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アボカドよ、いつから果物なんだい
小さい頃、野菜と果物の区別は味によるものだと思っていた。食べられる植物のうち甘くてみずみずしいのは果物で、そうじゃないやつはぜーんぶ野菜、特にお料理の時しょっぱい味付けをするやつはもうぜーったい野菜、という具合だ。
ところが小学校か中学校の理科の授業で、「果物というのは木に実る果実のこと」だと習った。それでいくとイチゴは実は野菜扱いなんですね〜、と言われたときの、地味ながらも絶大な衝撃。イチゴは甘くてみずみずしいから「果物」なんじゃないの!?という、動揺と言って差し支えないくらいの驚きがあった。
タイムリーにその日の夜に母がイチゴを出してくれたのだが、野菜なのか…と思ってまじまじと見つめてしまったことを今も覚えている。
しかしそんな日も遠くなった現在、私はアボカドを甘く味付けしたものに目がない。
きっかけは友人に連れて行ってもらったジャワ料理のレストランだった。さてまずは飲み物行こか〜の流れの中で、アルコールをあまり飲まないためジュースの類をいただこうかなとメニューを見ると「アボカドシェイク」とあった。
アボカド、シェイク…?シェイクってあれよな、食感が硬めで甘くて冷たい飲み物。アボカドと全く結びつかないが、大丈夫なのか…?と我が目を疑い、あの日のイチゴと同じようにまじまじとメニューを見つめてしまった。
アボカドは大好きだが普段は塩を振るなりバルサミコをかけるなりしており、とにかく「野菜」カテゴリの食品としてしか向き合ったことがなかった。あの独特の風味が甘くなるとどうなるか全く想像がつかない。なんならちょっと怖いまである。
そんなことを悶々と考えているのがすぐにバレるから友達って良い。連れてきてくれた友人は一言、「アボカドシェイクね、美味しいよ」と教えてくれた。聞けば、以前彼女が滞在していた国ではアボカドはフルーツとして楽しむのがむしろ主流で、アボカドシェイクは全然"ある"ものなのだそうだ。
ならば、と頼んでみた。たとえお味がnot for meであったとしても、それはそれで楽しいし、アボカドは体に良いのでオッケーだ!
そしてやってきたアボカドシェイクはすごかった。チョコが、合わせてあるのだ。アボカドに。緑のモッタリと冷たそうな液体に、グラスの内側に垂らされたチョコソースがビビッド。マジで未知!と思いつつ、思い切って飲んだそれは、控えめに言って楽園の果実の味だった。
アボカドならではのクリーミーさ、まったりとしつつも植物由来で実に爽やかだから元々大好きなのだが、その舌触りがコックリと甘いチョコレートと合わさると素晴らしく美味しい!独特の青い香りがまた程よく、チョコとアボカドの良いところだけが冷たさに包まれた後味に残る。うっとりしながら味を楽しむ私に、友人が「アボカドしっかり摂って、きっと明日は肌プリプリだ」と笑いかけてくれたのがなんだか嬉しかった。
知らない味だったが素晴らしく美味しくて、実はその日以降もアボカドシェイクがあるお店に行くと必ず頼んでしまう。先日は池袋のフォーベトさんでいただいて、あまりの美味しさに2杯も楽しんでしまった。
気持ち的にはバナナシェイクの亜種だと思っている。フルーツの良さが別の形で味わえる喜び。人間に生まれて嬉しいなぁ。
甘い味付けを施されたアボカドシェイクを飲んで、初めて「アボカドは果物である」という表現がしっくり来た。画像でしか見たことがないが、確かに木に実っている。
しかし今更思うのだ。野菜とされているものも果物とされているものも、原初は名付けも分類もされてはいなかった。イチゴはイチゴとして、みかんはみかんとして、小松菜は小松菜として、それぞれにそれぞれがそれぞれの種として生まれてきている。名付けや分類はその生命活動の外側から、なんらかの目的のために人間が行なっていることなんだよな、となんとなく考える。ラベリングとかジェンダーとか、人間である私も時々そういった自己の存在の外側や社会的な要請からの分類を心地悪く思うことがあるよな、とも。
その一方で、こうも思う。
アボカドシェイクは間違いなく魅力的な味だが、自然発生的なものではない。誰かが、アボカドを甘く味付けしてシェイクにしたら美味しいんじゃないか?と作って、今ここにある。
そんなふうに生まれたままでは気づかなかった魅力が、誰かの手で発掘されたり何かと組み合わさって輝いたりする、その一連の出来事もなんだかドラマチックだなぁと。
そしてそういうとき、私はとびきり嬉しい。
アボカド、アボカドシェイク、大好き。