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義父母に夫、と通算30年の介護を体験。 自身も難病を持ちながら在宅勤務をしています。 …

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義父母に夫、と通算30年の介護を体験。 自身も難病を持ちながら在宅勤務をしています。 思いがけず一回り下の弟(独身)が倒れて想定外のサポート生活が始まりました。 介護者が犠牲にならない介護と家族について発信しています。

最近の記事

最初の転院

脳梗塞を起こしてから3週間。 弟は心臓の手術のために都内の大学病院へ転院することになった。 最初に手術が必要なことは説明を受けていたけれど、当時入院していた病院も全科あるような地域の救急指定の総合病院で安心していたので転院が必要なのは驚きだった。 術後の経過はこの病院で診るが、人工心肺に切り替えるような先端な手術は出来ないとのことでした。 本当はもっと早く転院して心臓の人口弁の設置手術を受ける予定だったのですが、予定外の脳梗塞が起きて全ての予定が崩れていたのです。 心臓弁

    • 性格が変わってしまった?

      おはようございます。 三連休中日。 秋晴れで気持ちの良い連休になりそうです。 弟も元気な頃だったらゴルフやキャンプに出掛けていたことでしょう。 半年で生活もすっかり変わってしまいましたね。 弟の介護で私が1番辛かったのは弟のメンタルでした。 脳梗塞になったと簡単に書いてしまいましたが、そこに至るまでに治療や検査の度に発熱したり、発疹がでたり、毎日の点滴が思うように取れずに点滴の手は腫れて…その末に起こった脳梗塞、片麻痺。 弟にとっては辛い日々が続いていました。 日々の中では

      • 健保へ申請

        おはようございます。 弟の入院生活も1か月が過ぎました。 リハビリが始まって、目の前に具体的な目標が出来たことで、少し心も安定してきましたが、相変わらず眠れないことと病院への不満が続きます。 マイナスな言葉を受け続けるというのは受け取る家族も疲弊しますね。 入院中、2回めの給料日までは有休があったので給料の支払いがありましたが、退職も決まり、来月から弟の収入はありません。 これからの生活のこと、高額な医療費のこと、治療や入院生活がつらくて気持ちに余裕がなくても現実の問題は

        • 退職

          弟の仕事の話 弟の精神的な混乱は続きながらも、リハビリは毎日行われました。 手、足、言葉、嚥下それぞれ専門の先生が変わるがわる音の病室に来てリハビリの指導をしてくださいました。 今日は水が1口飲めた、ペットボトルのフタを開ける方法を教えてもらった、と入院生活の中でリハビリの時間だけは弟にとってほんの少し希望が持てる時間になっていきました。 相変わらず眠れない、看護師さんが対応してくれないと荒れた連絡は続いていましたが、リハビリの成果や毎日の訓練の様子を伝えてくれる時には倒

        最初の転院

          壊れていく

          脳梗塞後、感染を抑える点滴を継続しながら、手足のリハビリ、発語、飲み込みのリハビリと一日の治療も忙しく、更に眠れなくなり、弟の混乱は続きます。 何しろ寝たいんだ! 睡眠薬で眠っても点滴の交換、同室の人の声やいびきや匂い、夜寝られないならと昼間寝ようと思うけど、やっと寝たらリハビリや検査に呼ばれてしまって眠れない。 自分が壊れていってるのがわかるんだ。 体だけでなく頭も心も壊れて、どんどん自分でなくなっていくのが怖い。 当時のことを思い出そうと、脳梗塞前後のLINEのやり

          壊れていく

          受け入れられない病状

          脳梗塞を起こした日から、弟の見える世界は一変しました。 呂律が回らず思うように意思が伝わらない。 全ての食事や飲み物ににとろみがつき、水分さえ普通に摂れなくなりました。 トイレも間に合わずオムツとなり、神経質な弟には匂いやヨダレ、都度の看護師さんとのやり取りも耐え難く、弟の混乱は日に日にひどくなりな、病院にいたのに何故? こういうことにならないために入院していたんじゃないの? 何故?何故? 前夜に手に力が入らない、手足が浮腫んでいて何か変だと看護師さんに言ったけど「点滴の

          受け入れられない病状

          原因は歯の治療?

