり、訪問リハビリや帰宅後の退院後の生活サポートのために介護認定が必要なこと。 高齢者向けのサービスなので、不本意なことも聞かれるかもしれないけど、ありのままを話すこと、出来ないことは正直に話すこと、と手短に内容を伝え
この頃、私は弟に嫌われます。 毎日かかってきていた電話やLINEもなくなり、愚痴はもっぱら母になりました(笑) 無視とは言わないけれど、明らかに私を避けています。 何でもない世間話やリハビリの様子などは話すのですが、リハビリ病院への転院や、自宅への退院の話など現実を突きつける話になると話を変えてしまいます。 今は無理なんだな💦 刺激するような会話はせず、リハビリ頑張ってるねー、そんなことも出来るようになったんだね、すごいねー、と淡々と成果を認めて、弟の気持ちが緩むのを待ち
先週、市役所へ出向き介護保険や障害者手帳の申請をしたことを書きましたが… 弟は退職後、任意継続保険の手続きをしました。 保険料の会社負担分も負担しなくてはならないので、保険料の負担は在職中よりも高額になりますが、在職中と同じに健保組合の対象になるので、福利厚生に手厚い会社であれば医療費の補助があったり、独自の支援制度があったりします。 1番のメリットは国民健康保険には家族の扶養の規定がないので家族がいる場合は人数分の保険料が必要になりますが、任意継続であれば被保険者の保険料の
弟の帰宅の意思が強いので、リハビリ病院への転院の説得が出来なかった時のために帰宅後の生活をサポートしてもらう福祉の手続きに実家のある市役所へ出掛けました。 義父母や夫の時にはひとつひとつ手探りで、こんなサービスがあるのかと発見したり、役所をたらい回しされて疲れ果てたりしていたけれど、おかげさまで長年の介護生活でどんな申請が必要か理解出来ていたので、その窓口を知っているというだけで敷居が低い。 とはいっても、働きながら病院通いをして更に遠方の役所へ行くというのは時間的にも体力
弟はなかなかリハビリ病院への転院を受け入れてくれませんでした。 この頃の弟は車椅子をしようし、リハビリでは立ち上がったり、先生に支えてもらいながらの歩行の練習が始まっていました。 団地の階段を昇れなければ家には帰れない。1階の家を準備出来るまでリハビリをして欲しいと話しても、その話になると一切拒否です。 無駄なお金はかけなくていい、1日かかっても這ってのぼるから、今の家に帰る。 もっと歩く練習をしたいから歩行器や杖の使用を認めて欲しい。 リハビリ室の30分弱の歩行練習てはい
転院して面会時間が20分から6時間になり、人数制限が無くなった。 もちろん6時間張り付いていることはなかったけれど、自由に出入り出来るようになり平日は母や私が出かけ、休日は他の兄弟や親友夫妻も顔を出せるようになった。 母は主に着替えや弟の身の回りのことを担当し、私は弟の不安や不磨を聞き、今後の治療や生活について弟の考えを聞くことに徹しました。 私は弟が中学生の時に結婚して家を出ているので、大切な話はしてきたつもりでしたがこんなに毎日会話し弟と向き合うのは初めてでした。 最
転院2日目 朝からご立腹だった弟の病院に行くと更にヒートアップしていました。 早速にリハビリ病院への転院についての話があったようで、それは既定路線ですし、誰もが1日も早く回復期のリハビリ病院へ弟を移し、本格的なリハビリを受けさせたいと思って動いてくれていたことなのですが、弟は大学病院でもリハビリのために元の病院へ戻ると説明を受けていたので、入院2日目の朝から転院話でまだこの病院でリハビリの状態も見てもらってないのに、何故転院の話なの? 自分はリハビリ病院へ転院するなんてひと
転院翌日、弟から早速苦情LINE。 A病院は高齢の患者さんが多いので、同室の患者さんの訴える痴呆による様々な行動が気になって眠れない、落ち着かない、看護師さんがなってないと… 毎回、新しい環境に順応するのに人一倍時間がかかるけれど、1晩とは…。 元入院していた病院だし、看護師さん達も「おかえりなさい」と迎えてくれてたので安心しちゃってました。 何しろ今日も病院へ行くから、となだめましたが、またこのやり取りが始まるのかと暗い気持ちにもなりました。 こちらの病院は面会時