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2022年1月29日 21:41
臨済宗相国寺派の大本山。相国寺は五山文学の中心地であり、画僧の周文や雪舟は相国寺の出身。また、鹿苑寺(金閣寺)、慈照寺(銀閣寺)は、相国寺の山外塔頭(さんがいたっちゅう)足利義満が花の御所の隣接地に創建を発願。その地はかつて行基により創建された出雲寺(現・毘沙門堂。出雲寺は現・上京区毘沙門町にあった)や、法然が住していた賀茂の釈迦堂(現・百万遍知恩寺)が建っていた場所であるが、当時は安聖寺や
2022年1月26日 21:32
嵐山や渡月橋、亀山も天龍寺の敷地であった。この地はその昔、檀林皇后と称された嵯峨天皇の皇后橘嘉智子が開創した禅寺・檀林寺の跡地で、檀林寺が廃絶した後、後嵯峨上皇が仙洞御所を造営し、さらに亀山上皇が仮の御所を営んだ。その地に足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。造営に際して尊氏や光厳上皇が荘園を
2022年1月26日 21:21
高桐院(こうとういん)は、大徳寺の塔頭のひとつ。灯台躑躅で赤く染まる茶室が印象的。開基(創立者)は細川忠興(三斎)、開山(初代住職)は玉甫紹琮(ぎょくほじょうそう)である。戦国時代に智将として名を馳せ、茶人としては利休七哲の1人として知られる細川忠興(三斎)が父・細川藤孝(幽斎)のために慶長7年(1602年)建立した寺で、玉甫紹琮を開山とする。玉甫紹琮は幽斎の弟で、三斎のおじにあたる
2022年1月24日 20:50
黄梅院(おうばいいん)は、大徳寺の塔頭。千利休作庭と伝わる苔一面の直中庭が美しい。永禄5年(1562年)に織田信長が父・信秀の追善供養のため春林宗俶(大徳寺98世)を迎えて創建、黄梅庵と名付けられた。天正10年(1582年)の本能寺の変により信長が急逝し、その葬儀が羽柴秀吉により大徳寺で盛大に行われた。秀吉は信長の塔所として黄梅庵を改築したが、主君の塔所としては小さすぎるという理由から
2022年1月23日 17:29
聚光院(じゅこういん)は、大徳寺の塔頭のひとつ。寺内は通常は公開されていない。閑隠席は一見の価値があり、特別公開の際には是非訪れたい。室町幕府12代将軍・足利義晴に仕えた三好長慶の養子・義継が永禄9年(1566年)に養父の菩提を弔うために笑嶺宗訢(しょうれいそうきん)を開山として建立。千利休が開祖・笑嶺和尚に参禅したことから利休の墓をはじめ、三千家(表千家・裏千家・武者小路千家)歴代
2022年1月23日 17:23
龍安寺(りょうあんじ)は、臨済宗妙心寺派の寺院。妙心寺の境外塔頭山号は大雲山と号し、本尊は釈迦如来、開基(創建者)は細川勝元、開山(初代住職)は義天玄承「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。もともと衣笠山山麓に位置する龍安寺一帯は、永観元年(984年)に建立された円融天皇の御願寺である円融寺の境内地であった。円融寺は徐々に衰退し、平安時代末には藤原北家の流れを汲む徳大寺実
2022年1月23日 17:18
桂春院は妙心寺の塔頭のひとつ。慶長3年(1598)、織田信長の嫡男信忠の次男である津田秀則によって見性院として創建され、寛永9年(1635)に美濃国(現岐阜県)の豪族石河貞政が建物を完備し、名を桂春院と改めた。方丈内部の襖絵は狩野山雪の筆。茶室既白庵(きはくあん)は長浜城から書院とともに移築されたもの。「侘」「清浄」「思惟」「真如」と名付けられた4つの庭は、国の名勝及び史跡に指定さ
2022年1月21日 21:14
春光院(しゅんこういん)は妙心寺の塔頭寺院豊臣秀吉に仕え、後、松江開府の祖となった堀尾吉晴が、長子堀尾金助を小田原の戦いで失ったので、その菩提を弔うため、天正18年(1590年)に建立近代日本を代表する禅思想家の久松真一 (西田幾多郎の哲学、鈴木大拙の禅学に影響を受け、東洋哲学、仏教、日本思想を研究) は、戦中・戦後の一時期を春光院で過ごし、当寺院で鈴木大拙と禅や近代哲学について語り合った
2022年1月18日 20:46
東海庵妙心寺の塔頭寺院。1484年の創建。開祖は悟渓宗頓(ごけいそうとん)。書院西庭は文化十一年(1814年)東睦(とうぼく)和尚の作。「書院庭園」として国の名勝および史跡に指定。庭はそれぞれ趣が異なり、「東海一連の庭」と呼ばれる。庭園には「体の庭」「相の庭」「用の庭」がある。「体の庭」は石すらもない無の庭園「相の庭」は苔と植物の庭「用の庭」は坪庭。
2022年1月18日 21:24
退蔵院は妙心寺の塔頭寺院。今から600年ほど前(1404年)、波多野出雲守重通が無因宗因禅師を開山として建立。退蔵院は応仁の乱で妙心寺とともに炎上したが、1597年に亀年禅師によって再建され、今に至る。「退蔵」という言葉には、「価値あるものをしまっておく」という意味があるように、陰徳(人に知られないようにして良い行いをする)を積み重ね、それを前面に打ち出すのではなく、内に秘めながら布教して
2022年1月18日 21:39
大心院は妙心寺の塔頭寺院。本堂南庭の「切石の庭」は中央に花壇が配置され、珍しい。ツツジが咲く坪庭も侘びた趣がある。明応元年(1492)に管領細川政元が、景川宗隆を開山として創建。天正年間(1573~1592)に細川幽斎が現在地に移転させた。書院前の「阿吽庭」は中根金作の作庭。東西に長い長方形の地割をもつ枯山水庭園で、白砂、奇岩、苔で龍が天に昇ろうとする姿を表している。宿坊としても利用
2022年1月19日 20:37
砂の波紋と竜の背中のような石組が印象的な枯山水庭園天文4年(1535)に、キリシタン大名として知られる大友宗麟が大友家の菩提寺として建立。創建当時から残る客殿と表門、唐門は国の重要文化財方丈周りにある「独坐庭」と「閑眠庭」はどちらも昭和36年(1961)に重森三玲が開祖400年遠忌を記念して作庭。「閑眠庭」は縦4個、横3個の石が配され、石組みが十字になっていることから「十字架の庭」と
2022年1月19日 20:47
大雄院は妙心寺の塔頭寺院尾張藩家老・石河光忠が父の菩提を弔うために慶長8年(1603)に建立した妙心寺の塔頭寺院。客殿には、江戸末期から明治初期の漆芸家・蒔絵師の柴田是真が描いた襖絵72面が残る。円山応挙の門人・土岐済美(とき ざいみ)筆の山水の襖絵も残る。庭園は苔の枯山水庭園と池が連続してあり、広々と感じられる。蓮華寺灯籠も見られる。
2022年1月19日 20:57
龍泉庵(りょうせんあん)は、花園の妙心寺の境内の南門付近にある妙心寺の塔頭寺院。塔頭の中でも寺格の高い妙心寺※四派四本庵の一つ妙心寺の創建当時から立てられ、塔頭の方丈としては最大級の規模を持つ。室町時代中期の1481年、臨済宗の高僧・景川宗隆(けいせんそうりゅう)により武将の細川政元(ほそかわまさもと)を開基として創建された。「禅は景川」 「後御堂法坂 雪霜十六年(うしろみどうほ