          入院はしたものの、連休中なこともあって家族には医師からの説明もなく、「感染の数値が下がるまで点滴を続けるしかないみたい」という本人からの説明を聞き、連休中に抗生剤の点滴さえ受ければよいものとばかり思っていました。 2週間が過ぎても、なかなか数値が下がらず、弟は先の見えない入院生活が不安になったり、血管が細く点滴が思うように出来ずに手は腫れ上がり、深夜や早朝にも点滴の交換があるため睡眠不足も重なって精神的に不安定になっていきました。 連休が明け、更に細かい検査が必要だからと

          原因は歯の治療?

          私の介護歴(弟)

          弟が倒れる弟は47歳、独身。 85歳の母と同居。 父が倒れた時に私が保育園に送迎したひと回り離れた末弟です。 今年の4月末、シャワーを浴びていた所、立っていられなくなり救急車で病院へ。 その日は問題がないと自宅に帰されたのですが、翌朝「血液検査の結果が良くないので入院の支度をして来てください」と病院から電話があり入院することになりました。 何かの菌が入って感染していて、まずはこの感染を抑える点滴治療をするとのこと。 どのお薬で数字が下がるか、薬を見ながら2週間程度の入院が

          私の介護歴(弟)

          私の介護歴(夫と私)

          義父母、実父と次々と病に倒れ、それぞれが麻痺や透析などなんらかの不自由を抱えた生活が始まって、 私たち夫婦は仕事に家事に育児に介護と無我夢中な日々が始まりました。 それは大変とか辛いとか、そんなことを感じている暇もなく、自宅と会社、病院、保育園をまわりながら毎日過ごすことで精一杯。 妙なアドレナリンが常に出ていて、頑張る、頑張るとつぶやきながら日々を送っていたように思います。 そんな生活を過ごして数年。 疲労なのかストレスなのか、私たち夫婦も長年の不調に病名がつき治療が始

          私の介護歴(夫と私)

          私の介護歴(実父)

          一昨日に私の介護は義母から始まったと書いたばかりですが、私が中学生だった頃父がくも膜下出血を起こしています。 しかし、この頃は実母が父を支えるために病院に付き添い、中学生の私は留守宅の弟たちの面倒をみるという役割で、家事はしていたものの父の病気に積極的には関わってはいませんでした。 ひと回り離れた弟を自転車に乗せ、保育園に送り届けてから登校する。 学校が終わったらお迎えに行き、買い物をして帰宅する。そんな学生生活ではありましたが3か月の入院後、退院した父は数ヶ月の自宅での療

          私の介護歴(実父)

          私の介護歴(義父)

          義母が倒れて2年。 救急車で運ばれた大学病院から2箇所のリハビリ病院を経て、自宅へ帰ってくることが決まった頃。 当時同居していたマンションにはエレベーターがなかったので義母の帰宅前に引越ししなくてはなりません。 最初の大学病院の退院時には首も座ってなかった義母でしたが、2年の間に室内なら杖をついて歩けるところまでリハビリが進み、やっと退院の見通しがたちバリアフリーとまでは行かなかったけれど、家族5人が暮らしやすい1階の家を見つけて引越しの日、荷物を見送って空っぽになった家の電

          私の介護歴(義父)

          私の介護歴(義母)

          私と介護との出会いは義母でした。 30年前のことです。 昨日までパートで働いていた義母が脳出血で倒れたのです。 私たち夫婦と孫2人の同居生活。 まだ介護保険のなかった時代です。 昨日まで孫と遊び、仕事に家事にと「人生で1番幸せ」と言っていた義母が病室で意識を取り戻した時、片麻痺が残り、一気におばあちゃんになってしまったことは衝撃でした。 私は祖父母がなくなってから生まれたので、老人との生活も高齢な方と接したこともほとんどありませんでした。 実父も高血圧で倒れたことがありま

          私の介護歴(義母)

          介護について書くことにしました。

          4月に弟が入院。 詳細はこの後書いていくつもりですが、30年義父母や夫の介護をしてきて、先が見えずに迷子のようにあちこちと情報を探し回って、葛藤して、たくさんのことを犠牲にしてきたけれど、先が見えている、経験値があるというのはこんなにも違うものなんですね。 30年の介護が終わり、次は高齢の実母のサポートまで小休止、のつもりでいたので、まさか、私とひと回り離れた弟が倒れるとは想定していませんでした。 弟は独身で会社の手続きも看病もしてくれる家族がいませんでした。 高齢の実母と

          介護について書くことにしました。