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(非)幸福論

「幸福論」と向き合うためにも、「そうじゃない部分」からも目をそむけるわけにはいかない。 「不幸」ではしあわせが足りていないことになってしまうから、しあわせじゃない部分ということで…
普段は客観視して書いているnoteだけど、このマガジンでは主観的にてお届け。簡単にいうと、わたし自…
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#コラム

絶望の隣で眠る夜だっていいじゃない

2020年に入ってから少しずつ、自分の中にあったあずの感情が抜け落ちているような心地で生きていた。 すり減ったり、擦り切れているわけではなくて、自然のことのように消えていく感覚になっていた。 元々の性質的に、感情の起伏が激しいことはなくて、基本的に笑っている方なので、感情というものがそもそもあったのかさえも定かではないんだけれど、少しずつ溶け出しているような心地。 それが先日久しぶりに絶望を感じていた。 なにが起きたわけでもなく、いつもと変わらない生活をしていたのに急

『逃げてもいいんだよ』という呪文

時々耳にする言葉、『逃げてもいいんだよ』。 今の環境がつらいなら、逃げたっていいんだ。 心身に支障をきたしてまで頑張らなくていいんだよ。 そんな時は、逃げるんだよ。 ふとした時に、そんな言葉を聞くことがある。 この言葉には心の底から賛同したい反面、ちょっとした違和感を感じる時がある。 心身に支障をきたしてまで、無理をすることない。 本当にそう思う。 今まで何度か心身に支障をきたしたことがあったからこそ、首がもげてしまうんじゃないかってくらいには頷きたい。 だけれど

好きって、人それぞれだから自分の答えがあればいいと思うんだよね

「好きを仕事に」 「好きなことで生きていく」 そんな言葉をよく聞くけれど、そもそも好きなことが見つからない。 そういう人もたくさんいると思う。 むしろ、好きを仕事にする風潮になってきていることで窮屈に感じてしまうこともある気がする。 夢がなきゃいけないとか、仕事でわくわくしていないといけないとか、好きな人が好きでやればいいようなことまでも、正解がそれしかないようなプレッシャーもある(ような気がする)。 好きなことが思い浮かばない人も、いまの仕事が好きなわけじゃないけど不

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結婚ができない

ずっと心の中にあったことだけれど、あまりにも個人的な話すぎるかなぁと思って綴ってこなかったことがある。 読んでいた本に影響されたのか、よくわからないけれど、noteに書こうという気持ちになった。日がサンサンとしている時に書くような内容ではないのかもしれないけれど、太陽の下で考えてみても気持ちは同じだからきっとこれが本心なんだ。 わたしは結婚ができない。興味がない、とはまた違うのだけれど、いまいち頭とこころが追いつかない。 30を過ぎて、周りに結婚していない友人の方が少なく

もどかしさを抱きしめる

あぁ、どうしよう。 そんなことを思ってしまう。 なにか書きたいと思って、noteを立ち上げてみてもなぜか何も思い浮かばない。 パソコンを立ち上げては閉じて、家の中をぐるぐると歩き回ってはまた所定の位置に座ってパソコンを開いてみる。頭がまっしろで何も浮かんでこない。 それなのに、なにかを書きたいという気持ちはあるからこそ、煮え切らない気持ちにもどかしくなって、悲しくなってしまう。 こんな時は本を読んだり、好みの文章を書いている人のSNSを眺めてみたり、過去の自分と向き合っ

不安はいつだって隣にいた

急に落ち込みの波がぐっと来た昨夜。 それはこのご時世だからなのか、仕事を辞めたからなのか、体調が理由なのか、思いつく原因は山ほどある気がする。 それでも毎日変わらずに1日は24時間流れているし、生きているだけでお金は減るし、不安に感じたって絶望的になったって朝はいつもやってくる。 そんな日は急に、いろんなことが嫌になってしまう。 急にやさしくできなくなったり、そうなると人に会いたくなくなったり、どんどん気持ちがわかりやすく沈んでいく。 いろんなことが制限されている状態だ

日々の過ごし方が習慣になっていく

休みの日も外に出がちなわたしにとって、家の中で過ごすことが24時間を越えることってすごく珍しい経験。 家の中でできる読書や勉強も、基本的に家から出かけて図書館やカフェですることが多かった。 そのため、家の中で過ごすことが増えて感じることは『時間の感覚がなくなる』ということだった。 まだ会社に勤めている時でも、リモートワークになってからは一人暮らしということもあり、動いているものは自分だけで気付いたら暗くなっている…という生活になった。 会社にいたら、誰かと話したり、周りの

思い出が巡るのはいつだって唐突で

自分のお気に入りの曲だけを詰めたプレイリスト。 いつも何気なく聴いているのに、なぜか先日だけは普段聴いているはずの曲に意識を引っ張られて、思い出がわぁっと巡って思わず泣きそうになった。 オーストラリアに留学している時、なにかの拍子に思い出してしまう恋があった。 オーストラリアに来たことは後悔したことなんて一度だってないけれど、もし来なかったらあの恋は終わらなかったのかなぁなんて思うこともあった。 オーストラリアに行く、と決心して準備をすすめている最中に知り合って、離れたら

「あの恋」。

「あの恋」と聞いて、思い出すのはいつだって特定の彼。 恋愛において男性は『名前を付けて保存』、女性は『上書き保存』をするなんて言われることも多いけれど、その人のことは何年経っても大切な思い出としてしっかり覚えている。 その恋は別に初恋でもないし、なにか特別なことがあったわけでもない。 それでも彼と過ごした日々が血肉となっているし、もらった言葉の数々はしっかりわたしの中で生きていて今でも支えられたり励まされることも山ほどある。 ※ 元々無料記事でしたが、マガジン登録に伴っ

もっと自由に、もっとことばを

ついに、有料マガジンが審査通りました! なんだか、すごいうれしい。 だれかのためではなくて、自分のためにも残しておきたいこと、書き留めておきたいことがnoteを書くほどに増えている。 ちょっとだけ苦しかった、最近。 自分のnoteなんだから好きに書いたらいいじゃんって言う人ももちろんいると思う。 有料だからってなんでも書いていいわけじゃないよって言う人もいると思う。 それでも、もうちょっとだけぶっちゃけた話ができる場所や、自分ともっと向き合っていけるような場所がほしかっ

紡いだことばたちは、紛れもなくわたしの一部分

noteを書いていると、なんだか遺書を書いている気持ちになるのは果たしてわたしだけかな。 というのも、暗い話をしようというのではなくて、noteに書いていることばにはちゃんと意思があって、ちゃんと自分自身のことばで書いているからそんな風に感じているんだと思う。 SNSが発達したいまの時代だからこそ、発信することが全てではなくて、発信しない発言しないことも選ぶ必要がある。 沈黙が強い肯定を表すように、発言しないことで際立つことって絶対的にある。 だけど文章を書くときに、「